「あむ、あむ……」
さっと火を通した白身魚をほぐして、パンのミルク煮の上に乗せて貰うと、よっぽど美味しかったのか、くーは喋りながら貪っている。特に美味しい物を食べる時はご機嫌で声を出ながら食べることがあるのはうちの子だけじゃないはずだ。
初対面のマーサがすぐ傍で物珍し気に眺めていても、全く気にせずに食べ続けている。さっきまでは警戒して二階に隠れていたとは思えない。ゴロゴロと喉まで鳴らして食事しているところを見ると、一瞬で胃袋を掴まれてしまったようだった。
皿の上が完全に空になるまで一度も顔を上げずに食べ切ると、いつものソファーへと向かう。そして、定位置に着くと満足そうに毛繕いを始めている。口の周りにミルク煮が残っていたのか、前足を使って普段以上に丁寧に顔を洗っていた。
「不思議な子ですねぇ。猫、でしたかしら?」
「ええそうよ。マーサは聞いたことはない?」
初めて聞きました、と答えながら、マーサはベル達の食後のお茶の準備へと取り掛かる。何年も森に閉じ籠っている主の為にと、街で人気の茶葉をいろいろ仕入れて来ている。放っておくと不味い薬草茶ばかりを口にするお嬢様にも美味しい物を召し上がっていただきたい、ただその一心で。
魔力の無い世話係にはベルがいつも飲む薬草茶の味は分からないし、魔力疲労への効果も感じない。ただ青臭くて苦いだけ。
なので、客人である葉月にも同じ物を飲ませていると知ってギョッとした。後で彼女も魔力持ちだと聞いて、ようやく納得はしたけれど……。
「フルーツティーですか? いい香り……」
淹れて貰ったお茶は少し甘い果実の香りがした。そういえば、ここに来てから甘い物を全く口にしてないなと、葉月はお茶の甘味に懐かしさを覚える。街へ出たらスイーツとかも探してみようと密かに心へ決める。日増しに街への期待が膨らんでいく。
「そうでしたわ、週に何度かは本邸の庭師もこちらへ参ることになっておりますので」
「庭師って、クロードかしら?」
「ええ、そうです」
森の道が開いたことで、これまで放置状態になっていた別邸の手入れがようやくできると、古参の庭師が張り切っているのだという。
とは言え、途中で魔獣と遭遇する可能性もあるから護衛を付けるか、魔獣除けの結界を張りながらでないと危険な場所だ。だから館に用の無い普通の人がふらりと立ち寄って来るようなことはない。
人の往来が少ないのは、くーの存在を隠すのにも丁度良い。バレて大騒ぎにでもなった大変。なんせ、ここでは猫は幻獣の扱いらしいし。
「あ、そうそう。魔石に魔力補充をお願いしたいのですが、よろしいですか?」
「あら。何が必要なの?」
「火と水はありましたから、取り急ぎ必要なのは貯蔵庫用に氷でしょうか」
そう言って使用人部屋へと取りに戻る。ベルから奪還した部屋は、きちんと片付けてから引き続きマーサが使い始めている。そこから、今日持ち込んだ荷物から白色の魔石を出してくる。一体、何をどれだけ持って来たのかと、ベルが呆れ笑う。いろいろと用意周到で、少し怖いくらいだ。
「葉月、やってみる?」
急に振られて、えっと驚きながらも、差し出された白い石を素直に手の平の上に乗せる。そっと指を折って握り締め、冷たい氷のイメージを描きながら魔力を流していく。
水を出す時のように目に見えて成功か失敗かが分かる訳ではないので、加減が難しい。
しばらく後、この中にどれだけの魔力を溜め込めるんだろう、何の合図で終わればいいんだろうと、ちらりとベルの方へ視線を送る。
「いっぱいになったら、跳ね返ってくるわ」
ということは、まだまだだ。思った以上に集中力を要する作業。魔力補充を生業にしている魔法使いが街にはいると聞いた時、楽そうな仕事だなと思ってしまった自分が恥ずかしくなってくる。
ひたすらに氷、氷と念じていると、手の平にピリッと小さい刺激を感じる。細い針先で一瞬だけ刺されたような、そんな僅かな感覚。これが魔力が跳ね返ってきたということなんだろうか?
「終わり、かな?」
自信なさげにベルへ石を手渡して確認してもらう。受け取って軽く握り直し確かめていたようだったが、にこりとした微笑みが返ってくる。
「うん。合格よ」
「良かったぁ」
初めての魔力補充は問題無く出来たようだ。どの程度の魔力を実際に消費したのかは分からないが、いつもの薬草茶が欲しくなってくる。喉が渇いたので、既にぬるくなったフルーツティーの残りを一気に飲み干す。魔力を使ったせいで乾いたのか、それとも単に気負い過ぎたせいなのか。とにかく喉がカラカラだった。
ベルから石を受け取ると、葉月へと丁寧に礼を告げ、マーサは貯蔵庫に設置する為に調理場へと戻っていく。食材もたくさん持ち込んで来ているようなので、氷の魔石が活躍するだろう。また、近頃は葉月が使うことが少なくなった火と水の魔石も、マーサが引き継いで使うようなので、無駄にならずに済みそうだ。
毛繕いを終えた猫は、ソファーの上で顔を隠すように丸まっている。もうすっかり警戒心は消え去っているようだ。
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