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乗せられた車の後部座席で、ナタリーはロザリーの隣りに座っている。
婦人服の仕立て屋に務め、ふわふわの髪型に命をかける、噂好きの若いお針子は、今や、憲兵の軍服に身を包み、背中に物差しを入れているのではないかと思えるほど、姿勢良く座っていた。
「ねぇ、ロザリー、と、呼んでいいのかわからないけど、結局の所、あなたは、私を見張っていたの?」
ナタリーの質問にも、微動だにせず、ロザリーは答える。
「私は、あなたに近づいていたカイゼル髭の男を、見張っていただけです」
「はあ、そうですか」
何を聞いても、きっと、ロザリーから納得の行く答えは返って来ないだろう。
「……えーと、できれば、フランスと、スイスの国境沿いまで、行ってもらえれば……」
フランス国の憲兵姿ということは、あの、バックれた男、カイルと、フランス領に逃げ延びていたということで、ここは、すでに、フランス、なのだろうか。
自国外で、堂々と、フランスの憲兵服に身を包むことなどありえない。そして、これは、裏側の動き。身元が、わからないようにするものだ。
つまり、ナタリーは今、確実に、フランスにいるということになる。
とすると、フランス側の、レマン湖に接する当たりにいるはず。
ナタリーが、仕事と信じて出向いた離宮の部屋から見えた、湖は、レマン湖だったのかもしれない。
「……ナタリー、国境沿いって、あなた、湖を泳いで、スイスへ、入るつもり?」
ロザリーが、呆れながら言った。
「どうせ、あなたの事、アルマン卿の所へ転がり込むつもりなんでしょ?でもね、ヌシャテルまでは、かれこれ離れているわよ?」
(げっ、バレてる。)
ナタリーは、困ったときの避難場所として、初老の紳士、英国からやって来た、アルマン卿の隠居屋敷を頼りにしていた。
レマン湖畔の田舎町、ヌシャテルは、なんとかという、かの、マリー・アントワネットも愛用した、時計の製作者の生まれ故郷とかで、アルマン卿も、彼が造った高級時計をコレクションしていた。
その時計技師がどれ程天才的だったか、卿は、語ってばかりいたが、ナタリーは、いつも、上の空だった。
適当に相づちをうちつつ、考えているのは、隠居老人を誘って、列車で余時間ほど離れた高級リゾート地、モントルーへ出かけること。
アルマン卿をそそのかし、カジノで、一儲けして、軍資金を手に入れる事だった。
実際、出向くと、そこは、社交場であり、各国から集まる貴族達がはねを伸ばしていた。
そうして、新たなパトロン探しに勤しむナタリーだったのだが、さて、どうやら、ロザリーには、いや、国家機関には、総て、お見通しのようで──。
「なにも、国境越えしてくれって、言っている訳じゃないし、私には、私の、付き合いってものがあって……」
「ですから、いまから、私達に、付き合って頂きます」
ロザリーは、冷めた目付きで、ナタリーへ言い放った。
車は、どことも知れぬ田舎道を進んで行く。
突き刺さるような、沈黙に耐えがたくなり、ナタリーは、ロザリーに質問するが、そのたび、上手くはぐらかされた。
終いには、尋ねることもなくなり、乗って来た馬は、どうなったのか、などと問う始末。
が、あっさり、さあ、と、またまた、かわされた。
そんな、やり取りに、うんざりし始めた頃、車は速度を落とし、どこかの敷地へ入って行く。
門が有るわけでもなく、小路のようなものが確認できる、そんな寂れた場所へ、どんどん進んでいく。
「いや、まさか、と、思ってたりする事、が、あったりする?」
おもわず、ナタリーは、口にした。
ロザリーは、保護するなどと言っていたが、ナタリーを囲う理由も、メリットも、果たして、どれくらいあるのだろうか。
「ご心配なく、ここは、私たちの、領地ですから」
──領地とは、なんとも、微妙な言葉を使ってくれる。
ナタリーの背中に、つっと、汗が流れた。
「着きました」
言って、ロザリーは、さっさと車を降りた。
ここは、自分も降りるべきなのだろうけど、と、ナタリーが迷いを見せていると、ドアが開かれる。
助手席に座っていた、男が、にこやかに、エスコートしてくれていた。
従わなければ、命がない、従っても、命がない。とか、そうゆう類いではないのかと思いつつも、ナタリーは、つい、軍服姿の男の手を取り、空気が澄んでいる等々、社交辞令を述べていた。
「何をしているんですか?」
先を行く、ロザリーの声は、苛立っている。
「あらまあ、ご機嫌斜めよ?あなた、どうする?」
ナタリーの問いに、男は、肩をすくめた。
なるほど、ロザリーさえ、いなければ、残りは、こっちに取り込める。
もしや、逃げられるかもしれない。
と、ナタリーが、思った瞬間、聞き覚えのある、軽薄な声が流れてきた。
「ハニー!会いたかったよー!」
ナタリーは、我が目を疑った。
「なっ!なんで!」
前には、確かに、あの男、馬を残して消え去った、カイルが、いた。
しかも、何故か、司祭の格好をして、ご丁寧に、両手を広げ、ナタリーを抱き締める気合いを見せている。
「ちょっと!ロザリー!どうゆうこと!」
「こうゆうことですが?」
「そう、こうゆうことなんだよー」
と、カイルは、足丈まである司祭平服《スータン》の裾をつまんで見せた。
背後には、小さな教会がある。
「さあ、中へ」
ロザリーが、相変わらず、冷めた視線を送ってくれた。