コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「どこを直すの?」
そう訊くと、伊吹が席を立ち、ぐるっと回りこんで私のデスクまで資料を持って歩いてくる。
どさっとデスクに置かれた資料に目を通しながら、あー、ここねとあれこれ話し始める。
話しこんでいたので、気がつくのが遅くなったのか、向こうも気を遣ったのか。
その存在に「こんにちは」と、きれいな声で話しかけられるまで、気がつかなかった。
すっと目を遣ると、相変わらずきれいな燎子が、にこにことすぐ後ろに立っていた。
「なにかご相談?」
ものすごく穏やかな微笑みがとにかく恐ろしい。
伊吹が、ここを修正予定だと告げると、私と伊吹の間に身を入れて、燎子も資料を覗きこむ。
伊吹が水曜日の会議のことを燎子に問えば、出席できると答える燎子。
「藤原さんが良ければ、水曜日は俺だけで会議やっておくよ」
「わかりました、お願いします」
「こっちより営業行った方がいいと思うから」
篤人と私の営業案件は、いま会社の中では注目の的だ。
水曜日に行く営業先では大きな受注がもらえるかどうかの瀬戸際。伊吹もそっちを優先にと、感じているらしい。
「藤原さん、営業もできるんじゃないですか?」
燎子がにこにことそう話しかけてくる。
「えっ?」
「すごいなぁ、仕事ができる人って」
「美濃さんも頑張ってると、俺は思うよ」
本当ですか? 嬉しいー! ときゃぴっといちゃいちゃされて、イラっとする。えーい、もう好きにして!! 話すことは全て話し終えた。じゃあ水曜日はよろしくと告げて、パソコンの方に身体を向き直す。
燎子はデスクに戻る伊吹についていき、また話を始めていた。燎子がチラッとこちらを見て、視線が合ったけれどすぐ視線を逸らした。
相変わらずの美しさ。所作のひとつひとつも上品だ。自分にはないものをたくさん持っている燎子が、素直にうらやましい。そんな気持ちを無理矢理振り払って、仕事を続けた。
当たり前のように残業になり、帰宅していく人を見送る。
一息ついてから始めようと、誰もいないリフレッシュルームでコーヒーを落としていた。
「藤原さん、お疲れ様です」
きれいな声にビクッと肩が震えた。
振り返れば、燎子のエキゾチックな瞳が私を見つめている。昼間の笑顔はなく真っ直ぐな視線が私を刺していた。
──これがアクションかな。
篤人の言っていたアクションというのはこれかもしれないと、ごくんと唾を飲み込んだ。
「お疲れさまです」
さも私は何も思っていませんと、顔に仮面を貼り付けて答える。一歩前に出た燎子がニコッとわざとらしく微笑む。
その雰囲気に気圧されそうになりながらも、篤人に言われたことを思い出す。「恋人として振る舞う」そう心に決めて燎子の瞳を見つめ返した。
「あの……私、ごめんなさい。藤原さんが伊吹さんと付き合っているの知らなかったんです」
きた。
その言葉が本当かどうかなんてどうでもいい。果たして意図はどこにあるのか。ここでどう出るかは重要なように思う。
「なんか、私が取っちゃったみたいで、本当にすみません」
「……っ!!!」
「いろいろ目障りですよね。ほんと、ごめんなさい」
めそめそと涙を溜める燎子。
全てが演技だと思うと腹立たしくて仕方ない。奥歯をぎりぎりと噛み締めているのを悟られないよう、立ったままそっとコーヒーを口に含んだ。
「……大丈夫ですよ、泣かないで?」
そっちがその気ならこっちも容赦しない。泣いてそのままなんて、絶対に帰らせない。
「風見さんと別れて確かに悲しかったですし、正直落ち込みました」
燎子の瞳をじっと見つめて話をする。吸い込まれそうなアーモンドアイ。目を逸らさないよう、話を続けた。
「でも、もう大丈夫です」
「……永井さんと付き合い始めたから、ですか?」
やっぱり知ってた。山田さんの高性能スピーカーのおかげか、はたまた燎子の高精度アンテナのせいなのか。
このままいくしかない。
握りしめた拳に親指を入れて力を込めた。すっと開いてから言葉を口にする。
「はい、永井さんと付き合っています」
「そう……ですか」
「失恋して落ち込んでいるときに、そばで話を聞いてもらったんです」
「へぇ……」
あまり興味がなさそうな燎子が、右手で左腕をさすりながらにこりと微笑む。
「風見さんのことは、もうなんとも……?」
そう言われて目を床に落とし、すぐに顔を上げて私は口角を上げた。
「ええ、永井さんとっても優しくしてくれるので幸せです」
「……」
下を向き、しばらく黙っていた燎子。小さく肩が震えているように見えたのは気のせいだろうか。
「よかったー!! ホッとしました」
「……うん、私は大丈夫だから!」
もうこっちもヤケクソ。とにかく幸せオーラ全開!! あなたと元カレとの関係なんてまったく興味ありませんという気持ちを全面に押し出す。
「よければ今度ダブルデートしましょうよ」
どういう神経してるんだろう。あなたと元カレと篤人と私で? 呆れて返事をする気にもならない。