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このお話は私の創作であり、現存する人物、物などとの関係は一切ありません。
観覧が初めての方は必ずあらすじを見てからお楽しみください。
「ニパ?それ、なんだっパ?」
ニパがない首を傾げる。
宙さんがタンスから取り出したのは、推定一メートルほどの長い水色のリボンだった。
「これ、丁度いい!」そう言って、自分の膝をトントンと叩いて、ニパを近くまで呼んだ。
ニパがすぐそばまで来ると、宙さんはリボンを両手でニパの首あたりにくるりと巻きつけて、
優しく結んで、小さなリボンを顔らしきところの正面に作った。
「一応ペット?だしね!今日の朝見たわんこが、こんな感じの飾りをつけてるの、僕覚えてるんだ〜!」
ニパは宙さんの話を聞こうともせず、リボンを食べようとしていた。
「あ、ダメダメ!それは食べられないし、食べ物じゃないよ!」
宙さんがニパの頭らしきところを掴んで止めた。
「お腹が空いたんだっパ!ニパに何か食わせろ〜!」
そう叫ぶとニパは部屋の中をドタバタと走り出した。
「ダメだよ暴れたら!物が落ちちゃうでしょ?」
二人とも、本来気にするべきことを完全に忘れているようだ。
ニパは宙さんの注意を気にもせず、部屋を三周した後、デスクの上に飛び乗って、デスク上のペン置きや、3人が載っている写真数枚、整理のされていない小物入れ、チョコレートの入った菓子袋、全てを床に撒き散らしながら転げ回った。
宙さんはどうすれば良いのかわからなくて、一度冷静に、腕を組んで考えた。
「お腹が空いてるんだよね?でもさっきの破裂した子がいっぱい食べちゃったから今は 何もないんだよなぁ…」
そうポツリと呟くと、ニパが動きを止めて反応した。
「じゃあそいつの皮を持ってこいっパ!」
「え?皮なんて…何に使うの?」
「ニパが食べるんだっパ!」
「へぇー君は自分の脱皮した皮を食べるんだ!」
「ニパ?脱皮?そんなの知らないっパ!」
「君、さっきあの子の皮の中から出てきたでしょ?まるで脱皮したセミみたいにさ!」
「ニパ、あんな皮知らないっパ。覚えてないっパ!」
ニパはイラついて宙さんの足をガブガブと噛み始めた。
ニパの牙は完全に宙さんの足に食い込んでおり、グサリと肉に入る音がした。
しかし、足から血は一滴も出ない。
「僕も食べ物じゃないよ〜!お願いだから少し我慢してて…!」
宙さんは痛覚も、怪我をしたら血が出ることもしらなかった。
「じゃあ僕、食べ物買いに行ってくるから、君はお利口にお留守番できる?」
ニパは足を噛むのをやめて、その問いに会釈を返した。
「行ってくるね!」
宙さんはデスクを簡単に片付けて、服を着替えエコバックと自分の財布を持って部屋を出た。
ニパは床に尻をついて、ドアノブやドアの金具、ドアの模様をただじーっと見つめていた。
特に、意味はない。
少し時間が経つと、ニパは立って部屋をうろつき、壁の端や床の隅を眺めていた。
これも特に、意味はない。
ニパは意味のないことをただただ繰り返すだけだった。
ニパは宙さんより、人間だ。
ゆっくりドアを開けた宙さんは、リビングに誰もいないことを知ると、床の液体を避けながら玄関へ向かった。
何を買ってこればいいのかな〜?と考えていると、
「どこに行く気ですか、宙さん?」
鉄田が浴室から、髪を濡らしたまま、顔だけをドアの隙間から出して、宙さんに問いた。
宙さんは一瞬ピクっと肩を窄めて、すぐ振り返り鉄田の方に体を向けた。
「えっ〜と…!」宙さんは珍しく焦っていた。
こう言う時、嘘をつくべきなのは知っていたが、どうやって嘘を作ればいいのかあまり覚えていなかったのだ。
宙さんが何か言いかけようとすると、浴室のドアが大きく開かれ、後ろからバロウが頭だけを出した。
「おい鉄田、まだ髪乾いてないし すっぽんぽんの姿でリビングに出ようとすんな。」
そう言ってバスタオルを鉄田に覆い被せて、頭をわしゃわしゃとかいた。
「うわっ!」鉄田は驚いて目を強く瞑った。
「ごめん!お腹減ったからご飯買いに行ってくる〜!」宙さんは流れに任せて玄関を開け、外へと飛び出した。
「あ、ちょっとまってください!」
声を上げた時にはもうドアは閉じていて、鉄田の呼びかけは宙さんには届かなかった。
「宙さん…掃除もせずに買い物に…!」鉄田はそう言って下唇を噛んだ。
「でも自分で考えて行動できてるのは、人間に近づいた証拠だろ?」
「それに掃除っていうめんどくさいことから逃げるのも、人間っぽいじゃん。」
バロウが皮肉混じりに宙さんをフォローした。
鉄田はフンと鼻を鳴らして、浴室に戻って髪を乾かすことにした。
10分後、着替え終えた鉄田がリビングの謎の生物の皮を片付けに行った。
手袋をはめて、右手には大きなゴミ袋、左手には雑巾の入ったバケツを持っていた。
何かしら菌を持っているかもしれないので、口元はマスクで覆っている。
「これは落ちるんでしょうか…」
鉄田は何より汚れが心配だった。
貸家だし、新しく貼り替えるお金もない。
それにお風呂の時、何度服や体を擦っても紅い液体が絶えず出て来た。
まるで自分の体液のようだ。
そして、匂いも凄まじい。
謎の生物の皮の腐卵臭のような匂いは、先ほどよりも強く、広い範囲で匂っていた。
近所迷惑で通報されるのも、それで謎の生物の存在がバレるのも、困る。
なので、なるべく早く、跡形もなく、片付けたいのだ。
鉄田が早速バケツを床に置き、ゴミ袋に皮を入れようと屈んだ時、
ーガタンッー
どこかから軽いものが倒れて落ちるような音がした。
鉄田は手を止めて音の聞こえた方を見る。
宙さんの部屋からだ。
ニパは無駄なことただただ繰り返すだけだった。
何もしないから、何も起こらない。
事というのは何かしない限り、大事は起きない。そのはずだった。
ニパは何もしていなかったはずなのに、突然デスク上から開封済みのお菓子箱が落ちて来た。
ニパは黙って落ちて来た箱を避け、落ち着いてデスク上を見る。
そこには、『ピンクの管』がニョロニョロと動いていた。
ニパがデスク上に登ると、ピンクの管は整理のされていない小物入れに、 そそくさと逃げ隠れしていった。
ニパは黙ったまま、怒りを抑えるように足に力をこめた。
その時だった。
ドアの向こうから何かが来る…ニパは体感で感じ取った。
時が経つにつれ、迫り来る足音は大きくなっていった。
ニパは窓際にあった宙さんのベットの下に身を潜め、息をころす。
そしてドアが勢いよく開いた。
「誰かいるんですか。」
そこには先ほど見かけた小柄の人間が、眉間に皺を寄せ怪しむように部屋を見渡していた。
ここでバレては困る。ニパは完全に気配を消した。
人間が散らかった部屋を見て、何か呟いた。
「…なんでこんなに散らかってるんですか…? 宙さんはそんなハメを外すタイプでは無いと思いますが…」
ニパは少し緊張している。
「まさか、まだ何か他の生物を拾って飼っているとか…」
人間は散らかったデスクに近づいて、何かいないかと繊細に探していた。
次はデスクの床を探し、そしてロッカー、照明、床、ベットの上…
「あとはあるとしたらベットの下か…」
人間が膝をついて手を床に置き、こちらを見ようとしてくるのがわかった。
このままではバレてしまう。このままでは、このままではーー、
人間がベットの下を覗いた。時は正午だったので、窓からの灯りのおかげで、
ベット下がよく見える。
そこには何もなく、ただ隅に埃が溜まっているだけだった。
「気にしすぎですかね。」
人間はすぐに起き上がって、散らかった部屋を5分ほど片付けたのち、部屋を出ていった。
ニパは安心して、ベットのすぐ隣にあったお菓子箱から出てくる。
ドアの方を確認すると、何やらドアの隙間にウニョウニョと動くものが見えた。
『ピンクの管』がドアの隙間を通り抜けようとしている。
ニパはすぐにドアに向かって、それを噛みちぎろうとしたが、もしまたあの人間がここに来ては、すぐに隠れられない。そう思った。
ピンクの管はいつのまにか消えており、周りを見渡しても他のピンクの管は見つからなかった。
ニパはもう一度大人しく、 無駄なことを繰り返すだけになった。
宙さんは近くのスーパーで買い物をしていた。
愉快に鼻歌を歌いながら、商品をカゴへと入れていく。
商品を選び終えると、宙さんはレジへと向かっていった。
宙さんは買い物の仕方を知っている。少しのことでもいいので、自分で買いに行く習慣をつけた方がいいと、いつか鉄田に言われて、続けているからだ。
レジの順番が来て、宙さんが「お願いします」とカゴを乗せた。
店員は宙さんを見るなり、目を見開いて、口で手を隠して沈黙してしまった。
それも仕方ない、宙さんは派手な髪色をしているし、背も成人男性より遥かに高いのだから。
「…何か僕、おかしいかな…?」宙さんが首を傾げて店員に問いた。
「も、申し訳ございません。少し驚いただけで…」
「驚く?何か怖いものでもあったの?」宙さんは驚くことを知らないままだった。
「いえ…なんでもありません。素敵な洋服ですね。」 店員は話を逸らして、無理に笑顔を作った。
「ありがとう!でも、お気に入りのやつは今日汚れちゃったんだ〜
あ、でもこの服は友達が選んでくれたやつだから僕も好きだよ!」
宙さんがあまりに自然に話すものだから、店員も話すべきか手を動かすべきか反応に困っていた。
しばらくしてレジ打ちが終わると、会計を済ませて宙さんは自宅へと小走りで向かって行った。
「なんだったんだろう…あの人…」店員は宙さんの後ろ姿を見て、ぽつりと呟いた。
鉄田は部屋に何もいないことを悟ると、掃除をしにリビングへ戻って行った。
すると曲がり角からバロウがひょこっと顔を出した。どうやら宙さんの部屋に入っていたところを偶然見たらしい。
「何しに行ったの、宙さんの部屋に。」バロウが鉄田に訊いた。
「物音がしたので部屋を確認したんです。何かまた他の生物がいたら困りますし。」
「なんかいた?」
「いいえ、勿論何もいませんでしたよ。」
バロウは鉄田の答えに満足したのか、特に何も言わずに一緒にリビングへ戻って行った。
謎の生物のあの紅い液体は、廊下の始めまで広がっており、少し乾燥しているようだった。
「これは大掃除になりそうですね…」鉄田が溜息混じりに呟く。
「俺は掃除するつもりねぇけどな。」バロウが言い放った。
鉄田はその生意気な言葉にムッとなり、バロウの目を睨んだ。
「ここは私たちの家です!あなたにだって掃除する義務があるでしょう?」
「知らねーよそんな義務。宙さんが掃除すりゃいいじゃんか?
元はと言えばあの人のせいなんだからさ。」
「あなたもやりなさい!」鉄田が子供を叱るように怒鳴った。
「無理って言ったら?」挑発気味に言い返す。
「あなたのこと嫌いになりますよ!」子供のような言い草で怒った。
バロウはその言葉に鼻で笑って、
「どうせ無理だよ。」と煽り気味に返した。
鉄田は不服そうに腕を組んで外方を向き、リビングへと一人で足を進めて行く。
すると、鉄田の足がピタリと止まった。自己的に止まっている。
バロウは片眉を上げ、「なんかあったか?」とゆっくり近づきながら訊いた。
「あ、あれ…」鉄田は少し困惑したような声色で、目の前を指さした。
リビングの床に広がる紅い液体の海、その上にはちらほらとぶよぶよの肉の破片が固まっている。
でも、そこにあるはずのものが見当たらなかった。
「皮が…なくなってる…?」
ドアがガチャンと開く音がして、バロウは玄関の方を咄嗟に向いた。
「ただいま〜!いつもの買い物済ませてきたよ〜!」
宙さんが元気よく食品袋を持ち上げて言った。
鉄田は宙さんの呑気さに少し呆れつつ、目の前の異常事態に困惑していた。
今のこいつじゃまともに説明できないだろう。
バロウは一度じっくり皮のあったあたりを見回して、 「なぁ宙さん、ここにあったキモい皮知らない?」 と元あった場所を左手で指しながら訊いた。 「え?あの皮どこかに消えちゃったの?」
宙さんは眉を下げて答えた。
「本当に知らない?ついさっきまではここにあったんだ。」
鉄田が「ついさっきなら、宙さんは買い物に行っていたのでありえないのでは?」
と、冷静になって口を挟んだ。
「わからないだろ?宙さんは人間じゃないんだし、分身できたりするかもしれない。」
不思議な話だが、ここではありえなくはない。
鉄田はバロウの予想に少し納得して、宙さんに鋭い眼差しを向けた。
「ごめん…僕、本当に何も知らないんだ…」
宙さんは犯人でないにも関わらず、反省していた。
鉄田は少し罪悪感が湧いた。バロウはまだ宙さんを疑っている。
しばらく沈黙が続く…
鉄田が話を切り出した。
「…もういいでしょう。それより今は床の掃除が最優先です。」
バロウが鋭く突っかかった。
「いやいや、皮の行方を探す方が最優先だろ?まだ生きてたかもしれねぇじゃんか!」
「あんな大量の血液と内臓らしきものを出しておいて、生きているとは思いませんが。」
「早く掃除をしましょう。床が腐ってもう元には戻せなくなったら困ります。」
「それより困ることがあったらどうする?」
「もしかしたら、誰かが皮を盗んで、警察にでも届けたら俺ら罰金だけじゃ済まされないかもだぞ!」
実際、絶滅危惧種を捕獲すると500万円以下の罰金、または5年以下の懲役になると言われている。
今回は謎の生命体の皮なので、含まれるかは怪しいが。
「ドアの音は宙さんが買い物に行き帰りした時以外なりませんでした!外部の犯行はありえません!」
「じゃあ誰がやったんだよ!俺だとでもいうのか?」
「そんなの一言も私は言っていないでしょう!犯人探しはもう辞めにしてくださいよ!」
二人の口論は激しくなるばかりだった。
「落ち着こうよ二人とも…!」
宙さんが止めようとしたが、二人の耳には一切入っていないようだ。
宙さんは困って腕を組んで首を傾げた。このままでは僕のせいで二人の仲が悪くなってしまう。
そして同時に、とある容疑者への疑いを持っていた。
もしかしたら、『ニパ』の仕業かもしれない…
宙さんは先ほどのことを思い出していた。
「じゃーそいつの皮をー ってこーーパ!」
「え?皮なんて…何に使うの?」
「ニパー食べるんだっー!」
うまく思い出せないが、意味がわからないわけではなかった。
確かに、「皮を食べる」と言っていたことを覚えていた。
でも、食べる暇なんて一体いつあっただろうか。覚えている限りそんな時期はない。
宙さんは余計に悩んで、肩を窄めて首をもっと傾げた。
気がつくと、二人の討論がいつのまにか収束していた。どうやら鉄田が言い負かされたようだ。
鉄田は悔しそうに拳を握りしめ、下唇を噛んだ。
落ち着いたところで、
「ほんじゃあ手分けすることになったから、鉄田は床掃除、宙さんと俺は皮探しな。」
とバロウが指示を出した。
この床を一人で掃除させるのはかなりの拷問だが、負けた分言い訳もできないのだろう。
「…さっさと皮をみつけて床掃除に参加して来てくださいよ。」
鉄田は舌打ちをしてボソッと吐き捨てた。
バロウは特に怒りもせず、宙さんを引き連れて、外へと歩き出した。
「ねぇ、皮がどこに行ったのかバロウくんは知ってるの?」宙さんが問いかけた。
バロウは真顔で静かに答えた。
「ああ、知ってる。」
ー次の日ー
窓の向こうから雀の小さな囀り声が綺麗に聞こえてくる。
青色の晴天の日差しが、部屋に、ベットに差し込んでくる。
宙さんは朝になったことに気がついて、眠るのを辞めた。体をぐーっと伸ばしてほぐす。
時計を見ようと、体を横に向けた。 その時だった
「みっぺ。」
『見知らぬ少年』が横に立っている。
背は小学一年生ほどで、白髪。目も白く清らかな顔立ちをしている。頭のてっぺんに小さなふわふわの丸が付いていた。
宙さんはようやく驚いた。というより、何度も経験したおかげで驚くことを覚えた。
「みっぺ、みぷ。」
見知らぬ少年は意味のわからぬ言葉をずっと宙さんに語りかけている。何か伝えたいのだろうか。
「き…君は誰…?どこからやってきたの?」宙さんが問いかけた。
すると答えられないのか答えるのが嫌なのか、見知らぬ少年は黙り込んでしまった。
宙さんは起き上がって、見知らぬ少年の目線に合うようしゃがんで話しかけた。
「何もわからないのかな…自分の名前もわからないの?」
見知らぬ少年はまた黙り込んだ。
「そっか…お話も出来なさそうだし…あ、文字はかける?」
宙さんはそう言って、ペンを持って動かすジェスチャーをしてみせた。
「も…ぴ…?」見知らぬ少年は首を傾げた。
「ちょっと待ってね!今紙とペンを用意するから!」宙さんは物入れを探しにベットから離れた。
するとなにか足に違和感のある感触が。
宙さんにわかることはまだ少ないが、そこだけ変だということは理解できた。
そこだけ温度と気圧が違う。何かを踏んでいる。でも、それは硬くも柔らかくもない。
頭の中で情報がまとまった後、宙さんは足元をゆっくり見下ろした。
「…紅い…液体?」
液体が続く方を見ると、そこにはぐちゃぐちゃになった粘土のような大きな塊と、その周辺に破片のようなものがいくつか落ちている。
宙さんはその大きな塊の隣にある段ボールの『ニパ』と書いてあるところを咄嗟に見た。
「そうだ…昨日ニパっていう子を飼ってたんだ…」
宙さんは、その大きな塊がニパであることをすぐに悟った。
宙さんは紅い液体の上を踏みながら、破片を避けて大きな塊へと近づく。 見知らぬ少年はその後をテクテクと子供のようについて行った。
「…あれ、何かが足りない…」
宙さんは違和感を感じていた。
宙さんは大きな塊を素手で切り開いて、その違和感を探す。
紅い液体が飛び散るものの、すでに大量に溢れ出ているせいか、少量だった。
「ない…何かがないんだ…きっと…」宙さんは黙々と違和感を探し続けていた。
すると、後ろから服の裾を引っ張られる感覚がした。
「みっぺ。」見知らぬ少年が宙さんを呼んでいる。
「ん、どうかしたの?」
「んぺ。」手を伸ばして、何かを差し出した。
『ピンクの管』だ。くねくねと蠢いている。
宙さんはそれを見た瞬間はっとした顔をして、すぐさま奪い取って握り潰した。
ピンクの管は骨が折れるような鈍い音を出して、パタリと動作しなくなった。
「これでいいはず…」宙さんは胸に手を当てた。
「だって、昨日バロウくんが教えてくれた通りしたんだもん…!」
昨日のことだった。
鉄田のいるリビングに声が届かぬよう外に出て、バロウは真剣な眼差しで宙さんを見た。
「おそらくだが…」バロウが口を開ける。
「あの謎の生物の皮を盗んだ、いや正確には” 食べた” 犯人は、 『ピンクの管』だ。」
「ピンクの管って、あの皮についてた長いあれ?」
「ああ。でも、あの時管があったか宙さんは覚えてるか?」
「あの時?」宙さんが首を傾げる。
「あのニパとかいう化け物を捨てに行った時だよ。その時の皮にピンクの管が残ってたか覚えてるか?」
「ごめん、流石に覚えてないかも…」
「まぁ無理もねぇか…多分気づいたのは俺だけなんだろうな。」
「でも今は俺の話を信じてくれ。ピンクの管が皮を 食ったかもしれない証拠はまだいくつかある。」
宙さんは真剣にバロウの話を聞いていた。少し頭の隅に違和感を抱えながら。
「実は、鉄田が宙さんが何かまた化け物を飼ってないか部屋の中を確認しに行ったんだ。」
宙さんはニパが中にいることを思い出して、一瞬ピクッと体が震えた。
「あいつは何もいなかったって言ってたよ。」
宙さんはその言葉にほっとしたが、すぐに真剣さを取り戻した。
ここで安心するような態度を取れば、ニパを部屋に隠していることがバレてしまう。
でもやはり、なにか疑惑が頭に残っている。
「でもな、実は俺は見たんだ。」
「ドアの隙間から、ピンクの管がうねうねと出てくるのが。」
「そのピンクの管はどうしたの?」
「何もしなかったよ。あいつの前だったし、手荒な真似はできないだろう。」
それを聞いた瞬間、宙さんの頭の中にあった違和感と疑惑がはっきりと色づくように鮮明になって行った。思わず話を止めて質問する。
「ねぇ、何で鉄田くんには何も言わないの?どうして内緒にするの?」
バロウはしばらく考え込んだ。
「…たとえいつも喧嘩をしあう人間であっても、戦争となったら守りたくなるもんなんだよ。」
宙さんにはその言葉がうまく伝わらなかった。
バロウは宙さんのポカンとした顔を見てクスッと一瞬笑い、改めて言い直した。
「とにかく、あいつにはこの問題は介入してほしくないんだよ。
できれば視野に入れることもやめておきたいんだ。」
「どうして?化け物が怖いから?」
「…まあそんなところだ。」
「話を戻そうか。ピンクの管の話だが、俺はさっき『ピンクの管が皮を食べた』って言ったよな?」
「そうだね。でも君は鉄田くんの前では盗まれたって嘘をついてたね。」
「あれは隠すために“仕方のないこと“だったんだよ。」
「そっか!仕方のないことだから何回しても大丈夫だもんね!」宙さんは自信げにそう言った。
「そんなこと誰に聞いたんだ?」バロウが首を傾げて質問する。
宙さんは思わず話そうと口を開けたが、それを教えてくれたのがニパだったことを思い出して咄嗟に目を逸らした。
バロウは一度宙さんをチラ見した後、特に気にもせず家の中に戻ろうとしていた。
「あ、ねぇ君の言ってる『ピンクの管が皮を食べた』ってどう言うこと?」
背中越しに、宙さんは大声で疑問をぶつけた。
足を止め、首の後ろをかいて一つ、 ため息を溢す。
「…多分、多分な。あくまで予想だ。」バロウはもったいぶる。
「ピンクの管、あいつが皮を食べると、管に皮の栄養が集まるだろ?その栄養満点の管を、また知らん化け物が食って、中でピンクの管が寄生虫みたいに隠れて、暴れて、爆発するんだ。」
バロウの説明する姿は、まるで確信がついた博士のようだった。
宙さんは物分かりが良かった。
「じゃあ、ピンクの管は見つけたら早めに処理した方がいいんだね!」
「ああ、その通りだ。見つけ次第動きを止めないと、次の寄生先は俺らかもしれねぇからな。 」
直後、家の中から鉄田の雄叫び声が聞こえてきた。
水がバシャンとこぼれ落ちる音が聴こえた。おそらく、足を滑らせたのだろう。
二人はすぐに振り返って家の中に駆け足で戻って行った。
宙さんは、忘れないようにバロウに言われたことを復唱する。
「ピンクの管は、見つけ次第動きを止める…次の寄生先は僕らかもしれない…」
「ピンクの管は、見つけ次第動きを止める…次の寄生先は僕らかもしれない…」
宙さんはバロウにピンクの管のことを報告しに行こうとした。
しかし、現在は朝の5時。二人が起きるのはその1時間も後だ。
それに、服が紅い液体で汚れている。この姿のままではまた迷惑をかけてしまう、そう考えた。
宙さんは他にもピンクの管が隠れていないか探すことにした。一つではないことは覚えている。
宙さんが辺りをくまなく探していると、見知らぬ少年もそれを手伝うように部屋の中を見てまわっていた。
あの少年は、おそらくニパの中から出てきたものだ。昨日のこともあって、なんとなく予想がつく。
しかし、その見知らぬ少年は、どこから見てもただの少年だった。
初めの子ともニパとも比べても、完全に人間の子だ。
強いて人間らしからぬ点を言うなら、言葉がわからないことくらい。
「んぺ。」見知らぬ少年が何かを指差す。
『ピンクの管』が小物入れの後ろをうねうねと入りこもろうとしている。
「あ、また見つけた!」宙さんはそれを手に取り、また同じように握り潰す。
見知らぬ少年は、満足そうに口角をキュッとあげた。 目は、笑ってない。
宙さんは、少年がなぜ笑っているのか、まだわからない。
お昼時、外は曇っていた。
天気予報でも午後から雨が降ると言っていた。今日は休日だし、家の中でゆっくり過ごそう。
鉄田はベランダを眺めながら、テレビを横目にコーヒーを飲んでいる。
テレビの音声が、耳に入る。
ー今日、7時半ごろに、T都市C区で謎の肉の塊のようなものが住宅近くのゴミ置き場に捨てられているのが発見されました。推定60cmほどの謎の肉の塊は、一部がわたのようなもので覆われており、 現在その正体を検察官が調査中です。
専門家の話によると、
「ー詳しくは不明ですが、内臓や骨の構造が人間とかなり類似しています。違う点では、眼球と耳がなく、食道と気管の分け目が胃から別れているところですかね。人間…とは言い難いですが、もしかするとUMAや絶滅危惧種あたりかもしれません。」
以上、最新のニュースでした。ー
ニュースは終わり、気づいた時には化粧品の広告が流れていた。
鉄田は思わず、コーヒーの入ったマグカップを机の上に落としてしまった。
口をぽかんと開けたまま唖然する鉄田を横目に、ベランダにはポツポツと斑点模様が出来上がっている。
雨が、降ってきた。鉄田の不安の感情を煽るように、雨は強さを増して行った。
「…まじですか…?」やっとの思いで声を出す。
テレビに出ていた謎の肉の塊、特徴からもきっと昨日突然消えてしまった皮のことだ。
状態が酷いのか、テレビに実物が映されることはなかったが、確実だろう。
にしても不思議だ。なぜ隣町で発見されたのか、なぜゴミ置き場に簡単に捨ててあったのか、そもそも誰が盗み、運んだのか。不快と疑問が残るばかりだ。
それに、“あの謎の生物の皮は推定でも1m以上はあった“はずだ。発見されたものはそれよりも40cm小さいことになる。
鉄田は眉間に皺を寄せて、口の前に手を置く。
ふと机の上をみると、今にもコーヒーが床にこぼれ落ちそうになるほど広がっていた。
鉄田はコーヒーを拭くため、ティッシュを探しに席を立つ。
「あ…」ふと昨日のことを思い出した。
そういえば昨日、皮の液体の掃除の時、床の隙間を拭き取るためにティッシュを大量に使ってしまったんだ。今は代えもないから買いに行くしかない。
鉄田は、ティッシュと、ついでに今日の晩御飯を買いにスーパーへ行く準備をし始めた。しかし、
ニュースのことが脳裏に染み付いていて、晩御飯のメニューが思いつかない。
あとでバロウにも伝えておこう…とは言っても、いつ帰ってくるかもわからないが。
バロウは鉄田が起きた6時2分よりも前に起きて、その数分後には外に颯爽と出かけて行った。
よくあることだった。気づけば外出している。それもいつもバラバラの時間帯で。
過去にどこに行っているのか問い詰めたが、頑なに話してはくれず、「晩御飯のメニューはどうする?」 や、「今日はテレビで芸人が過激なことをしていて面白かった」など流してくる。
…一瞬、いやな妄想をしてしまった。
すぐにそらそうと頭を振るが、中々脳みそからくっついて離れない。
一瞬の考えとはいえど、一度思いついてしまうと、人間というのは切り離せない生き物だ。
「もしかして、浮気でもしてるのか…?」
言葉にしてしまった後悔が、頭を重くする。
一言とはいえど、一度口に出してしまうと、人間というのは思いつめてしまう
哀しき生き物だ。
『 宙さん 』ー中編ー 終
〈解説〉
「ピンクの管」は、謎の生物の血管に紛れていた、一つの不思議な生物です。
リメイク前(TikTokにある漫画)では登場していませんが、重要人物(?)と言えるでしょう。
「ニパ」は警戒心が強く、攻撃的な性格です。
なので、ピンクの管を見つけた時、己の身を守るために噛みちぎりに行きました。
別に食べたかったわけではありません。
ピンクの管(左)とニパ(右)
ピンクの管は個体によって長さや太さがバラバラです。
ニパの口らしきところをよくみると、喉らしきパーツがありません。
この牙のある口は気管、声を出すところなので食堂ではないんです。食道のある口は、閉じているので見えませんが気管の口の下にあります。つまり、口が二つあるということですね。
だからニュースの場面で、食道と気管の分け目が胃から分かれているわけです。これは別に重要な設定ではないんですがね。
「見知らぬ少年」の名前はみっぺです。
ニパから脱皮したはずなのに、ニパよりも体が大きいです。
宙さんにピンクの管を渡した時のみっぺです。
今までの姿とは考えられないくらい人間に近しい見た目をしています。
でも、今までとは違い日本語が話せません。対句みたいな感じですね。
この小説を最後まで観覧してくださり有難うございます。
気分次第の投稿ですが、最後までお付き合いしていただけると嬉しいです。
それではまた、よい1日を。
コメント
1件
なるほど…!!!やっぱり物知りですね…。それにしても、少年も宙さんも、ニパさんも、その…ピンクの血管も謎が多い…けど、最後の説明とかでついていけてるのでありがたいです!!!少年の頭に乗ってるフワフワも気になりますね…!!!あと個人的には表現の仕方も好きです!!お体に気をつけて頑張ってください!!!