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385
#現代ファンタジー
むぎ 🖤🪽
73
#死ネタ、流血表現、暴力表現
穏霞 乃矢
2,886
闇に包まれた首相官邸の広々とした応接間。間接照明の淡い光が、静寂に沈む室内をぼんやりと照らしている。その光の中に、二人の男が向かいあっていた。
「リアノーム君かね。週刊レガリアにに情報を流したのは……」
「いや、ちがう! 信じてくれ、私ではない!」
「私を裏切る者は――魔物、ギル・グラギラスの餌になれっ!!」
男がそう言い放ち、端末に触れた。
「何……!? あのモンスター大戦で地下に封印した獰猛なモンスター……」
かすれた声が響いた、その瞬間だった。
首相官邸の広すぎる静かな応接広間に、くぐもった悲鳴が響き渡った。
「うあぁあ……!」
応接広間の硝子窓に水膜が走り出した。厚い滝のように落ちる水が悲鳴を切り刻みやがて呑み込んだ。水受けの水面には、一輪のハスの花。ふわりと浮かび揺れている。花は静かに漂い続け音もなく場を支配する。やがて残ったのは水と花と凍りついた沈黙だけだった。
スメラ・エヴェリナは、首都〈リュカ街〉青磁団地駅のプラットホームに立っていた。エルフ鉱石を動力とする電車が、朝の光のなかを音もなく滑り寄ってくる。
「いい天気ね。さあ、今日も忙しい一日が始まるわ」
車両の扉が静かに開く。スメラは乗り込み長椅子に座った。柔らかな照明と心地よい空調が満ちた車内が音もなく浮かび上がり動き出し、リュカ街の大通りが窓の外に流れていく。かつて帝国が作り出したモンスター兵器の襲来により、焦土だった街は高層のビルと商店街へと生まれ変わり、広場の噴水では子どもたちが水しぶきを上げていた。復興を支えたのは、エルフ鉱石と科学の融合がもたらした交通網、防御システム
それらを指揮した首相リヴァン・カイザだった。市民は彼を「復興の英雄」と讃えて、街角には笑顔のポスターが掲げられていた。
(リヴァン……)
スメラは鞄の中から、一冊の週刊誌をそっと取り出した。
《週刊レガリア》
王国内で最も発行部数を誇る週刊誌だが、政権批判の記事も多く、首相府では「扇動紙」と揶揄されることも少なくない。彼女は昨夜から何度も同じページを開いていた。
そこには大きな見出しが躍っている。『連続失踪の闇に潜む黒幕は誰だ。――モンスター家政婦政策の裏で動く、リヴァン首相と科学技術長官の危険な関係』
あり得ない。そう思いたかった。だが、記事に記された文字を目で追うたびに、胸の奥へ重い棘が沈んでいく。
「こんなの……ただの憶測よ。リヴァンは誰よりも平和を願っていた。戦災遺児だった自分たちが誓い合った未来を、誰よりも真剣に追い求めていたはずなのに……」
誰にも聞こえないような独り言で呟き彼女はそっと週刊誌を閉じ視線を上げた。天井の窓から、昼は彩雲、夜はオーロラのような“エルフ・バリア”が虹色に揺らめき、帝国大戦の亡霊とも呼ばれる残党モンスターたちから王国を護っていた。目線を車窓に移すと、時計塔広場の大型ホログラムには、《完全管理による平和を》のスローガンが、娯楽番組の下を這うように流れていた。
美しく整えられた街並み。エルフ・バリアで制御された空。誰もが羨む繁栄。
その時だった。
「次は首相官邸前です」
機械音声が車内に響く。窓外に映る官邸を一瞥し、スメラは静かに立ち上がり、深く息を吸い込んだ。
胸の奥に渦巻く重たい不安を押し込めるように。
(今日もリヴァン首相を支え、自分の役目を果たさなきゃ……)
路面電車を降りたスメラは、官邸正門ゲートにIDをかざし、警護に立っている幼馴染のカーンに声をかけた。
「カーン。おはよう」
「おはようさん。スメラ」
そのとき、ゲートの奥から書類を抱えた一人の女性が現れた。艶のある黒髪をきっちりとまとめ、制服を隙なく着こなしている。
ゼム・グラナ。
かつて、首相秘書官を務めていた女性だ。だが現在は、官邸情報管理室長へ異動している。秘書官の後任に選ばれたのはスメラだった。それ以来ゼムはスメラに向ける視線から、敵意を隠そうとはしなかった。ゼムはスメラを一瞥すると、小さく口元をゆがめた。
「おはようございます、スメラ秘書官」 丁寧な笑顔だった。だが、その笑みは目だけが笑っていない。
「今日も首相閣下のお側でお仕事ですか……」
「それが私の仕事ですから。当たり前のことを、わざわざ聞かないでくれるかな」
「今日も定刻のご出勤ですね」
「就業規則には違反していないわよ。何か問題でもある?」
「首相閣下は、もう一時間も前から執務を始めておられますわ」
「それはリヴァンの日課だから」
ゼムは肩をすくめ、小さく微笑んだ。
「さすが閣下ですこと。首相より先に到着するのは、秘書官としての当然の務めだと思います。私の在任中、私はいつも閣下より先に勤務に就き、閣下のスケジュールを整え、一日の準備をして、円滑に閣下の業務をサポートして参りました」
スメラは表情一つ変えずに答える。
「私は自分なりの方法で彼を支えています。あなたには関係のないことだわ。余計な口出ししないで」
ゼムは語気を強めた。
「スメラさんは、先輩に対しての礼節な態度が欠如しておられるように見受けられます。秘書官という職は、ほんの小さな失態でも交代を命じられることがあります。どうか、その席を失われませんよう、お気をつけくださいませ」
(本当にめんどくさい女ね……)
時計の針が午前8時28分を示していた。
「ちょっと、もうこんな時間……遅刻しちゃうじゃないの。そこどいてくださいよ」
「私の責任で遅刻したとあなたが訴えたら、少なからず私の身分にも影響が及びますので、ここで、失礼いたします」
ゼムは優雅に一礼すると、振り返ることなく官邸の奥へと歩き去った。
スメラは小さく息を吐く。
「何よ……朝からゼムの嫌味に付き合わされるなんて。今日はついていないわね」
カーンは苦笑しながら肩をすくめた。
「相変わらずだな。お前達二人は顔を合わせると、火花をまき散らして場を凍らすからな」
「火花なんて散らしてないわよ。私は、言われたことに答えただけ」
「それを世間じゃ火花って言うんだ」
カーンは苦笑を深めた。
「まあ、気を付けろよ。ゼム室長は簡単に引き下がる人じゃない」
スメラは肩をすくめる。
「分かってるわ。私は私の仕事をするだけ」
「その意気だ。今日も良い一日を」
「カーンもね」
スメラは軽く手を振ると、エントランス中央の噴水を横目にエレベーターホールへ向かった。首相執務室のある階のボタンを押す。階数表示のインジケーターが、最上階にある首相執務室のフロアから、一つ、また一つと数字を減らしていく。やがて軽い電子音とともにエレベーターが到着し静かに扉が開いた。
現れたのは、マラー首相補佐官。黒い台車を押していた。台車には無骨な金属製のダストボックス、側面には警告色の三角マークとともに《バイオハザード》の赤い文字が滲んでいた。一瞬、スメラと視線が合う。マラーは肩をすくめ、わずかに目を泳がせた。
「ああ、スメラ君。おはよう。……ちょっと急ぎの処理でね。気にしないでくれたまえ」
ぎこちない笑み。その声はわずかに裏返っていた。マラーは足早に立ち去っていく。
(処理? ……一体何を?)
スメラは思わず、去っていく背中とダストボックスを目で追った。 そして、レベーターの内側に漂っていた、鉄錆びのような血の匂いと薬品が混ざったような妙な臭気が鼻をくすぐり、咳がしばらく止まらなかった。
(何……この血の匂い……なんで、そんなものを運んでいるのかしら)
彼女はエレベーターを降り、首相執務室のあるフロアに足を踏み入れた。奥の開いている扉から、かすかな声が漏れ聞こえてきた。
「政務官の一件は、処理済みです」
「そうか……余波が出ぬように」
リヴァンとラマズド科学技術長官の声だった。
(処理済み……?)
スメラの足が思わず止まる。
胸の奥に、じわりと不穏なざわめきが広がっていった。週刊レガリアの記事が再び脳裏をよぎる。
(違う……そんなはずないわ)
リヴァンがそんな事をするはずがない。そう信じたい。
だが、「処理済み」という言葉だけが、鉛のように胸へ沈んでいった。
(動揺している場合じゃないわ……)
スメラは意を決して扉を叩いた。
「おはようございます。リヴァン首相、スメラです」
まず視界に入ったのは、銀白の髪をなでつけたラマズド科学技術長官の姿だった。
「おはようございます、スメラ秘書官」
穏やかな微笑。だが、その目はまるで“こちらの動揺”を観察しているようだった。
(なぜ、私の表情をそんなにじろじろと観察しているの?)
(さっきの“処理済み”という言葉。私が聞いたと、気づいている?)
「おや、今日は少し元気がないようですが……お身体でも?」
スメラは咄嗟に視線を横に逸らした。
張り詰めた空気の糸が、ひとすじ、肌をなぞる。彼女の心臓が、またひとつ、速く鼓動を打った。
「いえ……少し寝不足なだけです」
そう言って微笑み返す。ラマズドはそれ以上何も言わず、スメラに道を譲った。そして、スメラが一歩、一歩と、黒曜石の床を踏みしめた。
視線の先、奥の執務机にはリヴァン・カイザがいた。ホログラムPCの青白い光に顔が照らされていた。
「おはよう。スメラ。声に元気がないな。大丈夫か?」
柔らかな口調だったが、どこか“いつもと様子が違う首相”にスメラは違和感を覚えた。
「お気遣いありがとうございます。首相。……私は大丈夫です」
その時だった。卓上端末が点滅し、淡い警告音が室内を差した。
「治安局より、緊急報告です」
ホログラム画面に、制服姿の局員が映る。
「報告します。昨日から行方不明の科学技術政務官リアノームについて。郊外の山麓で私用のバイクを発見。……おそらく魔物討伐中に“消息不明”。現在、捜索を継続中です」
空気が凍りつき、リヴァンは動かない。ラマズドが肩をすくめ、溜め息まじりに言った。
「神経質だったからな。……魔物退治にでも出たのだろう。郊外で気分転換、よくあることさ」
(今日リアノームと会う約束していたのよ。真面目な彼が魔物討伐なんて信じられない……まさか)
「首相、私はこれより王宮からの招聘がございますので、これにて失礼します」
「そうか。ご苦労だった。ラマズド長官」
ラマズドは軽く一礼し、執務室を後にした。
(今なら、リヴァンに進言できるわ)
スメラは、呼吸を整えながら口を開く。
「首相。最近、ラマズド長官に対して“モンスター家政婦政策”への懸念を表明した政務官たちが、相次いで失踪しています」
リヴァンは無言のまま、スメラを見つめた。
「今朝、マラー補佐官が不審なバイオハザードダストボックスを運び出していました」
「スメラ……それは、ペットのモンスターが今朝亡くなった。それをマラーへ運びだすように指示をした。
職務に集中しなさい。これは命令だ」
言葉は冷たく、明らかに苛立ちがにじんでいた。その瞳が一瞬、赤黒く揺らいだように見えた。スメラは一歩、前に踏み出した。
「リヴァン。私に何か隠し事をしていませんか?」
「ない!!」
怒気をはらんだ声。だが、スメラはひるまず、バッグから週刊誌を取り出し、さらに踏み込む。
「じゃあ、この《週刊レガリア》の記事は?“連続失踪の闇に潜む黒幕は誰だ――モンスター家政婦政策の裏で動く、首相とラマズド科学技術長官の危険な関係”。私の質問にも答えられないのなら、この記事が事実だったと認める事と同じ、どう国民に説明するのです?」
リヴァンの眉がピクリと動いた。
次の瞬間、彼はその週刊誌をスメラの手から乱暴に奪い取り、机の上に叩きつけた。
硬い音が室内に響き、ページがばさりとめくれる。
「くだらん。週刊誌に書いてある事は事実ではない。完全なデマだ!」
「けれど、火のない所に煙は立たないわ!」
「……煙を立てているのは、ラマズドや私を陥れたい者だ。君まで惑わされるな!」
低い声には、苛立ちと焦りが混じっていた。
「惑わされているのは、首相だと私は思います!」
「何だと?」
リヴァンが一歩近づく。
「私は惑わされてはいない!」
「貴方が王立科学アカデミー研究所を創設したジン博士を科学技術長官から左遷し、ラマズド博士を昇格させてから失踪者が出始めました!」
スメラは間を置き、言葉を突きつける。
「今朝、執務室の前であなたたちは、ひそひそと、何を話していたのですか?」
「君には関係のないことだ!」
「あるわ!」
スメラの瞳が揺れ、声がわずかに震えた。
「私、貴方を信じているのよ。週刊レガリア記者のカザンが、あなたとラマズド長官の関係について取材したいとしつこく言ってきたときも……全部断ったわ。これ以上記事にされて、あなたの名誉を傷つけたくないから……」
リヴァンの目つきが鋭くなった。その瞬間、瞳が赤黒く変色する。
「リヴァン……どうして、そんな目をするの……」
「私たち、戦災遺児として誓ったじゃない……。二度と争いを繰り返さない世界を作るって……」
「あれ……嘘だったの……? ねえ、答えてよ……ねえ、教えてよ!」
リヴァンはしばらく黙っていた。
やがて、赤黒く染まった瞳を細める。
「ラマズドは権威ある科学者だ。彼の技術を取り入れることは、イーサム王国の発展に必要不可欠だった……ただ、それだけだ」
「リヴァン、それ……全然、答えになってないわよ!!」
スメラは語気を強め、リヴァンに詰め寄った。
「あなた、ラマズド長官に操られている……。きっと、ラマズドはあなたを陥れて、首相の椅子を奪おうとしているのよ」
「ラッセルにラマズド長官を調査させて。私はあなたを守りたいの! ねぇ、理解してよ!」
「ラマズドを疑うのも、いい加減にしろ!! スメラ!!」
リヴァンの怒声が室内に響いた。
「今日はマラー補佐官にスケジュール管理を任せることにする。お前は自室で、彼の業務を代行してくれ」
その声には、先ほどまでの怒気さえ残っていなかった。ただ、冷たく切り捨てるような響きだけがあった。スメラは唇を噛みしめた。何を言っても、もうリヴァンには届かない。
「……わかったわ」 それだけを絞り出すように告げ、スメラは静かに頭を下げた。
そして執務室を後にした瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、胸が苦しくなった。廊下の窓から見える空は、どこまでも青く晴れ渡っている。けれど、スメラの心には、重い暗雲が広がっていた。
(私の知らないところで、リヴァンが洗脳されているのかもしれない……)
(リヴァンの鋭い目つき……赤黒く変色した瞳……)
(ラマズドが長官になってから、一緒に王研を視察したとき……)
(あの頃から、リヴァンは少しずつおかしくなっていたのかもしれないわ……)
(もしかしたら……この世界に伝わる、赤黒い眼の寓話)
(いや……そんなはずはないわ)
スメラは足早に自室の秘書官室へ戻り、扉を閉めた、その時だった。
ポッポー。
ポッポー。
壁に掛けられた鳩時計が、小さな鳴き声とオルゴールの音色とともに、時報を告げた。その時計は、リヴァンが首相に就任した後、二人で街へ買い物に出かけた際、市場で偶然見つけたものだった。スメラが気に入ったことを知ったリヴァンが彼女にプレゼントしてくれたお気に入りの時計だった。
その音を聞いているうちに、張り詰めていた緊張が、ほんの少しだけ緩んだ。
いつもと変わらない音。いつもと変わらない時間。けれど、今日だけは違って聞こえた。まるで、何かの始まりを告げる合図のように。スメラは、ゆっくりと窓の外へ視線を向けた。虹色に揺らめくエルフ・バリア。青く澄んだ空。誰もが平和だと信じている王国。その景色は、昨日までと何ひとつ変わっていない。それなのに……スメラの胸に宿った不安だけは、消えることがなかった。
コメント
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まだ2話目だというのに、もう胸がぎゅっとなる展開ですね…。街の美しい描写と、スメラの感じ取る違和感や不安の対比がとても巧みで、読んでいてじわじわと息苦しくなりました。特にリヴァンの瞳が赤黒く変色する場面、あれは寓話を連想させてゾッとしました。スメラが信じたい気持ちと目の前の現実との間で苦しむ姿が、切なくて続きが気になります。