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轟音と共に僕らに突風が迫ってくる。
瞬間、真帆はホウキに跨り、僕の身体を掬い上げるようにして上空へと飛び上がった。
あまりに突然の出来事であり、唐突に急上昇した僕の身体はもちろんそんな準備なんてできていなかったわけで。
無理やり担ぎ上げられるような形で真帆の腕にぶら下りながら、
「うわわわわっ!」
足をばたつかせながら必死に真帆のホウキの柄をよじ登って、なんとか真帆の後ろに座り、そして真帆のお腹に両腕を回したのだった。
「なんとかなりましたね!」
楽しげに口にする真帆。こうなることを予想していたのかしていなかったのか判らないけれど、瞬時の行動に感謝と恨みが同時に湧き起こる。
「なんでわざわざ挑発したの!」
「だって、その方が楽しいじゃないですか!」
「意味わかんないよ!」
そんな僕らの方へ、榎先輩を後ろに乗せた鐘撞さん、そして肥田木さんのふたりもうまいこと逃げおおせたらしく合流してくる。
「いいかげんにしてよ真帆! 死ぬかと思ったじゃない!」
とは榎先輩の心からの叫びである。
「そうですよ! なんでわざわざ怒らせるんですか!」
肥田木さんもさすがに不満タラタラな様子で憤慨していた。
そんなふたりに対して、真帆は何かを口にしようとしたのだけれど、
「――きましたよ!」
鐘撞さんの忠告により、僕らは乙守先生が地上から投げ飛ばしてきたのであろう巨大な樹木を、寸でのところで避けたのだった。
見れば、乙守先生は僕らの飛ぶ遥か下に見える森の木々を何本も魔力で引っこ抜き、まるで槍か何かのようにこちらに構えて睨んでいる。
「どこへ逃げても無駄よ! こちらの世界で、アナタたちに逃げ場なんてどこにもないわ! 周りをよくご覧なさい! どこまでも広がる森が見えるでしょう!」
確かに僕らの眼下には、どこまでもどこまでも延々に続く森が広がっていた。そんな森のまっただ中に、ポツンと学校の校舎だけが建っていて、まるで不自然に浮かんでいるように僕には見えた。
なんだ、何なんだここは。どうなっているんだ?
動揺しているのは僕だけではない。榎先輩や鐘撞さん、肥田木さんも同じように眼下に広がる森を見下ろしながら、ひどく焦ったような表情を浮かべている。
「――名前のない森」
真帆だけが、ぽつりとそんなことを口にした。
「なに?」榎先輩が聞き返す。「何の森って?」
「名前のない森、と呼ばれている、無限に広がっている魔力の森です。迷い込めば道を見失い、長居すれば全ての記憶を失ってしまう、そう言われています――」
「な、何よそれ! 全ての記憶を失う? どういうこと?」
「そのままの意味よ」
僕らのすぐ目の前に、一瞬にして乙守先生が姿を現す。
何本もの樹木を自身の周囲に浮かばせたまま、にんまりと口元を歪ませながら、
「ここに長くいれば、アナタたちは自分の名前からこれまで生きてきた記憶、人間関係、出来事、すべてを忘れていくことになる」
だから、と乙守先生は真帆に右手を差し伸べながら、
「諦めて早く投降しなさいな。あんまり長いこと抗っていると、どんどん大切な記憶や思い出を失くしていっちゃうことになるわよ?」
すると真帆は、それに素直に従うなんてこと、当然のようにないばかりか、
「あぁ、それはちょうど良いですね! それってつまり、乙守先生の記憶から私の夢魔の記憶が失くなっちゃうまで逃げ続ければいいってことなんですから!」
「……何を馬鹿なことを!」
乙守先生はいうが早いか、僕らに向かって周囲に携えていた何本もの樹木を放ってきた。
僕らはなんとかそれらを避けきり、乙守先生から距離を取る。
「どうするつもりですか、真帆先輩」
冷静に、けれど確かに動揺している様子で、鐘撞さんは真帆に訊ねる。
「あんなことして、何か作戦でもあるんですか?」
そんな鐘撞さんに、真帆は「ぷぷっ」と吹き出すように笑ってから、
「――そんなの、あるわけないじゃないですか」
「……えぇっ!?」
「とにかく逃げますよ! 作戦は逃げながら考えます!」
その途端、真帆はいつも以上に荒々しい運転で乙守先生から逃れるように、森の中へと急降下した。
たくさんの木々が並ぶ森の中を蛇行し、上下し、僕の胃の中が激しくシェイクされる。僕は今にも吐き出してしまいそうだったけれど、必死にそれに耐えながら、強く真帆のお腹にしがみついた。
「待ちなさい!」
はるか後方から、確かに乙守先生の声が聞こえてきた。
彼女は当然のごとく榎先輩や鐘撞さんたちを無視して、真帆と僕だけを全力で追いかけていた。
「しつっこいなぁ!」
真帆は叫ぶ。
乙守先生から全力で逃げながら、僕は見たこともないような奇妙な動物たちが、物凄い速さで走り抜けていくのに気がついた。
汚い雑巾をくしゃくしゃに丸めたような見た目の羽ばたく鳥。
長いウネウネした鼻で地面を掘り返す緑色の豚みたいな獣。
真っ黒い犬――いや、狼みたいな獣たちの群れに至っては、しばらく僕らと並走していたくらいだ。
時折チラチラと見えた羽の生えた木馬はきっと、さすがに幻に違いない。
この名前のない森を猛スピードで飛び回っているうちに、僕の頭がどうかしてしまったのに違いないのだ。
「ま、真帆……! どこまで逃げるつもり……!」
「確かに! いつまでも逃げていたって仕方ありませんよね!」
その途端、急ブレーキをかけたかのようにホウキがガクンと動かなくなった。
僕はその反動で、真帆の後頭部に顔面を打ちつけてしまう。
「いったぁ! 急に止めないでよ、真帆!」
けれど真帆は、
「しばらく喋らないでください! 舌を噛みますよ!」
「えぇっ!?」
唐突のUターン。
そして僕らを追いかけてくる乙守先生に、今度は逆に猛スピードで突っ込んでいく。
「ちょっとちょっとちょっとちょっ――っつうぅ!」
ガチん、と僕は舌を噛んでしまい、とんでもない痛みが口に広がる。
乙守先生もコレには驚いたのか、寸でのところで僕らを避け、
「しまっ――!」
次の瞬間、木々の合間の草むらに、乙守先生がバランスを崩して飛び込んでいくのが遥か後方に見えた。
「やりいぃっ!」
それを見て、真帆は嬉しそうに、声を上げたのだった。
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