翌日綾子は仕事帰りに大型ショッピングセンターの手芸コーナーに寄った。そこで刺繍キットを物色する。
綾子は『God』に会った際刺繍をプレゼントをしようと思っていた。何かお礼をしたいと思い色々考えた末これにした。
神楽坂仁ほどの人物になれば高価な物や珍しい物はなんでも手に入るだろう。
それに綾子があれこれと悩みながら贈り物を探しても田舎町ではなかなか良い物は手に入らない。だから一針一針感謝の気持ちを込めて作った刺繍をプレゼントする事にした。
(そうは言ってもあまり時間がないから大きい作品は作れないかな…)
そう思いながら見ているとあるキットに目が留まった。
綾子一目でその刺繍のデザインに惹かれた。それは秋をイメージした赤・オレンジ・黄の木の葉に彩られた一本の樹木の刺繍だった。木の根元には落ち葉が重なりあっている。
それはあの日公園から『God』が送ってくれた写真の風景に似ていた。
セットされているフレームはライトブラウンのナチュラルウッド製なのでどんな部屋にも合うだろう。
綾子はそのキットに一目惚れした。
(これにしよう)
これまでの二人のやり取りの1コマを切り取ったかのようなデザインに綾子の胸は躍った。
少しでも早く刺繍を始めたかった綾子は夕食を作る時間も惜しくなりその日は弁当を買って帰った。
弁当を食べ終えるとすぐに刺繍を始めた。
一針一針丁寧に針を刺していく。夢中になって続けているとふと誰かの視線を感じた。
綾子は窓の方を見る。しかし窓にはカーテンが閉まっていた。
(不思議ね……)
その瞬間綾子はハッとする。視線を感じた方向には理人のフォトフレームが置いてあった。
「理人も見ていたのね? どう? この刺繍で『God』さんは喜んでくれるかしら?」
綾子は無意識に語りかける。しかし理人の写真に変化はない。
(理人はイマイチって思ってるのかなぁ?)
綾子がそんな風に思っていると何かがふわりと膝の上に落ちた。
綾子は不思議に思いながら落ちてきた物を指でつまんだ。それは真っ白くて小さな小鳥の羽根だった。
(小さな羽根……こんな小さな羽根の鳥がいたかしら?)
綾子はそう思いながら再びハッとした。
(そっか、理人がこれでいいよって合図をくれたんだわ)
綾子がもう一度写真を見ると写真の中の理人はさっきよりも笑っているように見えた。
綾子はホッと息をつくとその小さな羽根を見つめる。
(フフッ、ちっちゃくってまるで天使の羽根みたい。理人、あなたは天使に生まれ変わったのかしら?)
綾子は天使の羽根を持って窓辺まで行くと写真と一緒にその羽根をフォトフレームの中に収めた。
(違う世界にいてもあなたはこうして合図を送ってくれる。ママはそれで充分幸せよ)
穏やかな表情を浮かべた綾子はしばらく理人の写真を見つめた。
それからソファーに戻ると刺繍の続きを始めた。
そしていよいよ土曜の朝が来た。
仁はjeepに乗り込むと忘れ物がないかをチェックする。
「理人君と綾子ちゃんのプレゼントよーし、着替えよーし、原稿よーし、ノートパソコンもよーし、あとはなんだ? ま、とりあえずこれだけあればなんとかなるだろう」
それから仁は軽井沢へ向けて出発した。
高速を進むごとに季節は初秋から晩秋へと変わり徐々に初冬の雰囲気を漂わせている。目的のインターに着く頃にはかなり気温も下がっていた。
軽井沢のこの時期の最低気温は氷点下になる日も多く早ければ雪がちらつく日もある。とはいえ温暖化の影響で突然暖かくもなったりするので最近では気温を読むのも難しい。
(去年来た時も雪は少なかったし今年の冬は一体どうなるんだろうな?)
そんな事を思いながら仁は高速を降りた。
いつものスーパーに寄ってから別荘へ向かった。
別荘へ到着し家に入ると薪ストーブの横には薪が置かれていた。管理のスタッフが用意してくれたのだろう。
室内の温度計を見ると10度を切っていた。
(寒いなー)
仁は早速薪ストーブに火を入れてからキッチンへ向かいコーヒーを淹れ始める。
(今日はとりあえず綾子と食事をしてからその後どうする? いきなりうちに来てもらうのはマズいだろうから原稿を読んでもらうにはやっぱりカフェかな?)
その時コーヒーのドリップが終わったので仁はカップにコーヒーを入れた。
その頃綾子は何を着て行こうか悩んでいた。
お洒落し過ぎても変だろうしかといってジーンズでという訳にもいかない。
こんな風に悩むのはいつ以来だろうと綾子は考える。
(24歳の時に付き合ってた人とのデート以来かも?)
あまりにも懐かしくて思わずフフッと笑う。
その時道の駅で会った神楽坂仁の事を思い出した。
今日は本当にあの男性が来るのだろうか? 勝手に決めつけているが自分の推理が全く外れている可能性だってある。そうなると決めつけ過ぎも怖いような気がした。
(全く違う人が来る可能性もあるのよ…その事を忘れないで)
綾子は自分の推理が外れた時のショックを和らげるためにあえて自分に言い聞かせた。
そして結局無難な服を選ぶ。
Vネックのオフホワイトのセーターにブラン系のフレアースカートを合わせる事にした。スカートは大柄チェックのロング丈だ。
これにブーツを履いて行く。
『God』が指定したレストランは綾子の家から歩いて行ける距離だった。
綾子は車で行くか徒歩にするか散々悩んだが結局歩いて行く事にした。
約束の時間が迫って来たので綾子は緊張気味に家を出た。もちろんプレゼント用にラッピングした刺繍のフレームも持って出た。
10分ほど歩くと漸くレストランが見えてきた。レストランは別荘地の外れにあり森に囲まれている。
綾子はこの店には一度も来た事がなかった。
以前叔母のたまきがこの店の話しをしていたのを覚えている。
フレンチの店で雰囲気もよく料理もとても美味しいと言っていた。当時綾子は引きこもりがちだったので綾子が外に出る気になったら連れて行ってくれるとたまきは言っていた。しかしまさかそれよりも先に一人で来るとは思ってもいなかった。
店の前に到着すると駐車場には黒のjeepが停まっていた。それを見た瞬間綾子の心臓がドクドクと音を立て始める。
(深呼吸して、綾子!)
綾子はフーッと息を吸い込むと勇気を出して店のドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
「あ、あの待ち合わせをしているのですが」
笑顔のスタッフはすぐにわかったようで奥の席へと案内してくれた。
綾子が歩いて行くと窓際に一人の男性が座っているのが見えた。
黒のシャツに黒のテーラードジャケット、そしてダークグレーのパンツを履いている。その洗練されたファッションは男性によく似合っていた。
気配に気づいた男性がこちらを見た時二人の目が合った。
その瞬間綾子の目頭が熱くなる。
(神楽坂先生……)
仁の表情も緊張で少し強張っているように見えた。
綾子がテーブルに近づくと仁は立ち上がって綾子に挨拶をした。
「どうも、初めまして『God』です。あ、初めましてじゃなかったね」
仁はニッコリと微笑むと右手を差し出した。
綾子は溢れそうな涙を必死にこらえると微笑んで挨拶を返す。
「こんばんは『エンジェル』です。今日はお誘いいただきありがとうございます」
綾子は少し緊張して仁の手を握った。その手のひらは大きくてとてもあたたかかった。
二人はギュッと握手を交わしたまましばらく見つめ合う。
「どうぞ座って」
「はい」
「俺を見て驚かないって事はもしかしてバレてた?」
「はい」
「なんだーバレてたのかー、そりゃ残念だなー君の驚く顔が見たかったのになー」
仁は残念そうに言った。
「フフッ、すみません」
その時店のスタッフが来たので仁が綾子に飲み物は何がいいかを聞いた。
「俺は車だからノンアルコールにします」
「じゃあ私も」
「今日は車? 歩き? 歩きなら飲んだら?」
「歩きですがノンアルで大丈夫です」
「そう? じゃあノンアルを二つ……えっとここはノンアルのペアリングはあったよね?」
「はい、ございます」
「じゃあ二人ともそれでお願いします」
「かしこまりました」
スタッフがテーブルを離れるとすぐに仁が聞いた。
「一体何でバレたんだ? いつ頃わかったの?」
「ほんの4~5日前です」
「何でバレたのかな?」
「神楽坂先生にお会いするから予備知識を入れておこうと過去のインタビュー記事を読んだんです。その時に気付きました」
「え? 何の記事? 俺なんか言ってた?」
「観葉植物が好きでいくつも買うくせに水をあげ過ぎて枯らすとか、得意な料理はトースターでパンを焼く事とカップ麺のお湯を沸かす事とか?」
「え? 俺インタビューでそんな事言ってた?」
「はい、仰っていました。もう5年くらい前の記事でしたが」
「あちゃーそっかー、俺そんな事をべらべらと喋ってたのかー」
仁が参ったなという顔をしたので思わず綾子がフフッと笑った。そして仁に聞いた。
「道の駅でお会いした時になぜ仰って下さらなかったのですか?」
「そうだよね、いやあの時は嘘をついているのがバレたら君に嫌われちゃうかもって思って言えなかったんだ」
綾子はそんな事では嫌わないのにと心の中で思った。すると仁が続けた。
「ついでに白状しますが俺が【月夜のおしゃべり】に登録したのはドラマ作りの為だったんだよ」
「ドラマ作りの為?」
「うん、新作は『メールフレンドから始まる恋』にしてくれってテレビ局に言われてね。で、実際に体験してから書こうと思ったって訳」
「そうだったんですね。それを聞いて納得しました。だってまさか有名作家の先生があのサイトにいるなんて思いもしませんでしたから。だから今日もここに来るまでは半分は信じていなかったです。勘違いかもしれないって」
「『God』は別にいるかもしれないって思ってた?」
「はい。正直まだ信じられません。別にいるんじゃないかって」
「ハハッ、申し訳ない。いやー騙したような形になっちゃってごめんね」
「いえ、びっくりしましたが大丈夫です」
「それなら良かったよ」
「そう言えば道の駅でお会いした時の声と電話の声、似ているってなんで気付かなかったんだろう?」
「俺は正直声でバレるんじゃないかとひやひやしてたよ」
「フフッ、私結構鈍感なので…」
「綾子ちゃんが鈍感なお陰で助かったよ」
仁に『綾子ちゃん』と呼ばれたので綾子はドキッとする。
その時アミューズとカクテルが運ばれてきた。
綾子のカクテルは淡いピンク色、仁のカクテルはホワイトだった。
綾子がグラスを持つと仁が言った。
「では、天使と神のリアルな出会いに乾杯!」
二人は微笑んでグラスをカチンと合わせた。そしてカクテルを一口飲む。
「ほんのり甘くて美味しい」
「こっちは少し辛口だな。ノンアルなのに雰囲気で酔えそうだよね」
そこで仁がサーモンとビーツのアミューズを食べ始めたので綾子も食べる。
サーモンの塩味とビーツの甘さ、それにモツァレラチーズがほどよく絡んでとても美味だった。
更に前菜が運ばれてきた。
二人は食事をしながら話を始めた。
仁はこれまで疑問に思っていた事を綾子に質問する。
東京には時々帰る事はあるのか? 軽井沢での暮らしは一時的なものなのか永久的に住む予定なのか? また工場の光江の話でも盛り上がる。これまで綾子から何度も聞いていた『光江』に仁は興味津々だ。
「本当はドラマの中に『リアル光江』を登場させたかったんだけど詳細を知らなかったからこっちで勝手にキャラを作っちゃったよ」
「そうなんですか? 光江さんは先生の大ファンなのでもし自分がモデルになっていると知ったらきっと喜びます」
「そう? ちなみに役名は『光江』じゃなくて『光子』にしたからすぐわかるよ。あのドラマは『天使』が『光』に導かれ『神』と出会い幸せになる設定だからね」
「なるほど。確かに私のハンドルネームは『エンジェル』ですし先生は『God』ですものね。あ、でも名前を『God』にしたのは『神楽坂』から一文字取ったからですか?」
「うん、実は俺の本名は神谷仁っていうんだ。だからどっちかっていったら本名から取った感じかな?」
「本名にも『神』の字が入っているんですね」
「そう」
その時スープが運ばれてきた。メニューを見ると『生姜香るキノコのポタージュ』と書かれてあった。
「ポタージュに生姜が入っているんですね…美味しそう」
綾子は嬉しそうだ。
二人は二度目の対面だがほぼ初対面といってもいい。それなのにごく自然に会話が弾んでいた。
もちろんこれまでにメールや電話で沢山会話を重ねているので慣れているからかもしれない。それでもバーチャルな出会いからリアルな出会いへ移行してすぐにリラックスして会話を楽しめている。
目の前で笑顔で話しをする綾子を見て仁は胸がいっぱいになる。
感慨深い思いに浸りながら仁は美味しい食事と綾子との会話を心から楽しんだ。
コメント
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なんて素敵なストーリー☆ 理人くんが大好きな母を想い、僕はもう一度お母さんのところへ産まれてくるからね☆と、Godを選び、天使のbreathで引き寄せ、幸せへと誘う感じがします☆ 全ては、偶然ではなく天使(理人くん)による必然…なのかな? これからも目が離せない!
私たちも仁さんと同じくドキドキ💓からの二人の対面シーンを想像して胸がいっぱいの幸せな気持ちになりました💖🥹この後お互いの想いを伝えるプレゼント🎁交換にワクワクしちゃいます👍✨☺️
エンジェルさんとGodさん、やっと逢えましたね✨ 本当に嬉しい~😭💓 ほぼ初対面に近いのに、二人の会話がとても和やかで自然なのに驚かされます❣️ メールと電話を通じて ずっと綾子さんに優しく寄り添い続けた仁さん.... 心を開き 笑顔で話しをする綾子さんを見つめ 嬉しそうな彼の様子に、 こちらまで幸せを感じてしまいます🍀✨ 理人君もきっと、ママの幸せを応援してくれていますね👼✨ 刺繍作品を作る 綾子さんの元に舞い降りてきた、小さな白い羽根に 思わずうるうる....🥺💖 プレゼント交換も楽しみだし💎🚗、お食事の後 どうするのかなぁ....とか、 もうワクワクが止まりません💝✨