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釣り具屋の前、その道路の傍らには、あの四角い長い石が、優斗が置いたそのままの状態で転がっていた。
よくよく見てみれば、その表面には見慣れない文字がうっすらと刻み込まれており、それが『魔女文字』であることが今ならわかる。
間違いない、きっとこれだ。
真帆さんと潮見もあとからやってきて、その石を覗き込むように観察し、
「どう、真帆さん?」
「調べてみましょう」
真帆さんはショルダーバッグから魔力磁石を取り出し、魔力の流れを調べたあと、「なるほど」と小さく口にしてから、その石に手を触れる。
例の呪文を口にしてから、真帆さんの右手が一瞬、淡い光に包まれた。
真帆さんはひとつ頷いてから、
「お手柄です、ハルトくん」
微笑みを浮かべながら、僕にそう言った。
僕は胸を撫でおろし、安堵のため息を漏らした。
潮見もそんな僕の肩をぽんぽん叩きながら、「やったね!」と喜んでいた。
「あとはこれを、元の位置に戻すだけですね」
真帆さんは言って、じっと僕の顔を見つめる。
しばらく見つめあってから、僕は口を開いた。
「……え、なに?」
「重そうなので、運んでいただけますか?」
にっこり微笑む真帆さん。
思わず潮見に顔を向けると、潮見もさも当然であるかのような表情で、
「ほら、早く」
と言ってのける。
「え? あれ? 魔法は? これくらい持ち上げられるんじゃないの?」
「できなくはないですけど、魔法で持ち上げても、重いものは重いので」
「なにそれ、どういうこと?」
すると潮見は腰に手を当てながら、
「魔法を使ったところで、同じくらい体力使うってこと。魔法だってそんなに万能じゃないんだよ」
「そ、そうなのか? マジか」
僕はその傍らに転がる石を見つめ、嘆息して腰を屈める。
優斗が持ち上げられたくらいだから、そんなに重くはないと思う。けど、あれは道端からこの道路脇のわずかな距離を移動させただけのことだ。あんまり長時間持ち上げていたら、それなりに腕に負担がかかりそうな気がしてならない。
その証拠に。
「ふんっぬぬぬ……!」
思った以上に、その石は重かった。
優斗のやつ、よくこれをあんな軽々と持ち上げて見せたと感心してしまう。どうやらアイツは、思った以上に力があるみたいだ。
「ど、どうすればいい? どこに運べばいいっ? 重いっ!」
重さに耐えながら口にすると、真帆さんは辺りを見回して、
「これがどのあたりに建っていたか、思い当たる場所はありますか? これだけ重いんですから、すぐ近くだと思うんですけれど」
「どのあたりって、どこだったかなぁ……」
きょろきょろするふたりの横で、僕は早くも限界を迎えようとしていた。
「は、早くしてっ! 重い! 重いから!」
すると潮見が呆れたように、
「……一旦、おろせばいいだけじゃない?」
「あ、そうか」
僕は素直に、地面に石を戻した。
その途端、
「あ、あそこじゃないですか? あの防波堤の前、車が止まってる脇に、折れた根本みたいなのが頭を出してますよ!」
真帆さんがその小さな駐車場を指さして、潮見も、
「あ、ホントだ。そうそう、確かにあそこにこんなの建ってたかも! ほら、天満行くよ!」
「えぇっ? 今おろしたばっかなんだけど……」
「ミナトくんの為です! 早く早く!」
真帆さんにまで急かされて、僕は再び四角い石を持ち上げると、えっちらおっちら、真帆さんの指さした小さな駐車場へ足を向けた。
そこからは、本当にあっという間だった。
その折れた根本の部分にかっちり合うように僕は石を立てて下ろして、真帆さんが魔法の呪文を口にして――それだけだった。
その間、だいたい一、二分くらい。
今ではもう、元のようにその要石はそこに建っていた。
もしかしたら、どこかの運転下手がうっかり車でへし折ってしまったのだろう。それに腹を立てたその人物が、道端にその折れた石を放って去って行ってしまった、そんなところだろうか。
今目の前に建つ要石にはどこにも折れた痕跡なんて見当たらず、まるで最初からずっとここに建っていましたよ、と言わんばかりだ。
「はい、これで完了です!」
真帆さんが満足そうに口にして、
「これで、ミナトも体調、戻るかな?」
潮見が口元に笑みを浮かべる。
早く戻って、ミナトの様子を見てみないと……!
そう思った時だった。
「おやおや、アンタたち、もう直してくれたのかい」
聞き覚えのある声がして、三人して振り返ると、そこには坂の上の魔女、八千代さんの姿があって、
「あれ? おばあちゃん?」
潮見が目を丸くして驚きの声を上げる。
「こんなところまで来て、足は大丈夫なの?」
「送り迎えを頼んだからねぇ」
八千代さんが指で指し示したところに立っていたのは、
「え、お、伯父さん?」
僕も思わず、目を丸くしてしまう。
「よう、晴人。今回の件、お前も頑張ったんだってな、偉い、偉い!」
ハハハッと伯父さんは大きく笑って見せる。
なにこれ、どういうこと? いや、確かに伯父さんは八千代さんと知り合いっぽいとは思っていたけれど、まさかふたりして目の前に現れるだなんて。
結局いったい、伯父さんは、八千代さんとどういう関係なんだろう。
戸惑う僕をよそに、八千代さんは真帆さんの直した要石まで歩み寄ると、
「これはね、昔々、私がここに建てた要の石なんだよ。ここに駐車場を造る前まではちゃんとした祠があって、この場を守っていたんだけれどね。私が残すように進言しても、市の担当職員は“そんなものは邪魔だから必要ない”の一点張りでさ。せめて石柱の形でならどうかって交渉して、何とか了承させたものさ」
八千代さんはその要石――石柱を撫でながら、
「ついさっき、この石柱が折れてなくなってるって、知り合いから連絡があってね。大急ぎで見に来たんだけれど、どうやらその必要はなかったみたいだね」
それから真帆さんの方に身体を向けて、
「ありがとう、真帆」
八千代さんは、にっこりと微笑んだ。
「いえいえ、たまたまですよ、たまたま!」
両手を振る真帆さんの横で、僕は、
『坂の上の魔女も、こんなふうに笑うことがあるんだな』
そう、思ったのだった。