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俺の言葉も聞かず瑞希くんと先に会計を済ませて店を出て行ってしまった。
そんな二人の背中を見送りながら俺は頭を抱えた。
(……明日からどういう顔して仁さんと顔合わせた
らいいんだ)
呆然とする俺の横で、仁さんは再びテーブルに突っ伏してウトウトし始めていた。
その寝息は、まるで何もなかったかのように穏やかだ。
俺は仕方なく、会計を済ませるべく、バーテンダーを呼んだ。
しばらくすると
スマートな身のこなしのバーテンダーの男が、俺たちのテーブルまでやってきた。
「お客様、お会計でよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
俺は、テーブルに広げられた空のグラスや皿を見ながら、少しだけ緊張した面持ちで答えた。
男は、手元の端末を操作し、合計金額を告げる。
俺は財布から現金を取り出し、男に手渡した。
男は、受け取った紙幣を丁寧に数え
一度軽く会釈をしてから、店の奥にあるバックヤードへと戻っていった。
その間、俺は仁さんの寝顔をちらりと見た。
本当に、ぐっすり眠っている。
数分後、男が再びテーブルに戻ってきた。
手には、お釣りときちんと折りたたまれた領収書を持っている。
「お待たせいたしました。こちら、お釣りでございます。領収書もご用意いたしました」
俺は、差し出されたお釣りと領収書を受け取った。
その紙幣の感触が、妙に現実味を帯びて感じられた。
目の前には、テーブルに突っ伏して穏やかな寝息を立てる仁さんがいる。
まさか、こんな展開になるとは。
将暉さんと瑞希くんの無責任な言葉が、まだ耳の奥でこだましていた。
「仁さん…仁さん、起きてください!」
俺は、まずさんの肩をそっと揺すってみた。
しかし、仁さんはピクリとも動かない。
まるで岩のように、その場に根を張っているかのようだ。
もう一度、今度は少し強めに揺すると
仁さんの口から「んん…」と小さな唸り声が漏れたが、目を開ける気配はない。
完全に意識が飛んでいる。
仕方なく、俺は椅子に座ったままの仁さんの隣に回り込んだ。
まずは、彼の腕を自分の肩に回そうとする。
普段はスラリとした印象の仁さんだが、こうして間近で見ると
意外とがっしりとした体格をしていることがわか
る。
その体は、酔いのせいで完全に脱力しており
まるで重い荷物を持ち上げるかのような感覚だった。
「つ…重い…さすが218kgも出る男……って、感心してる場合じゃない」
俺は思わず声に出してしまった。
仁さんの腕を自分の肩に回し
その体を椅子から引き剥がすようにして、ゆっくりと立ち上がらせる。
しかし、重心が定まらない仁さんの体は
ぐらりと傾き、俺の全体重が彼の重みを支える形になった。
まるで、大きな木を根っこから引き抜こうとしているような
途方もない重労働だ。
よろめきながらも、なんとかにさんを椅子から立たせることに成功した。
しかし、ここからが本番だ。
店を出て、タクシーを拾わなければならない。
店内はまだ賑わっており、他の客の視線が気にならないわけではない。
だが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
俺は、仁さんの体をしっかりと支え
一歩ずつ、慎重に歩き始めた。
「仁さん、しっかりしてください…」
俺は、半ば自分に言い聞かせるように呟いた。
仁さんの足は、まるで棒のように硬直しており俺の足に引きずられるようにして動く。
俺たちはなんとか店の出口までたどり着いた。
重い扉を片手で押し開け、ようやく外に出ると
ひんやりとした夜の空気が肌を撫でた。
アンバーラウンジの熱気とは打って変わって
外は静かで、心地よい風が吹いている。
しかし、その涼しさが、俺の顔の熱を冷ますには至らなかった。
仁さんの告白が、まだ頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
可愛い、明るい、保護対象、抱きたい、
あの言葉が、酔った勢いから出たものだとしても、俺の心に深く突き刺さっていた。
フェロモンブロッカー依存症で、感情が曖味になっているはずなのに
なぜか胸の奥がじんわりと温かくなったのは事実
だ。
俺もそれなりに酔っているんだとは思う。
しかし、同時に、明日からどういう顔をして仁さんと顔を合わせればいいのかという
途方もない不安が押し寄せてくる。
「タクシー……タクシー、どこだ…」
俺は、仁さんを支えながら
通りを行き交う車の中に空車のタクシーを探した。
しかし、この時間帯はなかなか見つからない。
焦りが募る。
仁さんの体重が、じわじわと俺の肩に食い込んでくるようだった。
すると、ようやく一台のタクシーが視界に入った。
俺は、空いている方の手で必死に手を挙げ、タクシーを呼び止めた。
タクシーは、俺たちの前でゆっくりと停車する。
「すみません、この人、酔っ払ってて…」
運転手に申し訳なさそうに声をかけると
運転手は慣れた様子で頷き、後部座席のドアを開けてくれた。
しかし、ここからがまた一苦労だ。
「仁さん、もうちょっと頑張ってください……」
俺は、仁さんの背中を押し、なんとか座席に座らせると
仁さんの隣に滑り込むようにして座り、大きく息を吐いた。
「はぁ……」
シートに体を預けると、全身の力が抜けていくのを感じた。
しかし、これで終わりではない。
家まで送り届けなければならない。
「東京都杉並区桃井三丁目8-14のレジデンス花影 までお願いします」
住所を告げると、タクシーは静かに夜の街を走り出した。
タクシーの窓を流れる景色を、俺はただ眺めていた。
隣にいる仁さんは相変わらず起きる気配もなく
静かな寝息を立てている。
その横顔は、いつもより少し幼く見えて、なんだか可愛かった。
(仁さんって、本当に貫禄のある顔してるな…紫の髪も様になってるし…しかも酔ってあんな簡単に口滑らすなんて…元ヤクザなのが嘘みたいだ)
そんなことを考えていると、だんだん眠気に襲われてくる。
仁さんほどの強い酒を飲んだことはないが
俺も多少なりとも酔っていたのだろう。
(だめだ……今寝たらまずい)
そう思えば思うほど、瞼が重くなるのを感じた。
しかし、ここで眠るわけにはいかない。
家までは、まだ距離がある。
俺は必死に睡魔に抗い続けた。
しかし、そんな俺の努力も虚しく
タクシーの心地いい揺れと
隣の仁さんの体温が心地よくて、いつの間にか俺は意識を手放していた。
「お客さん!着きましたよ!」
運転手の声で目が覚めた。
窓の外を見ると、そこは見慣れた自宅アパートの前だった。
「……すみません!ありがとうございます」
慌てて財布を取り出し、料金を支払い、お釣りを貰うと、再びにさんの肩を揺さぶった。
すると、仁さんが驚いたように瞼を開き、キョロキョロと辺りを見回す。
「か、楓くん……?」
仁さんは、まだ酔いが醒めていないのか、ぼんやりとした表情で呟く。
「とりあえず出てください、事情は出てから説明しますから」
俺は仁さんを半ば強引にタクシーから引っ張り出した。
タクシーの扉が締まり、走り去る音が背後から聞こえる。
すると、仁さんが「楓くん…送ってくれたんだ」と呟いた。
「は、はい……さん、大丈夫ですか?歩けます?」
「大丈夫だ」
仁さんはぼんやりとした表情で答えた。
しかし、その顔はまだ紅潮しているようにも見え
る。
「…階段で倒れられても困るんで、はい、肩貸しますから掴まってください」
「……ああ」
仁さんは戸惑いながらも素直に俺の肩に腕を回した。
そして、俺はゆっくりと歩き出す。
幸い、アパートの階段を上る途中で上さんが足を踏み外すこともなく
無事に部屋まで辿り着くことができた。
「仁さん、鍵ありますか?」
「ああ」
仁さんはズボンのポケットから鍵を取り出した。
「じゃあ、開けますよ」
俺は鍵を差し込んでドアを開ける。
部屋の中に入ると、すぐに仁さんをソファに座らせた。
そして水を用意するためにキッチンへ向かう。
テーブルの上にあったガラスのコップを手に取り、水道水を注いで持っていくと
仁さんはソファに横になったままぼんやりとしていた。
「これ飲んでください」
そう言って差し出すと、仁さんは素直に受け取り飲み干した。
「あんがと……」
仁さんが平気そうになったのを確認すると、時刻はすでに深夜1時を回っていた。
「それじゃ、俺ももう隣帰りますね。また」
「悪いな、楓くん」
「いえ…えっと、おやすみなさい」
そう言って玄関で靴を履いて、仁さんの部屋を後にした。
そして、自分の部屋の玄関にたどり着いた瞬間
一気に疲労が襲ってきた。
「つ、疲れた……っ!」
変に緊張した俺は思わずその場にへなへなと座り込む。
しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。
(とりあえず風呂入って寝るか)
そう決めて立ち上がるも、まだ足元がおぼつかない。
そんな状態でなんとか入浴を済まし
ベッドに潜り込む頃にはもう深夜2時近くになっていた。
(完全に入り浸りすぎた、5時起きだし……早く寝よう…)