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「二人して、駆け込み出社?」
麗がにんまりしながら言った。
「夜更かしは週末にしなきゃ」
余計なお世話だと言いたいところだが、会社まで猛ダッシュして息も絶え絶えの俺に言えるはずもない。
平日にも関わらず、疲れ果てて眠ってしまうまで抱いたのは俺の失態だ。
目が覚めたのはいつもの起床時間より四十分遅くで、俺と椿は目覚めの甘い空気も気まずさも吹っ飛ぶ勢いでシャワーを浴び、家を飛び出した。
「あ、それから、社内ではお手て離しなさいよね?」
いつもより三本遅い電車がホームに着くなり、俺は椿の手を握って走り出した。
混み合う地下歩道を、人の隙間を縫って走り抜け、そのままゴールである社屋に駆け込んだ。
扉が開いていたエレベーターまで辿り着き、足元から倒れ込みそうになるのを耐え、呼吸を整えていると、タイミングよく乗り合わせた麗に茶化されたというわけだ。
麗の言葉にハッとして、椿が俺の手から自分のそれを引き抜いた。
「あーあ。彪を慰めるチャンス逃しちゃった」
「はっ……。化粧ノリの……良さそうな顔して、なに言ってんだか」
「わかる? いやん。恥ずかしぃ~」
頬に手を当てて、腰をくねらせる。
同じ年だと思うと、苦笑いしかない。
「あの、京谷さん。昨日はお会計もしないまま帰ってしまって、申し訳ありません」と、椿が深々と頭を下げた。
「ああ、いいのよ。先輩が後輩を誘ったんだもの」
「ですがっ――」
「――またしましょうね、女子会」
椿の目がきらりと光ったのを、俺は見逃さなかった。
昨日も思ったが、椿は『女子会』の言葉に反応した。
恐らく、女子会なるものをしたことがないから、してみたかったのだろう。
女子会ばかりは、俺じゃ無理だしな。
「さっ、じゃ! 仕事しましょ」
パンッと手を叩いて、麗が言った。
椿は社食に行き、俺は麗と企画の実運営に向けた問題点や改善点、掲示板の書き込みのチェックなんかをした。
十一時半には社食に行き、昨日同様、客足やメニューの動向を観察し、弁当の売れ行きを見守る予定となっている。
さてそろそろ社食に移動しようかという時間になり、俺は思い出して聞いた。
「そういや、昨日の飯代って?」
「私が払ったわよ?」
「椿の分――」
「――言ったでしょ? 昨日は先輩が後輩にご馳走したの。それに、まだ結婚してないんだから、彪から貰う義理はないわ」
こういうところが、一緒にいて楽だったし、好きだった。
「わかった。サンキュ」
「むしろ、私こそ、お礼を言うべきかしら? 若い子を当てがってもらって」
「酔ったお前を送り届けて欲しいって頼んだだけだ。その後のことは知らないな」
麗がくすっと笑う。
「一応確認しとくけど、未成年じゃないわよね?」
「まさか! 椿の二コ……三コ下って言ってたから、俺らの五コ下? 二十……五か六か?」
「はぁ……。若い上に、更に若く見えるって、ずるいわね。ん? 椿ちゃんの知り合い?」
「あれ? 聞かなかったか? 椿の昔馴染みだ。親友ってとこかな」
「へぇ……」
知らなかったらしい。
まさかと思い、俺は書類を見せる振りをして顔を寄せた。
「まさか、どこの誰かもわからずにヤッたわけじゃないだろうな?」
麗が眼球を左右に動かしてから、わかりやすく作り笑いをした。
「まさか。けど、彪の名前が出たから、大丈夫かなと――」
「――俺の知り合いなら誰でもいいのかよ」
麗は、見た目には自信満々で気の強そうなバリキャリ。
事実、かなり仕事はデキる。
だが、付き合ってみると、どこか危な気で、抜けている。強気なことを言う割に、言った後で泣きそうになってたり。
俺と付き合っていた時も、遊び慣れているように言っていたが、実はそうでもないとわかった。
だから、昨夜も倫太朗を送り込んだものの、案外何もないかもとも思っていた。
朝、すっきりした笑顔を見た瞬間、がっつりヤッたことは確信したが。
「ね、彪」
「ん?」
「カレに、私のことは話さないで?」
「え?」
「素敵なワンナイトの思い出を壊したくないじゃない?」
「お前……」
「この話はお終い! さ、社食に行こう」
強制的に話を終え、麗が立ち上がった。
俺も続く。
「彪は、一刻も早く椿ちゃんに婚姻届を書かせなさい。ああいうタイプは、すーぐ逃げ腰になっちゃうから」
「わかってるよ」
「あとは、覚悟しなさい」
「覚悟?」
「そ、覚悟! 結婚はゴールじゃないわよ」
「……すげー重みがあるな」
さすが、バツ二だ。
「でしょ? 結婚とは、ゴールのない二人三脚よ」
「走りっぱなしかよ」
「そ! 休む時は一緒に休まなきゃいけないの。どちらかが勝手に足を止めると、相手が転んで自分も転ぶ。んで、相手に恨まれて罵られて、散々よ」
つまりは、声を掛け合って、お互いを思いやって、一緒に足を止めればいい。
が、麗が言うと、我慢比べのようだ。
実際、そうだったのだろう。
反面教師というほど共通点はないけれど、俺は、いざとなったら椿を抱きかかえて走ってやろうと思った。
麗と倫太朗に関しては、いい大人の二人の一夜の情事と割り切っているなら、外野が口出しすることじゃない。
ただ、案外お似合いじゃないかと思った。
そして、それは間違いじゃないと、五分後に確信する。