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「詩乃!」
戸崎のアパートが見えて来た辺りで、名前を呼ばれた。振り向いた先にいたのは碧斗だった。肩にリュックを担いでいる。
彼はつかつかとした足取りで近づいてきた。
街灯と家々の灯りが照らす中、だんだんとはっきりと見えて来たその顔は、なぜか不機嫌そうだ。
碧斗は私の前で足を止めて、固い声で訊ねる。
「今帰りか?遅いんじゃないか?」
珍しく強い口調の彼に驚きながら、私は答える。
「図書館で調べものしてて、それでいつもより帰りが遅くなっただけだよ。だいたい、これくらいの時間、別に普通でしょ?それで碧斗は?碧斗も大学の帰り?」
「あぁ。俺は教授の手伝いで」
「へぇ、お疲れ様」
私は彼に労いの言葉をかけた。
それに軽く頷きで返してから、碧斗は私の隣に立つ戸崎にちらりと目をやり、怪訝な顔をする。
「で、誰?」
彼は声のトーンを落としもせず、不躾な口調で言った。
私が知る限り、この幼なじみは、礼儀知らずのこんな態度を取るような人ではない。それなのになぜ、とその態度を訝しく思いながら、私は彼をたしなめる。
「碧斗、そういう言い方は失礼だよ」
「詩乃ちゃん、大丈夫だから」
戸崎が穏やかに私に声をかけた。
「でも……」
「全然気にしていないよ」
なおも私をなだめるように戸崎は笑い、碧斗に向き直る。
「初めまして。戸崎です。怪しい者じゃないので、できればそんなに怖い顔で見ないでほしいかな」
戸崎の言葉の最後の方には、苦笑がにじんでいた。
気にしていないと言ってはいたが、本心ではきっと不快だったに違いなく、戸崎にそんな思いをさせてしまったことを申し訳なく思う。碧斗の態度を改めさせるには、先日の一件を早く説明した方が良さそうだ。
「碧斗、あのね」
早速私は、戸崎と知り合うことになった日のことを、かいつまんで碧斗に話した。
私の話を最後まで聞き終えた碧斗は、決まり悪そうに戸崎に詫びる。
「すみませんでした、失礼な態度を取ってしまって……」
「いや、大丈夫だよ。だけど、俺ってそんなに怪しく見えるかな」
戸崎は、苦いものを口に含んだかのような顔で笑った。
碧斗は慌てて付け加える。
「いえ、そういうわけじゃなくて……。詩乃が俺以外の男の人と一緒に歩いているもんだから、驚いてしまって……」
「ちょ、ちょっと、碧斗、変な言い方しないで」
私は焦った。密かに想っている戸崎に、碧斗と私が付き合っていると誤解されたら困る。早く訂正しなければと口を開きかけた私より先に、戸崎は納得顔で言う。
「なるほどね……。もしかして、君と詩乃ちゃんって、付き合ってるの?そうだとしたら、誤解させるような真似をしてしまって、かえって申し訳なかったね」
「いえいえ!違いますよ!」
碧斗は慌てたように否定した。
戸崎の誤解を打ち消そうとして、私も後に続く。
「この人は、幼なじみです。ね、碧斗」
私に同意を求められ、碧斗の表情が一瞬曇ったように見えた。けれどそれはすぐさま苦笑に変わる。
「こいつと、こいつの姉の二人とは、もう腐れ縁状態です」
「幼なじみ同士か。だから仲が良さそうに見えたんだね」
戸崎はにこにこしながら私と碧斗を見て、ふと思い出したように腕時計に視線を落とす。
「俺、そろそろ失礼するね。この後、バイトがあるんだ」
「そうだったんですね。立ち話が長くなってしまったみたいで、すみませんでした」
「いやいや全然。むしろ楽しかった。じゃあね、詩乃ちゃん。今度また見かけたら、声、かけるね」
「はい、また。あの、バイト、頑張ってください」
「うん、ありがと」
戸崎は明るく言って、足早にアパートの敷地内に入って行った。
私はその背中を名残惜しいような気持ちで見送っていたが、彼の後ろ姿が見えなくなってようやく、自宅がある方に向かって足を踏み出した。
碧斗は私の隣に並んで、しばらく黙って歩いていたが、交差点の信号待ちの時になって口を開く。
「さっきの人と、随分と親しげだったな」
「え?そんなことないよ」
私と戸崎が会うのは今日で二回目目だ。親しいと言えるような関係ではない。
「だって、お前のこと、下の名前で呼んでたじゃないか。『詩乃ちゃん』って」
「うん、そうだね。でも、私、別に嫌じゃないからいいかな、って」
嫌だと思うどころか嬉しい。そこに特別な響きが込められていないとしても、だ。
「会うのは今日で二回目だっけ?たったそれだけしか会ったことがない相手に、詩乃は名前呼びさせるのか」
「何回会ったとか、回数は関係ないでしょ。それに……」
好きな人だから、いいの――。
うっかり口を突いて出そうになった言葉を、私はすぐに飲み込んだ。戸崎に恋していることは柚乃に内緒にしている。それなのに、碧斗経由で知られることになるのは避けたい。
私が途中で口をつぐんだことを怪しんで、碧斗はやたらと不機嫌な顔で追及してくる。
「それに、って何だよ」
「な、なんでもないわよ」
「なんでもないって、途中で言いかけて終わったら、気になるだろ」
「別に碧斗に話すようなことじゃないから」
碧斗はむっとしたように眉根を寄せた。
ちょうど信号が青に変わったのをきかっけにして、私は彼の気を逸らすために話題を変える。
「そう言えば、戸崎さんって、神澤大の四年生だって言ってたよ」
私がそれ以上は話すつもりがないと悟ったのだろう。碧斗はため息をついた。
「あの人、戸崎って言うのか。学部ってどこ?とは言え、年次が違うとあんまり分かんないんだけどさ」
「うん、戸崎さんもそう言ってた」
「ふぅん……」
碧斗は軽く相槌を打ち、私の顔をちらっと見る。
「なぁ、詩乃。お前、もしかしてあの人のこと」
横断歩道を渡り切ったちょうどその時、緊急車両が走り抜けて行った。そのサイレンの音のせいで、碧斗の言葉の後半はかき消された。
「ごめん、最後の方、聞こえなかったんだけど、なんて言ったの?」
「いや、なんでもない。別に、たいしたことを言おうとしたわけじゃないから」
碧斗は微笑みながら、首を横に振った。
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白湯
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李冬🍒♬@フォロバ💯
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