片橋五朗、二十二歳。
異世界での職業・山賊。
『人生の中で最大のピンチだ』と思った瞬間は三年前にも一度あった。父に『お前は健康なんだから、いい加減に就職しろ。最初はアルバイトからでもいいから、せめて働け』と言われたのだ。高校を中退して以来ずっと親の脛を齧って生きてきた彼だったが、とうとう死亡通告をされたという訳だ。
『働きたくないでござる』
素でそれしか考えずにしばらくずっと過ごしてきて、当然この先もそのつもりだった五朗だが、親は医者でもなければ大企業を動かす程の金持ちでもないので、部屋でダラダラしているだけだった彼が『働け』と言われるのは至極当然の事である。
どうせ近々働くのなら、ネットで最近噂になっている『神隠しの起きる神社』に彼は行ってみる事にした。上手いこと噂通りの手順で神隠しに遭い、異世界へと転移出来るのなら、物語みたいな人生をこの先は送れるかもしれない。もし駄目でも、そんなものは元々だ。
運がいいのか悪いのか、神隠しの噂は本当だった。
賽銭を入れて、『異世界へ行ってみたい』と心から強く願い、帰ろうと思って鳥居をくぐったら本当に異世界へ行く事が出来てしまったのだ。
——でも、現実は物語みたいに甘くなんてない。
ニートな彼は『異世界から来た勇者』にはなれなかったし、肉体派の戦士になることも、頭脳職である魔法使いにもなれなかった。昔同級生に返し忘れた本がネックで、盗賊系の職業にしか就けなかったのだ。随分と手厳しいが、現実の能力などが反映されるシステムの世界だったので『そういうもんだから』と諦めるしか無かった。
山賊なので村では暮らせず、インドア派なのに初日からサバイバル生活を強いられた。ゴブリンなどといった魔族が落とす干し肉や木の実で飢えを凌ぎ、装備を奪い取り、一人用のテントで寝泊まりをしながら細々と日銭を稼ぐ。
小銭を持って村に行っても、何から何まで『あ、アンタ盗賊系?んじゃ二倍の料金頂かないとねー。何か君がトラブル起こした時の保険、保険』と言われ、それじゃあ持ち物でも売ろうとしたら通常の半額で買い叩かれてしまって苦労が絶えない。
(……これじゃあ、元の世界で普通に働いた方が断然楽だったんじゃね?)
早々にその事に気付きはしても、当時はまだ帰る方法もわからず、能力値不足で転職も出来ず、自分よりも強い敵を相手にしなかった臆病者でもあった為一度も死なず。今までの三年間で五朗は“山賊”レベルが最高値になってしまった。ゴブリンやスライム相手では微々たる経験値しか得られなかったが、古いファミコンゲームの収集やプレイする事が趣味の一つだったドMな五朗にかかれば単純な経験値稼ぎも案外どうにかなるもので。その根気とMっ気があれば、元の世界のどこでだって普通に働く事も可能だったろうに、本当に何故その事に早く気が付かなかったのだろうか。
盗賊系でも、レベルが上ればそれなりには強い。 強いが……所詮は山賊。優秀そうなパーティーに絡んでも簡単に切り捨てられるモブ職業にすぎない。
『——向かい入れるメリットは俺達には在るのか?』
(『規格外にイケメン』『二人ともなんか強そう』『ソフィアさん可愛い最高結婚したい』と、三拍子揃った奴らにそう訊かれて『コレっす!』なんて言えるモノが自分にあるワケが無いじゃないっすかぁぁぁぁ!)
五朗が心の中で叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
二十二年間の人生を走馬灯でも見るかの勢いで振り返っても駄目だった。思い出すのは玩具やフィギュアに溢れた実家の自室、ドット絵のゲーム画面、色々なジャンルの漫画のカッコイイワンシーン。どれもこれも今思い出したからってどうにもならない、冒険の役になんか立つはずがないものばかりだ。
じっと黙り、ソフィアの方へ伸ばしていた手も止まったまま、五朗が固まっている。何も言葉が思い浮かばず、そのせいで額からは冷たい汗が流れ落ちた。
「……無い、みたいだな」
呆れたような雰囲気を纏い、焔がベンチから立ち上がろうとする。
すると五朗は「ま、待って下さい!」と大声をあげ、自分のズボンを両手でギュッ強く掴んだ。
「自分は!自分、は……元々ニートで、一応レベルカンストしてるけど『山賊』のままで、特殊技能も何も無い……ゴミみたいな、奴っす。『あれが出来る』『この能力で役に立てる』とか言えるもんが何にも無いけど……。——帰り、たいんです、元の世界に。でも自分だけじゃぁ魔王なんか倒せるワケがないし、かといって『山賊』じゃ勇者御一行に入れるはずがない。……でも、もう無理っす!サバイバル生活なんか暖かい部屋の中で、画面越しでだけやっていたい!好きな漫画の続きが読みたい!お気に入りのアニメの第四期だって気になるし、人気の映画だって観たいんっすよ!んでもって部屋にはソフィアさん向かい入れて、愛でて舐めて、着替えの衣装を作ってあげて、おめかしした彼の前でオナ——ゲフンッ」
思いが溢れ、暴走する。そんな自分の暴言を止めようと五朗は無理に咳をしたが……もう遅かった。
『今、最後の方で、すごく聞きたくない台詞が聞こえたような気が……』
ソフィアがドン引きしながら焔の背後にサッと隠れた。リアンはスンッと冷めた顔をしていて、コメントに苦しんでいる。
「すんません……こ、興奮気味なままだったので、つい本音が」と言いながら、五朗が顔を両手で覆った。
終わった——色々と、全て。
軽く勃ったままだったせいでついつい最後の方で本心が口をついて出てしまった。しかも絶対に仲間にしたくないと思わせるような言葉しか言えなかった。漫画やアニメのヒーロー達は何で土壇場のシーンで最高にカッコイイ台詞を言えるのだろうか?自分じゃ無理っす……——と、五朗は不思議でならない。
「人妻好きはどうかと思うが、お前は正直だな。いいんじゃないか?出来もしない嘘を並べ、思ってもいないご大層な目標を掲げる奴より、よっぽど好感が持てる」
ニッと口元で笑い、焔はリアンの方へ顔を向ける。
お遊びでつけたゲームネームのせいで随分と間違った勘違いをされてしまっているが、『違うっす!』と訂正する勇気は今の五朗には無い。
軽く尖ったリアンの耳を引っ張り、その耳元で「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねとも言うしな。ソフィアを随分と気に入っているようだし、このまま放置してもきっとコイツは後をついて来ると思うんだ。ならば監視下に置いておいた方が何かと楽なんじゃないか?」と小声で言った。
(声が、声が腰にくるっ)
今日はなんでこんなに耳攻めをしてくるのか。 焔の吐息のせいでそんな事しかまともに考えられず、「そ、そう……ですね」と、かろうじてしたリアンの返事は震えている。『山賊程度、走って振り切れば良いのでは?』とすら口に出来ない。
先程から何度も可笑しな反応をするリアンから手を離し、焔はソフィアを片手で掴んで膝の上に乗せた。
「転移者ならば放置もしづらいしな。元の世界へ帰りたいと願うなら、どうせついでだ。俺が叶えてやってもいいぞ」
「……へ?」
もう絶対に無理だ。 もう自分は一生元の世界へは帰れないんだ。 そう思って絶望し、此処がベルトで変身出来る魔法使いなライダーの世界だったらファントムになっちゃう寸前だった五朗は、驚きながら顔から手をゆっくりと離した。
「一緒に来るか?俺達は勇者御一行ではないが、それでもいいのなら——」
五朗が焔の言葉を遮り、「もちろんっす!会った事もない勇者とかなんかよりずっと魅力的っすから」と告げる。
ソフィアがいる。それだけでもう此処以上に自分が入りたいと思えるパーティーは無いだろう。もしあっても焔の様には受け入れてはもらえず、『山賊は帰れっ』と言われるのは火を見るよりも明らかだが。
瞳を輝かせ、五朗がその場でいきなり正座をしだした。半乾きでボサボサの髪を無理矢理手櫛で整え、背筋を正すと、眼鏡の位置をササッと直して真顔になる。
「片橋五朗。今は山賊っすけど、そのうちいつかはきっと別の職業に転職してみせますんで——」
焔の目がありそうな位置から視線を下げ、五朗がソフィアの無表情な顔っぽいものを真っ直ぐ見詰める。そして——
「結婚を確約した交際をする事を前提とした仲間に、自分となりましょう!」
(確定事項のみかよ。相手に選択肢与えてねぇし)
焔とリアンは揃って似た様な事を思ったが、丁度自分達の近くを馬が通過した事で、その言葉はそっと胸の奥にしまったのだった。
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