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■ 冒頭:いつもの日常 (明るさの中に未来の影)
昼下がりの職場は、今日もゆるく賑やかだった。
「ナコハさーん、これ食べます? 昨日の残りだけど美味しいよ」
「また? ありがとう、でも三日連続だよ? 絶対作りすぎでしょ」
「ほら、うちの母がさ、作る量の感覚バグってるんですよ」
そんな他愛もない会話が、午後の眠気をほどよく散らしてくれる。
社食なんて立派なものはないけれど、同僚がよく弁当を差し入れてくれるせいで、
この部署はいつも“腹が満ちて人間関係も満ちている場所”だった。
私は、クズミ ナコハ(42)。
器用に立ち回れるわけじゃない。
誰かに取り入る才能も、成果を数字で積み上げる力も、とくにない。
ただ、
「この職場の空気が好きだなあ」
と思いながら、静かに、淡々と、日々の仕事を回していた。
それで充分“充実”だった。
――2026年の、あの日までは。
■ じわじわ忍び寄る制度の影
三月の終わり。
社内Slackの上部に、妙に堅い文章が固定された。
〈 少数精鋭経営推進法 施行に伴う組織見直しについて 〉
「なんか難しそうな名前だね」
「いやでも、うち中小だし関係なくない?」
「まあ、大企業ほどやばいでしょ。うちは“ゆるゆる”だし」
誰も深刻には受け取っていなかった。
私もそうだった。
ただ、その日の夕方。
人事部の主任が、どこか沈んだ顔で私にだけこう言った。
「ナコハさん、今日ちょっと気をつけて帰ってね」
「え、え? なんで?」
「……いや、なんとなく。ごめん」
意味不明だった。
でも胸の奥が、少しだけひやっとした。
■ひとり、またひとり
最初に姿を消したのは、
課長に甘えるのが上手い女性社員だった。
昨日まで普通に笑っていたのに、
翌日には席が空いていた。
「え、休み?」
「なんか、異動じゃない?」
噂が飛び交うけれど、確証はない。
翌週、成果横取りで有名だった男性社員が退職扱いになった。
社内Wikiから名前がきれいに消えていた。
“なかったこと”にされるような消え方だった。
妙な静けさが職場に流れ始める。
■そして、気づく
ある朝出社すると、
フロアの半分以上の席が空いていた。
まだ温かさの残るマグカップも、
充電されたままのイヤホンも、
読みかけの書類もそのままなのに、
“持ち主だけがいない”。
私は思わず総務に聞いた。
「今日、みんなどこに?」
総務の女性は、少し困った顔で言った。
「さっき発表があったの。見てないの?」
「え、まだ…」
「……新社長の判断で、人員整理。
“初期対象”が一斉に」
胸が固まった。
頭が動かない。
私の席の周りだけ、ぽつんと取り残されていた。
私は、ナコハは——
“初期対象”に入っていなかった。
理由はわからない。
でも結果だけが、静かにそこにあった。
そしてその瞬間、私は気づいた。
私以外、いなくなってた。
◆消えていく同僚たち、と ナコハ
■ Scene 1:弁当の彼
冷蔵庫の最上段。
いつも入っていた手作り弁当が、今日は無い。
「今日、珍しくないね」
と言おうとした相手は、もう出社していなかった。
■ Scene 2:課長に甘える女性
「ねえ課長~、これ見てくださいよ~」
あの声が聞こえない。
席には新品のストールだけが忘れられていた。
■ Scene 3:成果横取りの男
彼のPCはまだ電源が入っている。
未送信のメールが画面に残っている。
「例の案件、俺のモノ――」
カーソルが途中で止まったまま、
彼だけが消えていた。
■ Scene 4:昼休みの雑談組
三人がいつも食べていた島。
今日はひとつも弁当が置かれていない。
でも椅子は微妙にずれ、
“さっきまで誰かがいた”気配だけが残る。
■ Scene 5:ナコハ
残ったのは私ひとり。
机の間を抜ける風の音がやけに冷たくて、
パソコンの起動音だけがやけに大きい。
私は、
なぜか“選ばれて残された側”だった。