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最初にふと浮んだのは12歳の私。
私は経ちながら自分の部屋を見渡している。私は自分のこの部屋が結構気に入っていて、約8畳ある部屋に木目調の板で飾られた壁はまるでどこかの別荘にいるかのような気分になる。さらに台形型の大きな出窓や2、3畳はある白いドアのクローゼットまであり、妄想族の私にはこれだけで色々な物語が十分過ぎるほど頭の中から沸き咲いてくる。小学校入学に合わせて祖父が買ってくれた勉強机に、ニ段ベッドだったのを一段にした四柱に丸い円球の飾りのついたベッドがそっと置かれ薄ピンクの絨毯が敷かれていいる。まるでどこかのお屋敷の一室のようとたびたび妄想していた。しかし机には教科書、ドリルや辞典などもあり机の脇にはきちんとランドセルも掛かっている。きている服も普通のシャツに短パンだで裸足。よく見ると壁には覚えるための何かを貼ってある。まだまだ妄想気分は抜けきれないが少しは勉強部屋と呼べてきただろうか。
この時の私は12歳の受験生なのだから。
けれど私は勉強があまり好きではなく行きたいと思う学校はあるもののなかなかやる気が起きてなかった。毎晩母親に付き添われながら勉強していて反抗して怒られながらやっていた。私が反抗期中なのもあり母親にとってはさぞ大変な時期だったと思う。
そんな私がなぜ中学受験することを選んだかと言うと、それは子どもらしく簡単な理由。 学校でいじめられていたからだ。
このまま行くと公立の中学校でいじめの主犯とまた同じに学校なってしまうからである。そのため私立の中学校に行きまた新しくやれたらと言う希望を込めていた。
小学生のいじめは小さなことから始まっていくので厄介であると思う。例えば機嫌が悪かったりで物を貸さなかったり、何かですぐ怒ってしまって口を聞かなかったり、あの子と喧嘩してるからあなたもあの子と口を聞かないでねなんて子どもにはよくあることだ。それが仲直りのきっかけを失ったり、小さなことから延長し他の人まで巻き込むとイジメに変化していくこともある。私は空気を読むことがよくわからない子どもだっだと思う。一番小さな時で覚えていることといえば幼稚園の時だろうか。私と2人の友達3人で砂団子を作っていた時、1人が硬めの砂団子を作った。もう1人がそれを知り私に「この砂団子すごいよ!石みたいに硬いよ!」と言った。砂団子を手に渡してもらった時に「石みたい」と言う言葉を真に受けて思いっきり握って壊してしまったのだ。その後の空気の悪さは流石に私にもわかった。今ならもちろんわかる。幼稚園児の作った砂団子の硬さは想像するまでもなく脆い。しかし私は言葉をそのまま受け取り、そうなんだと思い込んでしまった。今でも社交辞令や冗談があからさまで無くサラッと言われるとほとんどわからないのだ。 そんなことを少し成長したといってもまだ12歳の私はわかってない。
あの時砂団子を一緒に作っていた2人ももちろん12歳になっている。
が、今私をいじめているのはあの時の「砂団子の2人」だ。
同じ小学校に上がったがなかなか一緒のクラスにならず、5年生と6年生の時に幼稚園ぶりにクラスが一緒になったのだ。浮かれ喜んでいた私は最初はもちろんまた仲良くなったのだが相手の方は大人びており何だかサラッとしていた。他の子はこの頃から芸能やアイドルなどに興味を持ち出していたが、私は身長は大きかったがまだまだドラえもんが大好きな子どもであった。若干の寂しさを感じつつも同じクラスになれたことが本当にうれしかった。
それでも女子によくありがちな喧嘩もちょくちょくした。しかしある時子どもにはよくある何かで喧嘩したと思ったら次には無視され、そしてその無視はクラス全部に広がり、いつしか私は○○菌と呼ばれるようになっていた。
孤立した私を心配したのかある日「あの子達ひどいよね、かわいそう」と言ってきた子達がいた。私は不思議だなと思いつつ「うん」とだけ返事をした。次の日になると私が「あの子達ひどい」と言ったと言うことにされ砂団子の2人に伝わっていた。またあるときには無言電話もよくあった。一度砂団子の2人が何人かを連れて公衆電話から私の家にイタズラ電話をしているのを発見し学校の先生にも相談したが本人たちがしていないと言っていると回答してあとは特に何もしてくれなかった。学校の対応は今も昔も同じだろう。
そんなある日突然に砂団子の2人は私と仲直りしようと言い出した。私はよくわからなかったが仲直りできるならと思いこれを快く受け入れた。女子はよく一緒にトイレに行くもので、そのあと砂団子の1人が私と2人でトイレへ行き、近くの階段で一緒にたわいもないおしゃべりをし教室へ戻った。私はああよかった、いじめ終わったんだなぁと思って肩の力が抜けたような感じでいた。次の休み時間になると砂団子の2人は私のところへ来てまたさっき行ったトイレ近くの階段へ連れ出した、私はまたおしゃべりだと思っていたがさっき一緒に行かなかった方の砂団子の1人が私に話し出した。
「あのさ、さっきこの子と一緒にトイレへ行ったでしょ。この子がその時あんたがこの子のトイレ(個室)に一緒に入ってきて頬擦りしたって言ってるんだけど」
… は?
寝耳に水とはこのことである。
私は意味がわからなかった。そんなことをしてないことは伝えたがもちろん信じてもらえず、そして「仲直り」はあっさりと終わったのであった。その後は私がレズであると言うことを言いふらされ奇しくも私はレズという言葉の意味をこの時知ったのであった。高学年とはいえこの時代の小学生でこの内容を作るとは彼女らはよほどマセていたのだと思う。
ただ私は学校を休むことはしなかった、これは近所に住むお姉さんからの助言であり彼女もまた小学校のときにイジメにあっていたそうだ。どんなことをされても学校に行き続けること、これがこちら側からできる最高の仕返しである、と。そしてそのことがあってから私は、彼女たちが何を考えているのかわからないけど、ただもう仲良くなることはもうないことだけは理解した。そして違う道へというから違う学校へ進むために受験することを決めた。 その後はかっこよく勉強して羽ばたいてゆく予定だった、はずだが…なぜか勉強に対してやる気が起きなかった。笑。
そんな受験勉強だったけど、受験日2週間前くらいだろうか。遅いけれどそんな私にもやっとやる気が出てきてた。でももう後2週間。時間がない。とにかく過去問をひたすらに何度も解きまくり、そして何とか無事に志望校に合格したのであった。
その頃になるといじめのあったことも人伝いに知られており、後から聞いた話によると砂団子の1人は両親の仲が悪くなり家庭環境も悪化していたらしい。それで荒れていたそうだ。中学に入った後の私はこれを聞いてもあまり驚かなかった、と言うのも砂団子の2人が私をいじめているときだったがそれでも女子である限り喧嘩はするだろう。彼女らがケンカ中だったある日の放課後、私は部活が終わり自分の荷物を取りに教室へ戻った。教室の隅には水槽が置かれていたが、前はメダカがいて誰も世話をしなくなったため水は真緑に汚れ、臭っていて中は何も見えくなっていた。要するにとにかく腐った水が入っていただけであった。いつもこの時間は教室には誰もいないのだが、その日は砂団子の1人がいた。その子は汚れた雑巾を指先で摘み、そのまま先ほどの汚れた水槽に入れ、汚水を雑巾に充分に吸わせた後、その雑巾をもう1人の砂団子の子の机の上に置いていた。要は誰もいないところで嫌がらせをしていたのである。それを2回ほど繰り返したとき彼女は私がいることに気がついた。私は彼女が何をしているのか最初は分からず、わかった時でももびっくりしすぎて彼女が2回もやり続けている間ただじっと立って見ていただけだった。彼女は見られていたことに少し驚いた様子を見せたがすぐに、「嫌いだからやってる。あんたもやる?」と私に聞いてきた。私は子どもながらに、こいつヤバイやつだ。と思い、一言「私はいい。」と言って自分の荷物を取りそそくさと帰った。その後しばらくして砂団子の2人は仲直りはしている、が1人は自分が毎日使っている机を汚されていたことを今も知らない。そんなことがあったからこの彼女の家庭環境が悪くなり荒れてたと聞いたときもああ、だからか。とはならなかったが特に驚きはしなかった。
彼女がその後いつかえったのか、いつからそんなことをしていたのか、やるにしても何でそれなのか、私の机にもやってたのかなどいろんなことを考えて30分ほどかかる道のりを帰ったのを覚えている。私はその後も何かあると、どうしてその人はそうなのか、何を考えてその言動をするのか、など絶対に考えても答えが出ないことを考える時間を多くとってしまう。思い返しでまたイライラしたり、考え込んだりする。誰かが言っていたがそれをするのは要は私がヒマだからだそうだ。考える時間や嫌なことを思い返せる時間があるから思い悩むらしいが全くその通りだと思った。今はそれからもう何年も何年も経ちその頃のことは過去となり、良くも悪くも思い出と処理している。私たちはまだ12歳と言う子どもでまだ思いやりとか解決の仕方を知らなくて、大人になってもまだ難しいのだから子どもにとってはさっぱりでしょう。それでも私が中学生の頃はまだ彼女らを恨んだ時もあったし、それからも嫌いな人もいっぱいいた。今現在これを書いている私を大人と呼ぶのもまだまだ自信がないが、見た目は完全に大人となっている今は彼女たちに対する恨みはもう本当に全くない。嫌いな人ももういない。
…と言いたいところだけど、
「嫌いな人」
は実は1人だけいる。笑。
でも世界で1人だけだから…
まぁ悪くはないと思う。
なぜこの1人か。
この1人とは誰でどんな人なのか。
次回はそれをお伝えしたいと思います。
ありがとうございました。