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あの山に、まさかあんなモノが潜んでいるとは。俺たちはただ、週末のキャンプを楽しむだけの、ごく普通の若者たちだった。
リーダー格のケンタ、お調子者のリョウ、しっかり者のミカ、そして俺、タケル。
この深い森の静寂の中で、日常の喧騒を忘れ、焚き火を囲んで語り合うはずだった。
山に入ったのは、金曜日の午後だった。天気は快晴。
鳥の声が響き渡り、木漏れ日が心地よい。
ケンタが地図を広げ、「この辺りが今日のキャンプ地だ」と指差した場所は、小さな沢が流れ、開けた空間のある、まさに理想的な場所だった。
テントを張り終え、焚き火の準備を始める。ミカが持ってきた食材を切り分け、リョウが枝を集める。
平和な時間だった。まさか、この平和が、夜と共に終わりを告げるとは、その時の俺たちは知る由もなかった。
日が沈み、あたりが紺色の闇に包まれる頃、異変は始まった。
焚き火の炎が揺れる中、ミカが不安げな顔で言った。
「ねぇ、何か聞こえない?」
最初は、風の音だと思った。しかし、それは次第に、意味のない囁き声のように聞こえ始めた。
まるで、無数の人間が、遠くで何かを話しているかのようだ。だが、その声は、日本語ではない。どこの国の言葉でもない、ただひたすらに不気味な、不協和音の集合体だった。
「気のせいだよ、ミカ。山だから、色んな音がするんだ。」
ケンタがそう言ったが、彼の声も、どこか震えているように聞こえた。
囁き声は、徐々に大きくなった。
そして、その声は、私たちの頭の中に直接響いてくるかのように、内側から不安を煽る。
リョウが、急に「うわあ!」と叫んで、焚き火の向こうを指差した。
「おい、あれ、なんだよ…」
彼の指差す先には、暗闇の中に微かに光る二つの点が見えた。
それは、まるで獣の目のようにも、あるいは、誰かがこちらを覗いているようにも見える。しかし、動かない。ただ、じっとこちらを見つめているのだ。
ケンタが懐中電灯を取り出し、その光を向ける。だが、光が当たると、その光はスーッと消えてしまった。
その夜、誰もが眠れなかった。囁き声は一晩中続き、私たちの神経を少しずつ蝕んでいった。
翌朝、ミカが「もう帰りたい」と泣き出した。ケンタも、リョウも、俺も、心の中では同じことを思っていた。
だが、ケンタはリーダーとしての責任感からか、「もう少しだけ様子を見よう」と言った。
しかし、それは間違いだった。
昼間も、森の奥から聞こえてくる囁き声は止まなかった。
そして、森の中を散策していると、奇妙なものを見つけた。それは、木々や岩が不自然に絡み合い、獣とも人ともつかない形を成した彫刻だった。
「これ、誰かが作ったのかな…?」
リョウがそう言ったが、その表情は明らかに引きつっていた。
その彫刻は、あまりにも不気味で、まるで生きているかのような気配を放っていたからだ。
午後になり、天候が急変した。
それまで晴れていた空に、厚い暗雲が立ち込め、雷鳴が轟き始めた。
激しい雨が降り出し、視界は最悪になる。
俺たちは慌ててテントに避難したが、風雨はますます激しさを増していった。
その嵐の中、囁き声は、もはや嵐の音すら掻き消すほどに大きくなった。
そして、その声に混じって、何かを叩きつけるような音が聞こえ始めた。
それは、まるでテントの外で、何かが私たちのテントを狙っているかのような、恐ろしい音だった。
「何か、いる…!」
ミカが震える声で叫んだ。
その時、テントの布が、内側から勢いよく引き裂かれた。そこには、目を大きく見開き、口を大きく開けた、ケンタの顔があった。
「逃げろっ! 早く!」
ケンタは絶叫した。
その顔には、恐怖と混乱が張り付いていた。彼はテントを内側から切り裂き、外の闇に飛び出そうとしていたのだ。
その背後には、雨に濡れて光る、巨大な影が蠢いていた。
それは、先ほど森で見つけた不気味な彫刻を、さらに巨大で、おぞましくしたような姿だった。
無数の枝が絡み合い、それが手足や頭の形を成している。
俺はとっさにミカの手を掴み、テントの反対側から外に転がり出た。リョウは一瞬、硬直していたが、ケンタの叫び声に我に返り、俺たちの後を追った。
土砂降りの雨が、視界を奪う。雷鳴が轟き、稲光が闇を切り裂くたびに、巨大なモノの輪郭が浮かび上がる。
それはゆっくりと、しかし確実に、ケンタに迫っていた。
ケンタは必死に逃げようともがいているが、足元が滑り、何度も転んでいる。
「ケンタ!」
リョウが叫んだ。
だが、その声は雨音にかき消され、ケンタには届かなかった。
そして、モノの腕が、枝の塊が、ケンタの体を捕らえた。
「あああああ……っ!」
ケンタの絶叫が、雨と雷鳴を突き抜けた。それは、獣のような、あるいは人間ではない、何か別の生き物の叫び声だった。モノの腕が、彼の体を徐々に森の奥へと引きずり込んでいく。
俺は、あまりの光景に立ち尽くすしかなかった。リョウもミカも、呆然とそれを見ている。
ケンタの叫び声が、次第に遠ざかり、ついには聞こえなくなった。
残されたのは、雨と風の音、そして、相変わらず頭の中に響き続ける、あの不気味な囁き声だけだった。
「行こう、タケル…!」
ミカが俺の腕を強く引っ張った。 彼女の顔は涙と雨でぐちゃぐちゃになっていた。俺はただ、無言で頷いた。
俺たちは、もはや何も考えられなかった。
ただ、一刻も早くこの場所から逃げ出すことだけを考えていた。