コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
この逃走路を通るのは十歳の頃以来なので、実に八年ぶりの事となる。相変わらず埃っぽく、薄暗くて少し息苦しい。あの頃よりも通路が狭く感じるのは、当時よりも自分が大きくなったからだろう。
何処まで進んでも人が侵入した形跡は相変わらず無い。 祖父の急死以後、この場所の正確な位置が不明になったと父か言っていた。古い文献や日誌などを読み解き、何年もかけて探し当てた父も突然行方不明になったので、もうこの隠し通路の場所どころか、存在を知る者は私一人だけになったのだろう。そのおかげで今誰かに見付かる心配が無いのはありがたい。
前に進む度に、カツカツと靴音が通路の中で響いている。時間はもうあまり無いからか焦る気持ちが歩みを早くさせ、響く靴音も一層激しくなっていった。
『……確か、この辺りだったはず』
出口まで程近い、何の変哲もない壁の前で立ち止まる。あの日父がやったように隠された仕掛けをいじると、重たい扉が、ギ、ギギギッと音を立てて勝手に開き始めた。あの時と同じく扉が開いている間は室内に灯りはなく、深い闇が目の前に現れる。廊下からの灯り程度では掻き消せない程の真っ暗闇だ。扉が勝手に閉じる事がないのはあの日の父の行動でちゃんと覚えている。なのでこのまま中に入っても大丈夫なはずだ。
手に魔力を集め、火を灯す。攻撃魔法は相変わらず下手なままだが、生活魔法なら随分と上達したから、このくらいならお手のものになったおかげで暗闇ももう平気だ。
部屋の中心辺りに灯りを放って、室内を灯す。すると、部屋の全貌が明らかとなり、私は思わず『——うっ』と呻き声をこぼした。壁や床に、あたり一面爪で引っ掻いた形跡や血の跡が残り、私の知っている“この部屋”とは全然違ったものと化していたからだ。
もうこれは……地獄絵図と言っても過言ではないだろう。
空気が篭っているせいでまだ少し悪臭がする。汚物や血、嘔吐物を混ぜ合わせたみたいな臭いが鼻につく。ハンカチをポケットから取り出し、口元に当てて室内を進む。相変わらず室内は少し暑い。だからか、遺体の前に立つと、父の体はもうすっかり白骨化していた。
目的の品がないかを探す為に白骨体の前にしゃがみ込む。こんな状態なせいでコレが“父”であったという実感がなく、何も心が動かない。そもそも親愛の情すらもなかったような間柄だからかもしれないが、自分の冷たさを痛感した事で少しだけ悲しい気持ちになった。
『あった。これだ』
骨だけになっている指にはまったままになっている“当主の指輪”を掴んで持ち上げると、骨がボロッと崩れて落ちていった。
父が突然行方不明になった当時。シリウス公爵家は大混乱に陥った。当主の指輪も無く、残されたメモや手紙なども無いため、消息を追うことも不可能だった。私だけが『此処の部屋に居るのでは?』と思ったが、誰かに話すような事はしなかった。じわりじわりと死ねばいい。散々私が言われてきたみたいに『自業自得だ』と何度も自分に言い聞かせ、私は沈黙を貫いたのだ。
(まぁ……正直に話した所で、誰も信じなかっただろうしね)
跡取りであった兄のアエストは当時まだ十三歳だった為、緊急処置として叔父が当主代理となった。
本物の“当主の指輪”はどうする事も出来ず、同等の権能を持つ予備の模造品で誤魔化す事に。
兄が成人するまでの間だけ叔父が当主代理を務めるはずが、三年前に兄も死に、今もまだ叔父の激務が続いている。だけどこの指輪があれば、叔父は実権を持ち、もっと仕事がやりやすくなるはずだ。
聖女候補である“ティアン”が消えれば直系の者はヌスク叔父様だけになるから、流石に周囲も叔父の意見には逆らえなくなるだろう。“聖痕持ち”も“聖女候補”も居ない五大家はいずれ『公爵』から『侯爵』へ格下げされるが、それでも身分が高い事には変わりない。真っ当に領地を治めている叔父は領民からの支持もあるし、“ティアン”が消えれば、きっと何もかもが上手くいくはずだ。
姉の部屋から持ってきた便箋を取り出し、自分はもうこの家からは去る事、叔父に実権を譲る旨を“ティアン”っぽく書き記し、その紙で指輪を包んだ。運良くこの便箋は“バタフライメール”の魔法が付与されているから、書き終えてから綺麗に折って届け先のイメージを紙に込めると、透明な蝶に姿を変えて希望の相手の元まで飛んで行ってくれる。この便箋はセレネ公爵家が獣人達から仕入れているマジックアイテムの一つで、とても高価な物であり、豪商か貴族でないと使えない。この蝶が送り先に届くまでは送り主と受取人にしか見る事も触れる事も出来ない為、秘匿したい手紙を送る時にも重宝されている。こんなふうに小さな物なら包んで送る事も可能なので、恋人へのプレゼントを贈る時などにも活用されているそうだ。
『“ティアン”の部屋までお願いね』
ふわりと浮いている蝶に声を掛けると、蝶は壁をも通過して送り先まで飛んで行った。
『よし』と呟き、その場で立ち上がる。目の前には父の遺骨があるが、私はそのまま背を向け、部屋の隅にある隠し金庫を開けて中の物を取り出してから出口へ足を向けた。
あの時と変わらず、私は父の消息を誰かに伝える気は更々無い。
聖女候補の妹として、今は聖女候補本人になった身では、決して選んではいけない選択だと分かってはいるが、こんな場所を知っている理由を説明出来ないままだし、娘を殺そうとした父への恨みもまだ深く胸の内に残っている。
『私も、姉さんも……“聖女”なんて役職には、全然向いていないね』
ぽつりと呟き、私は隠し部屋を出て、もう永遠に開く事のない扉を完全に閉じた。八年前、この部屋に父が入った後一体どうして扉が閉まってしまったのだろうか?という疑問も、父と共に中へ置き去りにして…… 。