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第79話:書き換えられた幸福度の名称
朝のリビング。
ミウは淡いベージュのワンピースに、薄いラベンダー色のカーディガン。
髪は耳の横でひと束にまとめ、パール調の小さなイヤリングが揺れていた。
テーブルにはヤマトフォーンが置かれ、緑の通知ランプが微かに光っている。
「ん……今日の幸福度、また届いてる……」
ミウは眠そうに端末を開いた。
いつも通り、「昨日の行動まとめ」がゆっくりとスクロールする。
買い物、協賛番組視聴、通勤ポイント——
どれも問題ない。
だが、ふと気づいて指を止めた。
「……あれ?“幸福度ポイント+1”じゃなくて……」
表示にはこうあった。
“幸福度ポイント安心イチ”
ミウは眉をひそめた。
幸福度ポイントは、大和国で導入されて以来ずっと使われてきた言葉。
学校でも職場でも、広告でも、毎日「幸福度を上げよう」と言われ続けてきた。
なのに。
「安心イチ……? いつから変わったんだろ……」
ミウは薄い唇を噛みながら、画面を何度もスワイプする。
説明ページを開こうとすると、端末が一瞬フリーズし、
代わりに緑色のポップアップが表示された。
「アップデート完了:幸福度ポイント+1 → 幸福度ポイント安心イチ」
「明るい未来のための表現最適化です」
まるで“前からこれでしたよ?”とでも言うような文言だった。
ミウは少し震える手でカーディガンの袖を握りしめた。
「でも……ニュースで言ってたっけ……?」
ちょうどそのとき、キッチンからまひろが顔を出した。
水色のTシャツに黄緑の短パン、寝癖で髪が跳ねている。
「ミウおねえちゃん! 今日の幸福度……じゃなくて、安心イチ、いくつだった?」
ミウは一瞬言葉につまった。
「……まひろ、いつから“安心イチ”って呼んでるの?」
まひろは首を傾げ、無邪気に笑った。
「え? ずっとだよ? 学校でもみんな“安心イチ”って言ってるよ」
ミウの喉が詰まるような感覚が走った。
“ずっと”のはずがない。
前までは、まひろも「幸福度+1」と言っていた。
学校の掲示板も、職場のモニターも、スーパーの広告も。
すべてが——
一夜にして書き換えられたかのように。
ミウはヤマトフォーンを胸に抱き、
緑色に発光する小さな画面を見つめながら、小さく呟いた。
「……誰が、いつ、私たちの言葉を変えたの……?」
そのつぶやきは、静かな部屋の空気に吸い込まれ、
どこにも届くことはなかった。
ただ、端末の画面の片隅で——
“安心イチ:今日も協賛ありがとう”
その文字だけが、静かに光り続けていた。