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それから更に一時間は話し、さすがにもうこれ以上は飲めないなと思いながら「ちょっとトイレ行く」と、席を立つ。
「おう。戻ったらそろそろ出るか。もう一軒は…… さすがに俺はキツイから帰るよ」
「問題ない、俺ももう無理だ」と、俺も桐生に同意した。
(確か、こっちの奥とか言ってたよな。右…… だったか?)
酔っているせいか記憶があやふやだ。
「——お客様、お手洗いをお探しですか?」
迷う様に周囲を見ていたからか、あの小さい店員が俺に声を掛けてきた。
「ああ」と短く返事をする。
「こちらになります」
丁寧な仕草で、右の方だと教えてくれる。
「ありがとう」
頷きながら礼を言い、そっちへ行こうとした時、不覚にも壁に顔をぶつけてしまった。
「いたっ!」
なんだってこんな事やってんだ、まずいな久しぶりで飲みすぎたか。
顔を押えている俺に彼女が心配そうな顔をした。
「だ、大丈夫ですか?今、冷たいタオルをお持ちしますね!」
慌てて彼女が店の奥へ行こうとする。それを止める為、俺は咄嗟に彼女の腕をガッと掴んだ。
「いや、そこまではいいから」と言いはしたが、それなりには痛いから赤くなっていそうだ。
「ですが…… 」
「大丈夫、本当に平気だから」
「わかりました」
そうと言いながらも、やはり心配そうに見上げてくるので、頭を撫でてやる。丁度いい高さでついやってしまった。素面だったら絶対にやらないのに、酒の魔力は恐ろしい…… 。
ちょっとビクッとされたが、意外な事に彼女は嫌がらなかった。
「——お客様、そういった行為は店員には控えて頂けませんか?」
彼女の後ろから、別の男性店員が声を掛けてきた。まるでナイトの登場といった雰囲気だ。
「先輩も、何やってるんですか」
彼の声色がちょっと怒っている。
「ご、ごめんね。お客様が顔をぶつけてしまったんで心配で…… 」
「それで、どうして頭を撫でられてるんです?」
「痛そうだったから心配していたら、今度は心配させてしまったみたいで…… 」
「ったく…… 。あとは俺が引き受けますから、先輩は五番さんに料理運んで下さい」
ふぅと息を吐き、男性店員が彼女に指示をした。まるでこっそり付き合っているカップルの、彼氏側みたいな雰囲気である。
「あ、うん。すみませんお客様。私はこれで…… 」
頭を下げ、彼女は小走りで駆けて行った。
トイレを済ませ、自分達の個室に戻ると、小さな彼女が桐生と一緒に待っていた。
「遅かったな、唯ちゃん心配して氷持って来てくれたんだぞ?顔をぶつけるなんてお前らしくもないな」
「別によかったのに…… 」
「いえ、私の案内が悪かったので。申し訳ありませんでした」
氷の入ったビニール袋におしぼりを巻いたものを差し出され、仕方なく受け取っておでこに当てる。酔ってるせいで顔が熱かったから、丁度良いかもしれないな。
「あの、こちらお詫びに割引券を持って来ましたので、よかったら次回お使い下さい」
「え?いや、いらない。本当にそこまでの事じゃないんだ」
勝手にぶつかったのはこっちなのに、そもそもなんの『お詫び』だ。
「ですが…… 」
「受け取ってやれよ。お前に、何かしてやりたいんだろう?」
『お前』の部分がやけに強調されている。なんだよその何か含みのある言い方は。
「…… そこに置いておいて」
熱意に負け、渋々ではあったが受け取る事にした。
「あ、はい!ではこちらに置かせて頂きますね」
やたらと嬉しそうに言われ、少しドキッとしてしまった。
ちょんっとその券を置き「追加のご注文はなかったですか?」と訊かれたので、もう帰る旨を伝える。
「では、お会計の用意をいたしますので伝表をお預かりいたします。お帰りの準備が終わりましたら出口の会計までいらして下さい。本日もご来店ありがとうございました」
一礼し、彼女が背中を向ける。
襖を開けて彼女が出て行く時、さっきの男性店員が側に居て、目が合った。俺達は『客』と『店員』という立場なのに、彼が無遠慮に俺を睨む。
(そこまで何を警戒してるんだか)
不快な感情を隠せないのは、若さ故だろう。