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第9話 HASA
校門の前は、人の声で埋まっていた。
有楽を出せ。
HASAは説明しろ。
月は敵なのか。
地球を守れ。
叫び声が重なり、意味がほどけ、ただ大きな波になって学校を揺らしていた。
ユウとミハルはフェンス沿いを走った。
背後から人々の声が追ってくる。
「あの子だ!」
「日向ユウ!」
「月の森を見た子!」
ミハルのリュックが揺れる。
ユウの胸元では接触種子が熱を持っていた。
リウの声が響く。
正面はだめだ。
「じゃあどこへ!」
右だ。細い道がある。
ユウは角を曲がった。
学校の裏へ続く細い道。
ふだんなら誰も通らない道だった。
草が伸び、古い倉庫の壁が迫っている。
そこに、灰色の車が止まっていた。
HASAの印。
ユウは足を止めた。
車の扉が開く。
出てきたのは、HASA広報官だった。
整った髪。
灰色のスーツ。
胸の小さなバッジ。
男は静かに笑った。
「やはり、こちらへ来ましたね」
ミハルが息をのむ。
「待ち伏せ……」
男はユウを見た。
「日向ユウさん。あなたにはHASAへ来ていただきます」
「行きません」
「もう選べる段階ではありません」
男の後ろから職員が降りる。
二人。
三人。
手には小さな装置。
ユウは接触種子を握った。
緑の光が出る。
しかしすぐ、車の屋根に置かれた機械が低く鳴った。
光が揺らぐ。
足元に開きかけた輪が、途中で崩れた。
リウの声が乱れる。
妨害されている。
男は言った。
「月への移動を止める装置です。まだ完全ではありませんが、あなたたちには十分でしょう」
ミハルがユウの袖を握った。
「逃げる?」
ユウは周囲を見た。
後ろは人混み。
前はHASA。
接触種子は使えない。
男は一歩近づく。
「誤解しないでください。保護です」
「保護って言えば何でもできるんですか」
ミハルの声は震えていた。
男はミハルを見た。
「あなたたちが公開した映像で、世界は混乱しています」
「隠してたのはHASAでしょ」
「隠したから、長く平穏だった」
その言葉に、ユウの胸が熱くなった。
「平穏じゃない。知らなかっただけです」
男の笑みが消えた。
「知るには段階がある」
「その段階を、HASAが勝手に決めたんですか」
男は黙った。
その沈黙の間に、遠くの人混みから声が届く。
月と地球戦争論。
HASAを許すな。
有楽を信じるな。
世界はすでに動き始めていた。
男は深く息を吐いた。
「だから、あなたには見ていただきたい」
「何を」
「HASAの内側を」
ユウは警戒した。
ミハルも同じだった。
男は車の扉を開ける。
「あなたたちはHASAを敵と決めかけている。なら、我々が何を恐れたのかも見るべきです」
リウの声が低く響く。
罠だ。
ユウは小さくうなずいた。
分かっている。
でも、男の言葉が胸に残った。
何を恐れたのか。
HASAは隠した。
それは許せない。
でも、隠した理由を知らないままでは、また一つの決めつけになる。
ミハルがユウを見た。
「行くの?」
ユウは小さく答えた。
「見る」
ミハルは少しだけ目を伏せ、それからうなずいた。
「じゃあ、私も」
男は車の中を示した。
「賢明です」
ユウは車へ乗り込んだ。
扉が閉まる。
外の声が少し遠くなる。
けれど、完全には消えなかった。
月と地球戦争論。
その言葉だけは、車内の厚い窓を越えて届くようだった。
車は静かに走り出した。
町はいつもの町ではなかった。
店の前の画面には有楽世界の森が映っている。
通行人は立ち止まり、月を見上げたり、スマホを見たり、誰かと言い争ったりしている。
壁には急ごしらえの紙が貼られていた。
月を信じるな。
HASAは真実を出せ。
有楽と話せ。
地球は人間のもの。
森を守れ。
文字が町に増殖していた。
ミハルは窓に額を近づけた。
「一晩も経ってないのに」
男は前の席で言った。
「恐れは早い」
ユウは男を見た。
「それを利用してるのはHASAも同じです」
男は振り向かなかった。
「利用しなければ、制御できないこともある」
「制御って、誰を」
「人類です」
ミハルの指がリュックの肩ひもを強く握った。
車は高速道路へ入った。
行き先はHASA本部。
無重力空間研究と月観測を独占してきた場所。
人類が知らなかった月の秘密を、数十年も閉じ込めていた場所。
ユウは胸元の接触種子に触れた。
リウの声は、かすかにしか聞こえない。
遠い水路の音みたいだった。
用心しろ。
「分かってる」
ミハルが隣で小さく言う。
「リウ?」
「うん」
「まだつながってる?」
「弱いけど」
ミハルは少し安心した顔をした。
やがて、巨大な施設が見えてきた。
HASA本部。
広い敷地。
高いフェンス。
灰色の建物がいくつも並び、中央には低い塔が立っている。
塔の先には、月へ向けられた観測器があった。
しかしその形は古かった。
大きいのに、どこか時代遅れだった。
無重力空間へ出るための発射場はない。
人が乗る衛星を組み立てる巨大施設もない。
ただ、見上げるための機械ばかりが並んでいる。
ユウはつぶやいた。
「本当に、見てるだけなんだ」
男は言った。
「見続けることが、最も安全でした」
車は地下へ入った。
何重もの扉。
検査。
長い通路。
壁にはHASAの歴史写真が並んでいる。
月面着陸。
観測会議。
中止された探査計画。
無人観測機の失敗発表。
延期された衛星計画。
ミハルが写真を見ながら歩く。
「失敗って、全部本当に失敗だったの?」
男は答えなかった。
その沈黙が、答えだった。
通された部屋は、窓のない資料室だった。
壁一面に棚。
中央に大きな机。
机の上には古い端末と、透明な資料板が並んでいる。
男は端末に手を置いた。
「ここにあるのは、公開されなかった記録です」
ユウは身構えた。
「なぜ見せるんですか」
男は少しだけ目を細めた。
「あなたが、すでに開けてしまったからです」
端末が動く。
机の上に映像が浮かんだ。
古い月面着陸映像。
月面探査員。
岩の裂け目。
緑。
有楽の影。
それは月で見た映像と同じだった。
けれど、その先があった。
会議記録。
HASA内部の命令文。
各国への通達。
天体研究制限案。
無重力空間開発抑制計画。
ミハルが顔を近づける。
「抑制計画……」
男は言った。
「月の異常を発見したあと、人類は二つの危険を抱えました」
ユウは映像を見た。
会議室で、昔のHASA職員たちが言い争っている。
一人は探査継続を訴えている。
一人は撤退を求めている。
資料には、月内部文明の可能性と書かれていた。
もう一枚には、未知生命体との接触による戦争危機。
さらに別の資料。
月面地下に枯れ敵反応。
ユウは息をのむ。
「HASAは枯れ敵も知ってた」
男はうなずいた。
「断片的にです」
「でも知ってた」
「はい」
その返事は短かった。
ミハルが男をにらんだ。
「それで、無重力空間の開発を止めたんですか」
男は端末を操作した。
別の記録が映る。
有人衛星計画。
中止。
月再訪計画。
凍結。
GPS類似計画。
安全保障上の理由で延期。
広域通信衛星網。
技術的リスクとして停止。
「GPSがない理由も、ここにあるんですか」
ミハルの声が震えていた。
男は資料を示した。
そこにはこうあった。
全天測位網構築時、月裏側および月内部の異常構造を継続検出する可能性が高い。
民間利用により、異常座標が拡散する危険あり。
ユウは資料を読んで、言葉を失った。
GPSがあれば、月の異常が見つかる。
だから作らなかった。
人が乗る衛星があれば、月をもっと近くから調べられる。
だから止めた。
無重力空間の開発が進めば、人類は月の裏側へ近づく。
だから遅らせた。
「そんな理由で……」
ユウの声は低くなった。
「世界中の研究を止めたんですか」
男は答えた。
「止めなければ、もっと早く戦争論が起きていた」
「それでも、決めるのはHASAじゃない」
男は初めてユウをまっすぐ見た。
「では、誰が決めますか」
ユウは詰まった。
男は続ける。
「当時、人類は月に生命がいるという事実を受け止める準備がありませんでした。今も、できているとは言えません。現に世界は混乱している」
「混乱させないために隠して、隠したからもっと混乱してるんです」
ミハルの声が強くなった。
「ずっと練習させなかったのに、急に走れって言われたみたいなものです」
男の目が少しだけ動いた。
ミハルは続ける。
「天体の授業も薄い。無重力空間の研究も進まない。GPSもない。人が乗れる衛星もない。太陽系すら知らない人が多い。全部、HASAが止めたんですよね」
男は沈黙した。
資料室の空調だけが低く鳴る。
やがて男は言った。
「そうです」
その一言は、静かだった。
でも、とても重かった。
ユウは机に手をついた。
「どうして、そこまで」
男は古い映像を開いた。
月面探査員が、帰還後に話している。
顔は疲れていた。
目の奥だけが強く光っている。
月には森があった。
そう言おうとしている。
しかし、映像は途中で切れる。
次の記録。
診断書。
記憶の混乱。
月面環境による錯覚。
証言の封印。
ユウは奥歯を噛んだ。
男は低く言った。
「彼は、壊れました」
「壊したのはHASAでしょ」
ユウの声は震えた。
男は目を伏せなかった。
「そうです」
ミハルが息をのんだ。
男は続けた。
「だから、次の者を出せなかった。次の者が見れば、また壊れる。次に情報が漏れれば、世界が壊れる。そう考えた者たちがいた」
「それで何十年も?」
「何十年も」
男は別の資料を出した。
そこには、HASA内部の世代交代記録があった。
最初の隠蔽を決めた者。
それを引き継いだ者。
疑問を持った者。
告発しようとして処分された者。
開発を再開しようとして止められた者。
だんだん、隠蔽そのものが目的になっていった記録。
ユウは読みながら、背筋が冷たくなった。
最初は恐れだった。
次に管理になった。
最後は習慣になった。
「隠す理由が、変わってる」
ミハルが言った。
男はうなずいた。
「そうです。最初は混乱を避けるため。次は月の文明への接触を避けるため。その次はHASAの責任を隠すため。そのさらに次は、世界の仕組みを保つため」
ユウは男を見た。
「あなたは、どう思ってたんですか」
男の表情が初めて止まった。
笑みもなく。
冷たさもなく。
ただ、疲れた大人の顔だった。
「私は、管理する側でした」
「今も?」
「今もです」
「じゃあ、なぜ見せるんですか」
男は机の上の映像を見た。
月内部の森。
有楽。
HASAの会議。
枯れ敵の影。
世界中の混乱。
「管理できなくなったからです」
その言葉は、敗北のようでもあり、解放のようでもあった。
資料室の照明が一瞬揺れた。
リウの声が、胸元で急に強くなった。
ユウ。
「なに」
下に何かある。
ユウは机の下を見た。
床に細い緑の線が走っている。
HASAの床。
無機質な灰色の床。
その隙間に、見覚えのある光。
観察葉の根に似ていた。
ミハルも気づいた。
「これ……有楽の?」
男が振り向く。
目が鋭くなる。
「何を見ています」
床の線が、ゆっくり奥の扉へ伸びていく。
リウの声が低くなる。
追え。
ユウは男を見た。
「この先は?」
男は答えない。
ミハルが一歩踏み出す。
「隠蔽記録は、まだありますね」
男は扉の前に立った。
「そこは許可できません」
ユウは胸元の接触種子を握った。
「ここまで見せたのに?」
「見せられるものと、見せられないものがあります」
ミハルが言った。
「またそれ」
男は何か言おうとした。
その瞬間、資料室の警報が鳴った。
低い音。
扉の上のランプが点滅する。
館内放送が流れた。
地下保管階層に異常振動。
職員は指定区画へ退避。
男の顔から血の気が引いた。
ユウは聞いた。
「何が起きてるんですか」
男は小さくつぶやいた。
「枯れ敵だ」
床の緑の線が、奥の扉の向こうで強く光った。
リウの声。
隠しているのは記録だけではない。
ユウの背中に冷たいものが走る。
男は扉を押さえた。
「行かせません」
「なぜ」
「地下には、月面着陸時に持ち帰ったものがある」
ミハルの目が見開かれる。
「枯れ敵の?」
男は答えなかった。
けれど、その沈黙が答えだった。
警報がさらに強くなる。
床がわずかに揺れた。
資料棚の端で、古い資料板が落ちる。
ユウは男の横をすり抜けようとした。
職員が止めに入る。
その時、緑の光が床から立ち上がった。
リウの影が、薄く現れる。
本物ではない。
でも、目は確かにリウだった。
職員たちが後ずさる。
男も固まる。
リウの声が資料室に響いた。
人間は隠すほど、根を深くする。
ユウはその隙に扉へ走った。
ミハルも続く。
男が叫ぶ。
「待ちなさい!」
扉の奥は、長い階段だった。
地下へ。
さらに地下へ。
壁は古く、湿気があった。
HASA本部の表側とは違う。
ここは、建物の底に沈んだ時間そのものだった。
階段の途中にも資料が貼られている。
回収物管理。
月面地下反応殻。
生体活動、低下。
封印継続。
刺激禁止。
ミハルが読み上げる。
「生きてる……?」
ユウは足を止めそうになった。
でも、下から響く音がそれを許さなかった。
ざり。
ざり。
砂をこするような音。
ここは地下なのに。
砂漠の音がする。
階段を降り切ると、巨大な保管室があった。
分厚い扉。
その中央が、内側からへこんでいる。
何かが、中で動いている。
床には砂が落ちていた。
どこから来たのか分からない砂。
乾いている。
ユウは砂漠のカラザを思い出した。
男が後ろから追いつく。
息を乱している。
「ここは、HASAが最も隠した場所です」
ユウは振り返る。
「何を隠したんですか」
男は保管室の扉を見た。
「月面着陸時、月の砂とともに、小さな殻片を回収しました」
ミハルが口元を押さえる。
「枯れ敵の一部?」
「そう考えています。当時は休眠状態でした」
扉の向こうで、また音がする。
ざり。
ざり。
男は続けた。
「それを研究した結果、HASAは二つのことを知った。月には有楽がいる。そして、外から来た別の生命体もいる」
ユウは言った。
「だから開発を止めた」
男はうなずいた。
「人類が無重力空間へ出れば、有楽にも枯れ敵にも触れる。GPSのような測位網を作れば、月内部の構造と枯れ敵の地下線を検出してしまう。人が乗る衛星を作れば、月裏側へ近づく者が出る」
ミハルが低く言う。
「全部つながってる」
「はい」
男は目を伏せた。
「私たちは、無重力空間そのものを遠ざけた」
扉の奥で、大きな音がした。
へこんだ部分がさらに押し出される。
職員たちが叫ぶ。
「封印がもちません!」
「退避を!」
リウの声が響く。
ユウ、離れろ。
しかしユウは扉を見たまま動けなかった。
その向こうにいるもの。
HASAが隠したもの。
月面着陸から続く隠蔽の核。
それが今、目を覚まそうとしている。
男は震える手で端末を操作した。
「封印強化を」
画面に拒否の文字。
外部干渉。
砂漠地帯からの信号接続。
ミハルの顔から血の気が引いた。
「カラザ……?」
リウの声が低くなる。
呼んでいる。
「誰を」
中のものを。
扉の向こうから、声がした。
小さい。
乾いた声。
人間。
ユウは息を止めた。
カラザではない。
もっと弱い。
もっと古い。
それでも、枯れ敵の声だった。
人間は、隠す。
人間は、閉じ込める。
人間は、忘れる。
男が後ずさる。
「まさか、意識が」
ユウは扉へ一歩近づいた。
リウが叫ぶ。
近づくな。
ユウは止まった。
でも、声は続いた。
外は、枯れたか。
我らの地は、広がったか。
ユウは何も言えなかった。
その声は、長い眠りから覚めた者の声だった。
自分が何十年も閉じ込められていたことも、世界が変わったことも知らない声。
男が低く言った。
「これが、HASAの罪です」
ユウは振り向いた。
男は初めて、笑っていなかった。
「見つけたものを、理解できないまま閉じ込めた。公表できず、破壊もできず、研究し、恐れ、隠した」
「それで、無重力空間を止めた」
「はい」
「GPSも」
「はい」
「人類の知る力も」
男は唇を結んだ。
「はい」
扉がまた揺れる。
緑の線が床を走る。
接触種子が反応している。
有楽の根。
HASAの隠蔽。
枯れ敵の封印。
三つが地下で絡んでいる。
リウの影がユウの前に立つ。
薄い影なのに、強く見えた。
「これは有楽だけでは解けない」
ユウはリウを見る。
「どうすればいい」
「人間が開けた箱だ」
ミハルがつぶやいた。
「人間が責任を取る」
ユウは扉を見た。
怖い。
開ければ何が起こるか分からない。
閉じれば、HASAと同じになる。
隠して。
閉じ込めて。
なかったことにする。
ユウは男を見た。
「この中の枯れ敵を、どうするつもりだったんですか」
男は答えられなかった。
その沈黙に、ユウは答えを見た。
何も決めていなかった。
何十年も。
ミハルがノートを開いた。
手が震えている。
「記録します」
男がミハルを見る。
「何を」
「ここで見たこと全部。HASAが止めた計画も、GPSを作らなかった理由も、無重力空間の開発を遅らせた理由も、この地下のことも」
「公開すれば、混乱はさらに広がります」
ミハルは顔を上げた。
「隠せば、もっと悪くなる」
ユウはうなずいた。
「もう、誰かが勝手に決める時代を終わらせないと」
扉の向こうで、枯れ敵の声がまたした。
人間。
おまえたちは、また選ぶ。
ユウは扉へ向かって言った。
「そうだよ」
声は震えていた。
「選ぶ。隠すんじゃなくて、ちゃんと見て選ぶ」
リウの影が少しだけ揺れた。
有楽の声が資料室の底に響く。
なら、急げ。
セナが遠くから中継する。
封印は崩れる。HASA職員を退避させろ。
モウの声。
記録を確保しろ。消される前に。
ユウは男を見た。
「職員を逃がしてください」
男は一瞬動かなかった。
「でも」
「HASAの人なんでしょ。だったら今度は隠すんじゃなくて、守ってください」
男の目が揺れた。
それから、男は端末をつかんだ。
「地下保管階層、全員退避。繰り返す、全員退避」
職員たちが走り出す。
警報が変わる。
扉の向こうの音が激しくなる。
ミハルは資料端末へ走り、記録を接触種子の近くへ送る。
緑の光が資料を包む。
月面着陸記録。
隠蔽会議。
開発抑制計画。
GPS停止理由。
有人衛星凍結理由。
枯れ敵殻片保管記録。
全部が光の粒になって、接触種子へ流れ込む。
ユウは扉の前に立った。
中の声が言う。
人間は、壊す。
ユウは答えた。
「そうかもしれない」
ミハルが振り向く。
ユウは続けた。
「でも、隠して壊すのはもう嫌だ」
扉が大きくへこんだ。
砂が噴き出す。
乾いた風が地下室に広がる。
リウが叫ぶ。
下がれ!
ユウはミハルの手をつかみ、後ろへ飛んだ。
扉が内側から割れた。
砂の向こうに、小さな殻が見えた。
カラザほど巨大ではない。
けれど、確かに枯れ敵だった。
何十年も閉じ込められていた個体。
殻には細かな傷があり、触腕は弱々しく震えている。
その目が、ユウたちを見た。
乾いた石のような目。
けれど、どこか迷子のようでもあった。
その個体は言った。
外は、どこだ。
誰も答えられなかった。
HASA広報官も。
ユウも。
ミハルも。
リウでさえ、すぐには。
地下保管室に、世界の隠蔽の底が開いていた。
そこから出てきたのは、怪物だけではなかった。
HASAが恐れたもの。
人類が知らされなかったもの。
無重力空間を遠ざけた理由。
GPSがない理由。
人が乗る衛星が作られなかった理由。
何十年も閉じ込められた問い。
ユウは接触種子を握った。
記録は確保した。
真実は、もう外へ出る。
その重さに足が震えた。
でも、目はそらさなかった。
月の森を知った時から、もう戻れない。
HASAの地下で、ユウはようやく分かった。
人類は無重力空間へ進めなかったのではない。
進ませてもらえなかった。
恐れと隠蔽と責任逃れが、空への道を何十年も閉じていた。
そしてその扉は今、砂を吐きながら開いてしまった。
小さな枯れ敵が、もう一度言った。
外は、枯れたか。
ユウは静かに答えた。
「まだ」
その一言に、殻の奥の目が動いた。
「まだ、全部は枯れてない」
ミハルが隣に立つ。
リウの影がその前へ降りる。
HASA広報官は、床に散った資料を見つめていた。
遠くで、地上の騒ぎが響く。
月と地球戦争論。
HASA隠蔽。
有楽。
枯れ敵。
世界はさらに大きく揺れようとしていた。
けれどユウは、目の前の小さな枯れ敵を見た。
敵なのか。
被害者なのか。
証拠なのか。
どれか一つではない。
それが、この世界の難しさだった。
ユウは震える息を吸った。
「ここから出よう」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
ミハルへ。
リウへ。
HASAへ。
閉じ込められていた枯れ敵へ。
そして、何十年も閉じられていた人類へ。
地下の警報が鳴り続ける中、ユウは接触種子を強く握った。
緑の光が広がる。
今度は逃げるためだけではない。
隠された記録を、地上へ運ぶための光だった。
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いやー、めっちゃ重かった……でもめっちゃ面白かったわ。HASAの隠蔽のデカさが一気に明らかになって、GPSすら止めてたって設定にゾッとした。ミハルの「ずっと練習させなかったのに急に走れって」って台詞、まさにそれだよな。最後の枯れ敵の「外は、枯れたか」にはグッときた。敵なのか迷子なのか、まだわかんないけど、ユウが「まだ」って答えたところが熱かった。この世界観、どんどん解像度上がってて好きだわ。