テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
冷たい言い方をしているな、というのも、彼女は当然自覚している。
廉が専務に昇進した日。
優子が挨拶を交わした際、冷淡な声音で返事してくれた事。
彼が、『広報部にいた頃の自分ではない。俺は専務になったんだ』と言わんばかりの振る舞いに対する、彼女の当て付けなのかもしれない。
「…………分かった」
廉は、眉根を寄せ、苦汁を舐めたような掠れ声で言うと、伝票を掴み、立ち上がった。
「専務。飲み物代です」
優子が、黒革の二つ折り財布から千円札二枚を取り出し、彼に手渡すと、彼女が持っている財布が意外に思ったのか、色白の手を見やる。
「君にしては、随分とシンプルな財布を持ち歩いているんだな」
「服役中、刑務作業で製作したんです。売れなかったので……私がそのまま引き取りました」
「…………そうだったのか。飲み物代は俺が出す。財布をしまってくれ」
廉が札を持った彼女の手を押し返し、スーツの上着のポケットから自身の財布を取り出した。
「ご馳走さまです」
彼が会計をしている間に、カフェラウンジから出た優子は、円熟した色香を纏わせている廉の姿を見つめていた。
二人でエレベーターに乗り込み、廉がクラブフロアのボタンを押すと、鉄の箱は緩やかに上昇していく。
狭い空間にいても、優子と彼は口を噤んだまま。
「…………今から行くお部屋は…………いつも専務が女性との情事で使ってるんですか?」
居た堪れなくなった彼女が、静かに唇をうっすらと開く。
「…………岡崎も言うようになったな」
廉は、顔を顰めながら、どこか皮肉めいた口調で言い返す。
「目上の方に失礼な事を言ったとしても、私には……失う物は何もないので」
「…………」
優子の言葉に、彼は敢えて無言で聞き流す。
エレベーターがクラブフロアに到着し、廉は先に優子に降りるよう、肩を押した。
(これから……元上司に…………抱かれて金を得るんだよね……)
ピンと張り詰めた静寂に包まれている、クラブフロアの廊下。
一歩、また一歩と近付くたびに、優子の鼓動がドクドクと跳ねる。
突き当たりの部屋の前で、廉はカードキーを翳して解錠すると、ドアを開け、どうぞ、と彼女を中に入るように勧めた。