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「嫌がっているのが解からないか? しつこいのは嫌われるぞ」
男子学生はぎょっとなって、すかさず私から離れた。
「男女交際は自由だが、学生の本分もわきまえた方がいい」
「は、はい、すみません」
私と目も合わせないまま、男子生徒はすごすごと去って行った。
聡一朗さんも私を一瞥するだけでその場を去って行く。
慌てて私は後を追いかけて、人気がない所で話しかけた。
「あの、ありがとうございました」
「いやいい」
聡一朗さんは歩みを止めず、前を向いたまま返した。
そっけないその態度に、私は少し不安になる。
「きちんと拒否すべきだったんですけれど……ごめんなさい」
「謝らなくていい。君がどこの男とどうしようが、俺は別にかまわないから」
「え……?」
思わず立ち止まった私に、聡一朗さんが振り返った。
「俺が君を愛することはない。だから、他の男と関係を持つことも禁じない」
聡一朗さんはあの冷淡にも見える無表情な顔で、淡々と続けた。
「結婚をしてもらって君の人生を奪ってしまった以上、俺は君をできるかぎり幸せにしたいし、不自由をかけさせたくない。それは恋愛感情でも同じだ。俺以外の男を好いても別にかまわない。ただ、あまり大学教授の妻としての体裁を気にせず大胆にされても困るがね」
「……」
「さっきは明らかに君が嫌がっているようだったから助けただけだ。だが君の年齢なら、俺なんかより同じ学生の方が気が合うんじゃないのかい」
そう言い残すと、聡一朗さんは去って行ってしまった。
私はただ茫然とその後姿を見送っていた。
一度も振り返ることなく遠くなっていく背中を見つめる目からは、いつの間にか涙が零れていた。
聡一朗さんの無表情が頭に焼き付いていた。
私が誰と恋愛関係になろうがかまわない。
『俺が君を愛することはない』から――。
引き裂かれるように胸が痛かった。
でも私に聡一朗さんを責める資格はないのだ。契約。それが私達を繋ぎ止める唯一のものなのだから。
逃げるように駆け込んだのは図書館だった。
そうしてあの地下書庫に目指したのは、ここなら誰の目にも止まらないと思ったから。
古い本の匂いを感じながら、私は涙を止めることはできなかった。
胸がどうしようもなく痛かった。
悲しくて、みじめで、やりきれなかった。
私、聡一朗さんのことが好きなんだ。
本当はなんとなく気付いていた。認めたくなかっただけだ。
今はっきりとそれを痛感した今、そして同時にその想いが決して叶うことがないのだと思い知った今、私は切なさと悲しみに押し流されるしかなかった。
泣いて、ひとしきり泣いて、どれくらい経っただろう。
不思議なことに、気持ちがすっきりしてきた。
頭はぼーっとしている。
こんなに泣いたのは、両親が死んだ時以来だ。
あの時は、どうして自分も一緒に死ななかったんだろうとネガティブなことばかり考えた。
もう生きていたくない。
この先なにをしても生きている気がしない――そう思っていたのに、今はこうして人に恋して、失恋して、泣いている。
人って前に進めるんだな。
なにを今さら悲しむんだろう。
私たちに恋愛感情がないことくらい、最初から解っていたことじゃないか。
別に聡一朗さんを失ったわけじゃない。
私たちの奇妙な共同生活は、この先もずっと続くのに。
私はそっと本棚に眠る絵本たちを撫でた。
聡一朗さんと出会うきっかけになった絵本たち。
両親の死から立ち直ることができて、好きだった絵本に、こうしてまたときめくこともできるようになった。
ふと、自分も持っている絵本を見つけて、開いてみた。
大好きなお話のひとつだった。
孤児で誰からも愛されなくても、我が身を犠牲にして周りに愛を与えた少女のお話。
感動して、こんな清らかな女性になりたいと思った。
私は両親を失った悲しみから抜け出して、聡一朗さんのおかげでこうして自由に絵本を読めて、不自由なく暮らせている。
なのに、これ以上の幸福を求めるなんて、いつの間にか私はなんて贅沢になっていたのだろう。
なんだか、元気が出てきた気がする。
どん底の悲しみを味わうと、人は強くなれるらしい。
優しい微笑を浮かべて少女の頬をそっと撫でて、私は誓った。
私は聡一朗さんのことが、今も、この先も好き。
愛されなくてもいい。
私がめいっぱいあの人を愛せれば、それだけでいい。