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街の路地裏で、くたびれた老人が倒れていた。灰色のコートを羽織ったその老人は、息も絶え絶えに地面に横たわっている。表通りからは隠れているせいか、通行人は誰も老人に気づいていないようだった。
そこに、14歳の少年、太郎が通りかかった。太郎は親から見放された生活を送っており、毎日小銭をくすねて生き延びていた。老人を見て、太郎の目が光った。
「財布を盗めば、今日の飯代になるかもな」
そんなことを考えながら太郎はそっと老人の傍らに近づき、ポケットに手を伸ばした。ところが、老人が突然目をぱちりと開け、太郎の顔を見た。太郎は慌てて手を引っ込めた。心臓が激しく鳴った。
(ばれたか……)
老人は弱々しく微笑み、声を絞り出してこう言った。
「おお、助けてくれたのか。ありがとう、若者よ。優しい心の持ち主だな」
太郎は冷や汗を流したが、都合のいいことに、老人は何か勘違いしているようだった。盗もうとしたことがばれるのを恐れ、太郎は慌てて言葉を合わせた。
「え、ええ、まあ……大丈夫ですか? 立ち上がれますか?」
老人はゆっくりと体を起こし、太郎の肩に寄りかかった。
「ふう、助かった。長い時間倒れておったから、のどが渇いたな。少年、お茶を一杯飲ませてくれんか?」。
太郎は内心で舌打ちした。たとえ自販機のペットボトルでも金を使うのは嫌だった。そこで、仕方なく老人を自分の家に連れていくことにした。
「家なら、お茶くらいありますよ。こっちです」
太郎の家は、街外れの古いアパートの一室だった。親は仕事と称して家を空け、育児放棄が常態化していた。部屋はゴミが散乱し、埃が積もり、荒れ果てていた。太郎はキッチンで湯を沸かし、埃まみれのカップを軽く洗ってお茶を淹れた。
「どうぞ。これでいいですか?」
老人はゆっくりとお茶をすすり、満足げに息をついた。
「うむ、美味い。助かったよ。お礼に、これをやろう」
老人が懐から取り出したのは、古びた陶器の壺だった。小さく、表面に奇妙な模様が彫られていた。
「え……」
正直、あまり欲しいと思えるものではなかった。
「これは妖怪を捕まえる壺じゃ。捕まえた妖怪は、自由に使役できる。便利なものだぞ」
太郎は鼻で笑った。
「妖怪なんて、信じるわけないでしょ。そこまで子どもじゃないんですよ、俺」。
老人はにやりと笑い、壺を構えた。
「では、見せてやろう」。
老人は部屋の隅、風呂場の入り口の方に視線を向けた。そこはカビと垢がこびりつき、太郎が何ヶ月も掃除をしていない場所だった。
「出てこい、垢舐め」
老人の低い声とともに、空気がねばりと音を立てて歪んだ。薄暗い床の隅から、灰色の人影のようなものが這い出てきた。背丈は子どもの半分ほどで、皮膚は湿った垢のようにざらざらと剥がれ落ち、長い舌がだらりと垂れている。太郎は息を呑んだ。妖怪だった。本物だった。垢舐めは這うように近づき、老人の足元で止まった。老人は壺の口を妖怪に向けた。
「入れ」
瞬間、壺から黒い渦が巻き起こり、垢舐めは悲鳴のような甲高い声を上げながら吸い込まれていった。壺の中は静かになり、何事もなかったかのように部屋に戻った。老人は壺の蓋を閉め、太郎に差し出した。
「これで証明になったじゃろ。壺は本物じゃ。お前が持て。使い方は簡単だ。妖怪を見つけたら、壺の口を向け、『入れ』と命じればよい。捕まえた妖怪は、お前の言うことを聞く」
太郎は震える手で壺を受け取った。重みは意外に軽く、冷たい陶器の感触が掌に染みた。信じられない。でも、目の前で起きたことは否定しようがなかった。
「……本当に、妖怪を自由に使えるんですか?」
「もちろんだ。ただ、妖怪の姿は普通の人間には見えないし、出来ることと言ったら人をおどかすぐらいじゃがの」
「え、妖怪は見えないんですか?」
「ああ。壺の持ち主と、妖怪が狙いをつけた人間に姿を現すことは出来る。あとは、霊感と言うか、そういうものを持っとる人間がまれに姿を見ることが出来るくらいだ。だから見せびらかすことはできんぞ。たいしたことは出来ないだろうが、まあ茶の一杯分のお礼だ、そんなもんじゃろう」
そういうと老人は立ち上がり、杖代わりに太郎の肩を借りながら玄関に向かった。
「ではな、若者。またどこかで会おう」
老人はそう言い残すと、ゆっくりとアパートの階段を下りていった。太郎は部屋に一人残され、壺を握りしめたまま、長い間動けなかった。すごい力を手に入れたような気がしたが、老人の話を聞くかぎり、たいしたことはできなさそうでもあった。この力をどう使おう……そう考えながら自分の部屋に帰ろうとしたとき、隣りの一軒家に目が行った。
壁に囲まれはっきりは見えないが、ある部屋から明かりが漏れ、水音が聞こえる。太郎はそこが風呂であることをなんとなく知っていた。今の時間なら、風呂に入っているのはその家に住む女の子だろう。
自分の家の汚れきった風呂と違って、清潔に保たれたきれいな風呂場だろう。そんなことを考えると、ちょっといたずらしてやれ、という気になった。
壺の蓋をそっと開ける。冷たい空気が掌に絡みつくような感覚がした。「垢舐め、出てこい」低い声で命じると、壺の口からねばついた灰色の煙が立ち上り、床に落ちて形を成した。さっき見たのと同じように長い舌をだらりと垂らして太郎を見上げている。太郎は指で隣家の風呂場を指した。
「お前、あそこの風呂場に行って、女の子をおどかしてこい。怖がらせて、泣き叫ばせてこい。姿を見せてもいい」
しかし、驚いている姿を見られないのは残念だと思っていると、壺の中が明るくなった。覗いてみると、そこには垢舐めが見ているであろう光景が映し出されていた。
「こんな力もあるのか! いいぞ!」(続く)