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昼。
政務の間に、官吏たちが並んでいた。
今日の報告は四件。次の祭祀の件、配給の監査結果、辺境からの進言、そして民からの訴状。
帝辛は、いつものように座していた。背筋は伸び、視線は穏やかで、誰の言葉も等しく受け止める姿勢。王太子としての顔を、崩さない。
「――では、祭祀の件から」
官吏が一歩前に出る。
「次の天への感謝祭でございますが、今年は例年より早める進言が参っております」
「理由は」
「辺境にて、不穏な兆しが続いております。天への祈りを先に立てておくことで、民の不安を和らげたいとの申し出です」
帝辛は一拍、黙った。
官吏たちは待っている。誰も、その沈黙を読めない。
「許可する」
短く、落とした。
「日程は、神官府と調整しろ。民への告知は早めに。不安を煽る前に、祈りの場を整えろ」
「御意」
官吏が頭を下げる。
縫季は、木簡に目を落としたまま、動かなかった。
掌が、冷えた。
ほんの一瞬。息を吸う間だけ。
(……祭祀が早まる)
天への祈りが層を薄くする。薄くなった層は、外からの干渉を許しやすい。
縫季は、その先を考えかけて、止めた。
まだ確定ではない。兆しだ。ただの、兆し。
掌を袖の中で握りしめる。冷えが、静かに収まっていく。
帝辛は既に次の木簡へ視線を移している。気づいていない。気づかせてはいけない。
縫季は呼吸を整えた。
「――では、配給の件を」
縫季が横から木簡を差し出す。帝辛は軽く頷き、目を通した。
数値。報告。今月の配分量と、次の収穫予測。問題はない。正確に記されている。
帝辛は木簡を置いた。
「承知した。次の配給も同様に進めてくれ」
官吏が頭を下げる。「はっ」
声は揃っている。誰も疑問を挟まない。流れるように次へ移る。
辺境の砦から、防備の強化を求める進言。帝辛は目を通す。理由は妥当だ。必要な人員、物資の見積もりも適切。
「許可する。ただし、予算は現状の範囲内で調整しろ」
即答。官吏が再び頭を下げる。「御意」
そして四件目。民からの訴状。土地の境界を巡る争い。
帝辛は木簡を手に取り――止まった。
ほんの一瞬。視線が、簡の上で動かない。
官吏たちは気づかない。それが「読んでいる時間」なのか、「考えている時間」なのか。誰も、その違いを測れない。
だが縫季は気づいた。帝辛の指先が、簡の端を軽く叩いている。無意識の癖。迷いのときだけ出る、小さな音。
――迷っている。
そう見えた瞬間、帝辛は顔を上げた。
「双方の証言を再度聴取しろ。その上で、改めて報告を上げるように」
声は穏やかで、淀みがない。官吏が頭を下げる。「承知いたしました」
室内に、短い沈黙が落ちた。次の報告を待つ「間」。
以前なら――ここで、清朗が何か言っていた。場を繋ぐような軽口。くだらない冗談。帝辛の緊張をほどく、あの声。
だが今は、何もない。
沈黙が、思った以上に硬い。
ほんの一瞬、帝辛の胸の奥を冷たいものが撫でた。言葉を選ぶ前に、息だけが浅くなる。
――次は、何を言えばいい。
その感覚が形になるより先に、視線がふと横へ流れる。縫季と、目が合った。
一瞬だった。
縫季の表情はいつも通り。控えめで、感情を表に出さない補佐官の顔。だが、その目だけが――一拍遅れて帝辛を捉えた。
見られた、と思うより早く、帝辛は視線を切った。回廊の先。中庭へ。逃げるように。
帝辛は、自分の息が浅くなったことに気づかない。気づかないまま、完璧な所作の中へ押し込める。崩さない。崩してはならない。
官吏たちの誰も気づかない。雰囲気の乱れを「殿下が思案している」と受け取るだけだ。
だが縫季だけは、今の一瞬に走ったものを見逃さなかった。
――今、殿下は。清朗がいない、その空白に、足を取られかけた。
そんな揺れだった。
「……殿下」
縫季が低く呼びかける。
帝辛の視線が戻る。
「ああ、すまない。次は?」
コメント
1件
うん…読んだよ、第41話。 なんか、すごく静かで、それでいて張りつめてたね。政務の間の一拍の空白が、これまでにない重さで感じられた。帝辛が無意識に清朗の不在を埋めようとして、でも埋まらなくて、その隙間に縫季が気づいてしまう…その距離感が、切なかった。 特に、帝辛の指先が木簡の端を叩く無意識の癖、あれを縫季だけが見逃さないところが好き。二人の間にある「見せない関係」と「それでも見えてしまう関係」が、とても繊細に描かれてて、胸がぎゅっとなった。 続き、すごく気になる…🌙
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