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第10話 三つの勢力
HASAの地下から運び出された記録は、世界へ流れた。
月面着陸の封印映像。
無重力空間開発抑制計画。
GPS類似計画停止の理由。
有人衛星凍結の記録。
月内部の森。
有楽。
枯れ敵。
そして、HASA地下に閉じ込められていた小さな枯れ敵。
その全部が、一晩で地球を変えた。
朝が来ても、町は眠れなかった。
道路には人があふれ、駅の画面は何度も同じ映像を流した。
月の裏側に森がある。
HASAは数十年隠していた。
有楽は地球を観察していた。
枯れ敵は外から来た。
人類は無重力空間へ進む道を止められていた。
言葉は人から人へ移り、意味を変え、熱を持ち、刃にも傘にもなった。
ユウは学校の校舎裏で、その声を聞いていた。
フェンスの外には人が集まっている。
有楽と話せ。
HASAを裁け。
月を警戒しろ。
枯れ敵を受け入れろ。
地球は人間が決める。
声が重なり、畑の土まで震えているようだった。
ミハルは隣でノートを抱えていた。
ページの端が何度も曲がっている。
「三つに分かれてる」
ユウはフェンスの向こうを見た。
「有楽派」
ミハルが言った。
緑の布を腕に巻いた人々がいた。
森を守れ。
有楽と協力しろ。
月の森は敵ではない。
そんな文字が掲げられている。
「枯れ敵派」
別の集団がいた。
乾いた土地こそ未来だ。
人間の拡大を止めるな。
有楽に管理されるな。
そんな声が上がる。
「人類独立派」
三つ目の集団は、どちらの名も掲げていなかった。
月にも砂にも従わない。
地球は人類が決める。
HASAも有楽も枯れ敵も信用するな。
その中心に、背の高い少年が立っていた。
茶色の短い髪。
古い軍用風ジャケット。
目つきは強い。
けれど、指先は袖を何度もつかんでいた。
ミハルがその少年を見た。
「同じくらいの年かな」
少年はフェンス越しにユウを見つけた。
目が合った。
少年は人混みを押し分け、フェンスの近くまで来た。
「日向ユウだな」
ユウは身構えた。
「そうだけど」
「俺はツカサ。人類独立派だ」
ミハルが小さく言った。
「派閥名、名乗るんだ」
ツカサはミハルを見た。
「笑うなよ。世界はもうそういう状態だ」
笑ってはいなかった。
けれど、その声は固かった。
ユウはフェンス越しに聞いた。
「何しに来たの」
「頼みに来た」
「頼み?」
「有楽にも枯れ敵にもつくな」
ユウは答えられなかった。
ツカサは続ける。
「おまえが有楽と話したせいで、有楽派が一気に広がった。月に従えば助かるって言う大人が増えてる」
別の方向から声が飛ぶ。
「従うんじゃない、協力だ!」
ツカサはそちらを振り向かずに言った。
「同じだ。上から見られて、採点されて、森を守るなら認めてやるって言われるんだろ」
ユウの胸が痛んだ。
リウの言葉を思い出す。
有楽は人類の味方ではない。
敵でもない。
森を守る者だ。
ツカサはフェンスを握った。
「枯れ敵派も同じだ。人間の本能は破壊だって言われて、なぜかそれを誇りみたいに言うやつが出てきた」
ミハルが眉を寄せる。
「でも、枯れ敵にも事情がある」
「事情があれば利用されてもいいのか」
ミハルは黙った。
ツカサの声は震えていた。
怒りだけではない。
怖さも混じっていた。
「HASAは隠した。有楽は観察した。枯れ敵は断定した。じゃあ、人間はどこに立つんだよ」
ユウは返事を探した。
すぐには見つからなかった。
胸元の接触種子が、かすかに熱を持つ。
リウの声はまだ遠い。
月内部から、この混乱を見ているのだろう。
フェンスの向こうで、有楽派の人々が声を上げた。
「有楽の種を受け入れよう!」
「森を戻せ!」
「月の技術を公開してもらえ!」
今度は枯れ敵派が叫ぶ。
「有楽に止められるな!」
「人間の発展を邪魔させるな!」
「枯れた土地にも未来はある!」
人類独立派がそれに重なる。
「どちらにも従うな!」
「HASAの管理も終わらせろ!」
「地球の未来は人間で決める!」
三つの声がぶつかり、校舎の窓が震えた。
生徒たちは教室から外を見ている。
先生たちは校門で人を止めようとしている。
もう、学校ではなかった。
ここは世界の割れ目だった。
ユウはツカサを見た。
「ぼくは、どこにもつかない」
ツカサの目が細くなる。
「逃げるのか」
「違う」
ユウは首を振った。
「まだ決められない。決めたら、見えなくなる気がする」
ツカサはフェンスを握る手に力を入れた。
「決めないと、誰かに決められる」
その言葉は、HASA地下で聞いたものと似ていた。
誰かが決める。
誰かが隠す。
誰かが断定する。
ユウは息を吸った。
「だから、決めないまま動く」
ツカサは少しだけ目を見開いた。
ミハルが隣でうなずく。
「決めないのと、何もしないのは違う」
ツカサは何か言い返そうとした。
その時、空気が乾いた。
校舎裏の畑の土が、かすかにひび割れる。
ミハルが振り向いた。
「ユウ」
接触種子が強く熱を持つ。
リウの声が飛び込んできた。
枯れ敵の通信だ。
フェンスの向こうの人々のスマホが一斉に震えた。
校門前の画面。
駅の画面。
ビルの壁面。
すべてに砂のノイズが走る。
そしてカラザの姿が映った。
巨大な殻。
複数の触腕。
乾いた石のような目。
人間よ。
声が町を満たした。
おまえたちは三つに分かれた。
月を選ぶ者。
枯れを選ぶ者。
人間だけを選ぶ者。
だが、すべて同じだ。
ユウは画面をにらんだ。
カラザは続けた。
おまえたちは選びながら壊す。
協力と言いながら奪う。
独立と言いながら争う。
それが人間だ。
枯れ敵派の一部が叫んだ。
「カラザは人間を分かってる!」
有楽派が怒鳴り返す。
「利用されてるだけだ!」
人類独立派も声を上げる。
「月も砂も黙れ!」
ツカサは画面を見上げ、唇を噛んだ。
カラザの声は落ち着いていた。
人類独立派よ。
おまえたちは我らに近い。
誰にも従わず、自ら広がる。
ツカサの顔から血の気が引いた。
「ふざけるな」
カラザの目が、画面越しにツカサを見たように動いた。
否定するか。
だが、おまえたちは有楽を拒み、HASAを拒み、我らも拒む。
最後に残るのは、自らの力だけだ。
そして人間の力とは、地を変える力だ。
ツカサが叫んだ。
「俺たちはおまえたちとは違う!」
画面のカラザは動かない。
違うと証明せよ。
その一言で、周囲が静まった。
証明。
有楽にも言われた。
枯れ敵にも言われた。
世界中が人類にそれを求め始めている。
人間は何なのか。
壊すのか。
守るのか。
従うのか。
利用されるのか。
自分で選べるのか。
ユウは胸元の接触種子を握った。
「リウ」
聞こえている。
「そっちは?」
混乱している。
ユウは月内部の森を思い浮かべた。
有楽たちも、きっと揺れている。
人類に存在を知られた。
信じられたり、恐れられたり、攻撃対象にされたりしている。
有楽もまた、観察するだけではいられなくなっている。
リウの声が続く。
有楽会議が開かれる。
「会議?」
人類と接触を続けるか、切るか。
ユウは息を止めた。
「切るって」
月への道を閉じる。
ミハルがユウを見る。
「リウ、何て?」
ユウは答えた。
「有楽が、人間との接触を切るかもしれない」
ミハルの目が揺れる。
ツカサも聞いていた。
「切ればいい」
ユウはツカサを見る。
ツカサはフェンスから手を離さない。
「月に頼らないほうがいい」
ミハルが言った。
「でも、そうしたら枯れ敵のことも、HASAの記録も、月内部の森も、何も分からなくなる」
「分からなくても、自分たちでやるしかない」
「それができるなら、とっくに無重力空間開発も進んでた。でも止められてたんだよ」
ツカサは黙った。
ミハルの声は強くなる。
「私たちは、自分たちだけで考えるためにも、隠されたものを知らなきゃいけない」
ユウは二人の間に立った。
「ツカサ」
「何だよ」
「人類独立派って、何をしたいの」
ツカサは一瞬迷った。
周囲の人々も耳をすませる。
ツカサはゆっくり言った。
「月にも、枯れ敵にも、HASAにも未来を決めさせない」
「それで?」
「無重力空間開発を人類の手に戻す。GPSも作る。人が乗る衛星も作る。月へも行く。でも、有楽の許可を取るためじゃない。枯れ敵の道具になるためでもない。人間が、自分で見るためだ」
ユウは目を見開いた。
ツカサの声は震えていたが、まっすぐだった。
「でも、森を壊すためじゃない」
ツカサは小さく続けた。
「そこを間違えたら、カラザの言う通りになる」
ミハルがノートを開いた。
「今の、もう一回言って」
「いやだ」
「大事だから」
「いやだ」
少しだけ空気がゆるんだ。
けれど、画面のカラザは静かにそれを見ている。
その時、別の画面が開いた。
緑の光。
月内部の森。
有楽リウの姿。
灰色を帯びた羽。
緑と黄色の縦じまの尾羽。
リウが世界へ姿を現した。
広場の人々が息をのむ。
有楽派が歓声を上げる。
枯れ敵派が警戒の声を上げる。
人類独立派が身構える。
リウの声が響いた。
有楽は人類を支配しない。
だが、地球の森を無視もしない。
人類が自ら見ると言うなら、見る力を持て。
ユウはリウを見上げた。
リウは続ける。
有楽派よ。
有楽に従えば救われると思うな。
枯れ敵派よ。
破壊を本能と呼んで誇るな。
人類独立派よ。
独立とは、孤立ではない。
ツカサの目が揺れた。
リウの声は静かだった。
人類が主役になるなら、責任も主役になる。
その言葉は、人混みの上に落ちた。
一瞬だけ、三つの勢力が黙った。
ユウは胸の奥が熱くなるのを感じた。
リウは人類を信用していない。
でも、切り捨ててもいない。
ツカサはフェンス越しにユウを見た。
「有楽って、厳しいな」
「うん」
「でも、さっきのは嫌いじゃない」
ミハルが小さく笑った。
「本人に言ったら、たぶん羽ふくらませる」
リウの声が胸元で響く。
聞こえている。
ミハルはびくっとした。
「ごめん」
その時、HASAの車が校門前に到着した。
広報官が降りる。
先ほどより顔に疲れがある。
それでもスーツは乱れていない。
男は拡声器を使わずに、前へ出た。
「HASAは、三勢力による衝突を防ぐため、学校周辺を封鎖します」
人々がざわめく。
「また管理か!」
「説明が先だろ!」
「隠蔽機関が命令するな!」
男は声を張った。
「これ以上の混乱は、枯れ敵の利益になります」
その一言で、怒号が少し止まった。
男は続ける。
「HASAはこれまで、情報を隠してきました。その責任は免れません」
ユウは驚いた。
ミハルも目を見開く。
広報官が、自分から認めた。
「しかし、今ここで人間同士が争えば、カラザの断定を証明することになる」
ツカサが低く言った。
「うまいこと言うな」
でも、間違ってはいなかった。
カラザの言葉。
人間は壊す。
ここで三つの勢力がぶつかれば、その通りになる。
有楽派の一人が叫んだ。
「じゃあ、HASAは何をするんだ!」
広報官は答えた。
「隠蔽記録の公開を進めます」
ざわめきが走る。
「無重力空間開発抑制計画、GPS類似計画停止理由、月面着陸封印映像、地下保管記録。段階的に公開します」
ミハルがつぶやいた。
「段階的……また便利な言い方」
ユウは男を見た。
広報官と目が合う。
男はほんの少しだけ頭を下げた。
謝罪ではない。
降伏でもない。
でも、昨日までのような完全な管理者の顔ではなかった。
ユウは思った。
HASAも変わり始めているのかもしれない。
いや、変わらざるを得なくなっただけかもしれない。
どちらでも、動いている。
カラザの画面が揺れた。
人間は群れる。
群れは割れる。
割れた群れは、砂に沈む。
リウが画面越しに答えた。
ならば、見ていろ。
カラザの目が動く。
何を。
人間が、断定を嫌う姿を。
カラザはしばらく黙った。
その沈黙が、砂漠の風のように広がる。
やがて、画面は砂のノイズになって消えた。
人々はまだ騒いでいる。
でも、さっきより少し違っていた。
叫びながらも、隣の集団を見る。
敵としてだけではなく、同じ混乱の中にいる者として。
有楽派の一人が、人類独立派の女性に水を渡している。
枯れ敵派の老人が、倒れかけた子どもを支えている。
HASA職員が群衆を押し返すのではなく、通路を作っている。
小さな変化。
観察館なら、きっと葉に記録されるほどの変化。
ユウはそれを見た。
「ミハル」
「うん」
「これも、人間だよね」
ミハルはノートに書きながらうなずいた。
「うん。これも」
ツカサはフェンスから少し離れた。
「日向ユウ」
「なに」
「俺は有楽派にはならない」
「うん」
「枯れ敵派にもならない」
「うん」
「HASAも信用しない」
「うん」
ツカサは少しだけ言葉に詰まった。
「でも、おまえのことは、少し見る」
ユウは目を丸くした。
「見る?」
「信用するとは言ってない」
ミハルが笑いをこらえる。
「有楽みたい」
ツカサが嫌そうな顔をする。
「やめろ」
胸元でリウが言った。
悪くない。
ツカサは聞こえていない。
ユウは少しだけ笑った。
けれど、すぐに笑いは消えた。
観測画面に、新しい警告が出た。
HASAの仮設画面にも同じものが映る。
砂漠地帯で大規模な地下活動。
枯れ敵反応、増加。
人類居住区へ接近。
リウの声が鋭くなる。
動いた。
セナの声も重なる。
次の地点は、乾燥都市。
ミハルが息をのむ。
「第11話の場所……」
ユウはうなずいた。
有楽派。
枯れ敵派。
人類独立派。
三つに分かれた世界。
でも、枯れ敵の動きは待ってくれない。
HASAの記録公開も、世界の議論も、学校前の騒ぎも、全部がまだ途中なのに。
ツカサが画面を見た。
「行くのか」
ユウは接触種子を握った。
「行く」
「有楽と?」
「ミハルと。リウと。必要なら、HASAとも。ツカサとも」
ツカサは驚いた顔をした。
「俺も?」
「人類独立派なんでしょ。なら、自分で見たほうがいい」
ツカサはしばらく黙った。
そして、フェンス越しに言った。
「行く」
ミハルが小さく言う。
「本当に?」
「自分で見るって言っただろ」
リウの声が胸元で響いた。
人間が増える。
ユウは少し笑った。
「だめ?」
リウは間を置いた。
一人よりは、記録が増える。
ミハルがまた笑いをこらえた。
校門の騒ぎの中、HASA広報官がこちらへ歩いてきた。
「乾燥都市へ向かうなら、HASAの移動手段を使ってください」
ツカサがすぐ言う。
「信用できない」
男はうなずいた。
「当然です」
ツカサは言葉に詰まった。
男はユウを見た。
「それでも、今は時間がありません」
ユウは接触種子を握った。
月の道は干渉されやすい。
HASAの車は信用しきれない。
でも、乾燥都市では枯れ敵が動いている。
誰か一つの勢力だけでは、もう足りない。
有楽と枯れ敵の長い対立だったはずの物語に、人類が割って入ろうとしている。
未熟で。
騒がしくて。
隠して。
争って。
それでも、見ようとする者たちがいる。
ユウはミハルを見た。
ミハルはうなずいた。
ツカサも、少し遅れてうなずいた。
ユウは広報官へ言った。
「行きます。でも、記録は全部残します」
男は答えた。
「分かっています」
リウの声が静かに届く。
ここから、人類も主役になる。
ユウは空を見上げた。
昼の月は見えにくい。
それでも、そこにある。
月の裏側には森がある。
地球の下には枯れ敵の線が走る。
人類はその間で、ようやく自分の足を見つけようとしている。
校門前の三つの声は、まだ完全には混ざらない。
でも、その中から数人が前へ出た。
有楽派から一人。
人類独立派からツカサ。
HASAから広報官。
ミハルがノートを抱え、ユウが接触種子を握る。
枯れ敵派の中からも、一人の老人がこちらを見ていた。
まだ動かない。
でも目はそらしていない。
世界は分裂した。
けれど、分裂したからこそ、初めて見えるものがある。
ユウは車へ向かって歩き出した。
背後で、誰かが叫ぶ。
「月と地球は戦争になるのか!」
ユウは振り返らなかった。
まだ決めない。
まだ見ている。
まだ動ける。
乾いた風が、遠くから町へ入り込んできた。
次の場所で、枯れた土地が待っている。
そこに、三つに割れた世界の最初の答えがある気がした。
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うわっ、第10話、すごかった……! 三つの勢力がぶつかる中で、ユウが「決めないまま動く」って言ったシーン、すごく刺さったよ。決めないのは逃げじゃなくて、見続ける覚悟なんだね。 ツカサも出てきて、新しい化学反応が生まれそうでドキドキした🌙 リウの「独立は孤立じゃない」も、すごく重くて心に残った。 次、乾燥都市か…また世界が動くね。続きが待ちきれないよ🥀