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Side 慎太郎


睦石荘に入って数年が経った。

俺は少し前から、新聞社に勤め始めた。シベリアから帰ってきた陸軍の大尉が、伝手を利用して斡旋してくれたのである。元々、マスメディアが好きだったからとても嬉しい。

「じゃあ行ってきます……あれ?」

居間にいた北斗さんに声を掛けてから出ようとするが、そこに彼の姿は見えなかった。

すると後ろから声がある。

「一緒に出ましょう。今日は早いので」

振り返ったところに立っていたのは、北斗さんだった。しかしその出立ちはいつもと違う。紺色のジャケットに身を包んでいた。

「わあっ、今日は背広なんですね。へえ、初めて見ましたがお似合いじゃないですか!」

彼は照れ笑いをこぼした。

「大学に行くときはいつも背広です。時間が合ったのは初めてなので見たことがなかったんですね」

北斗さんは、今年の春から大学に行っていた。大好きな文学の勉強をしているらしい。

「遅れてはいけませんし、行きましょうか」

二人で荘を出た。

「講義が始まる時間が早いんですよ。試験の前だから」

そうなんですねぇ、と相槌を打つ。

「そうだ、今日は新しく完成した丸ノ内ビルヂングの取材に行くんですよ。記事も俺が書くので、出来上がったら読んでくださいね」

「もちろん。慎太郎さんのところは欠かさず読んでいますよ」

俺は嬉しくなる。北斗さんは、自分が書いたと報告した記事は全て目を通してくれる。優しい人だ。

最寄り駅までは一緒だった。そこから、それぞれ反対向きの列車に乗る。

「ではまた。どうか頑張って」

「慎太郎さんも。では」

手を軽く振り合って、プラットフォームへと消えていく。

友人のようで家族のようでもある。こんな不思議な関係が、俺はなぜか好きだった。

いつもは余裕を持って乗る列車を、今日は彼と話していて一本乗り過ごしてしまった。新聞社までの道を少し早足で歩く。何とか間に合って、社会部のデスクにやってきた。

「おはようございます」

おはよう、と応えた上司はさっそく取材の資料を渡してくる。

「今日からひとりで行ってみないか。もう君には十分な素質が備わっている」

それを聞き、驚いた。「本当ですか」

今までは、教育係の先輩がずっとついてくれていた。それももう卒業ということか。

ありがとうございますと頭を下げ、意気揚々と俺は社屋を出た。目的地まではそれほど遠くない。バスに乗って、大通りの停留所で降りた。

「よしっ」

気合いを入れ、建物に踏み入る。

そして、担当者に記事のための話を聞いた。事前に準備していたからいいけれど、やはり一人だと緊張する。

それでも何とか取材を終え、「これからも頑張れよ」と言ってもらえた。

時刻はもうすぐお昼。新聞社に戻って、早速取り掛からなくては。

ビルヂングを出て、また停留所に向かおうとしたとき。

「ん?」

目の前が揺れた。

目眩か。そう思って目頭を押さえるが、揺れはどんどん強くなってくる。俺は杖を手放してしゃがみ込んだ。

これは、自分の視界が揺れているんじゃない。地面が……立っているこの地が、震えるようにうなっている。

地の下にいる、底知れない大きな物体がうごめいているようだった。

「地震だ!」

誰かが叫んだ。


続く

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