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灯依
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第7話「ひとりバンド」
シンの部屋には、楽器が多すぎた。
ギター。
ベース。
小さなキーボード。
電子ドラム。
マイク。
録音用の端末。
それから、床に置かれた大量のケーブル。
高校生の部屋というより、小さな配信スタジオだった。
シンは椅子に座り、ユーチューブのライブ配信画面を見つめていた。
画面の右側には、待機中のコメントが流れている。
今日ほんとに全部ひとりでやるの?
人格交代ライブ楽しみ。
ギター人格推しです。
ドラム人格、前回テンポ速すぎて笑った。
シンは深く息を吸った。
胸元の人格タグが震える。
代表人格 シン
交代候補 ギター人格 鍵盤人格 ドラム人格 ベース人格 歌人格 照れ人格
「……今日は落ち着いてやる」
内側で、ドラム人格が足踏みした。
ギター人格が指を鳴らした。
歌人格が発声練習を始めた。
落ち着く気配は、ひとかけらもなかった。
机の横で、ユメカが配信画面を確認している。
ベージュのカーディガンの袖を少しまくり、端末を二台並べていた。
「音、入ってる。画面も大丈夫」
リクは床に座り、コメント管理用のタブレットを持っている。
灰色の上着のポケットから、予備のケーブルがはみ出していた。
「視聴者、もう三百人いる」
「始まる前から?」
シンの声が裏返る。
ユメカの応援人格が出た。
「大丈夫!シンならできる!」
リクの分析人格がすぐ続ける。
「ただし、人格交代の間隔が短すぎると音が荒れる」
「そういう現実的なこと今言わないで」
「現実だから言う」
開始時刻になった。
ユメカが指を上げる。
三。
二。
一。
配信開始。
シンはマイクの前で固まった。
コメントが流れる。
来た!
こんばんは!
ひとりバンド始まった!
シンは代表人格のまま、ぎこちなく頭を下げた。
「こんばんは。シンです。今日は、えっと……ひとりで演奏します」
すぐに内側で歌人格が叫んだ。
声が小さい!
シンの目元が変わる。
歌人格が前に出た。
「こんばんはー!今日は最後まで楽しんでいってね!」
コメントが一気に跳ねる。
歌人格きた!
声でか!
代表との差!
シンの頬が熱くなる。
照れ人格が出かけたが、ギター人格が押しのけた。
最初の一音。
ギターが鳴った。
指が迷わず弦を押さえる。
リズムは軽く、音は跳ねる。
シンの背中が少し丸まり、視線は手元だけを見る。
代表人格の時とは別人みたいに、指先だけが強気だった。
リクが画面の端でうなずく。
「いい入り」
ユメカはコメントを見て笑う。
ギター人格かっこいい。
指だけ性格違う。
普段との落差すごい。
曲の一節が終わる前に、ベース人格が前へ出た。
シンはギターを置き、すぐ横のベースを取る。
低い音が部屋の床を震わせた。
「交代早い!」
ユメカが小声で言う。
ベース人格は無口だった。
でも音はよくしゃべる。
底から支えるように、曲を前へ押す。
次に鍵盤人格。
背筋が伸びる。
キーボードの前に座る。
指がやわらかく動く。
コメントが流れる。
鍵盤人格、姿勢いい。
急に優等生。
今の音すき。
シンは演奏しながら、内側で全員の気配を感じていた。
ギター人格は早く戻りたがっている。
ドラム人格は足で床を鳴らしている。
歌人格はサビを待っている。
代表人格は、ただ祈っている。
どうか止まらないでくれ。
サビ前。
ドラム人格が飛び出した。
電子ドラムの椅子に座る。
スティックを握る。
足がペダルを踏む。
音が一気に厚くなる。
ドン。
タン。
ドドン。
リズムが走る。
少し走りすぎた。
リクの分析人格が端末を見て眉を動かす。
「テンポ上がってる」
ユメカのコメント管理人格が言う。
「でもコメントは盛り上がってる」
「曲としては危ない」
「ライブとしてはおいしい」
「判断が難しい」
シンの中で代表人格が叫ぶ。
速い!
速いって!
ドラム人格は楽しそうだった。
止まる気がない。
ギター人格が無理やり戻り、リフを合わせる。
ベース人格が低音で支える。
鍵盤人格が音を整える。
歌人格がサビで飛び出す。
「ひとりじゃないって うるさいくらい」
声が部屋に広がる。
コメント欄が一気に流れた。
歌詞いい。
人格ソングだ。
今の一人でやってるの信じられない。
中がバンドすぎる。
シンは歌いながら、少し笑いそうになった。
本当に、中がバンドだった。
しかも、全員が前に出たがる。
二曲目。
三曲目。
配信は進んだ。
ユメカの応援人格が画面外で小さく拍手する。
リクの盛り上げ人格がコメントを読む。
「質問です。人格ごとに練習時間は分けていますか?」
シンの代表人格が戻り、息を整えながら答える。
「分けてるつもりなんだけど、ドラム人格が夜中に練習したがるので困ってます」
ドラム人格が即座に出る。
「リズムは寝ない!」
ユメカが吹き出す。
リクが真顔で言う。
「近所は寝る」
コメント欄が笑いで埋まった。
次の質問。
「一番扱いにくい人格は?」
シンは少し黙った。
内側で全員が静かになる。
代表人格は考えた。
ギター人格は勝手にアレンジする。
ドラム人格は速くなる。
歌人格は感情を乗せすぎる。
照れ人格は配信中に隠れたがる。
ベース人格は地味に頑固。
鍵盤人格は完璧を求める。
シンはマイクに向かって言った。
「全員、少しずつ面倒です」
コメントが跳ねる。
正直。
でも仲よさそう。
面倒な全員で曲作ってるのいい。
その言葉を見た瞬間、シンの照れ人格が出た。
顔が赤くなる。
視線が横へ逃げる。
「……ありがとうございます」
声が小さくなる。
ユメカの応援人格が小さくガッツポーズした。
「照れ人格、人気あるよ」
「言わないで」
「かわいいってコメント来てる」
「読まないで」
リクの盛り上げ人格が読む。
「照れ人格もソロください」
「読まないでって言った!」
流れで、照れ人格のソロが始まった。
楽器ではなく、タンバリンだった。
シンは赤い顔のまま、控えめにタンバリンを鳴らす。
しゃん。
しゃん。
しゃん。
コメント欄が一番盛り上がった。
照れソロ最高。
今日の主役。
タンバリン人格では?
シンは耐えきれず、代表人格に戻って叫んだ。
「違う!これは事故!」
ユメカもリクも笑っていた。
最後の曲。
シンは全部の楽器を順番に重ねていった。
ギター。
ベース。
鍵盤。
ドラム。
歌。
人格が入れ替わるたびに、同じ体の表情が変わる。
目の強さ。
肩の角度。
息の吸い方。
指の置き方。
ひとつの体で、何人分もの音が鳴る。
忙しくて。
面倒で。
まとまらなくて。
でも、どこかでちゃんとつながっている。
サビで、歌人格が声を張った。
「交代しても 迷っていても
この音だけは ここにある」
画面の向こうで、コメントが流れ続ける。
拍手。
感想。
笑い。
次の配信を待つ声。
曲が終わった。
シンはマイクの前で、しばらく息を切らしていた。
代表人格に戻る。
部屋が静かになる。
電子ドラムのランプだけが、まだ小さく光っていた。
ユメカが配信終了の合図をする。
リクが親指を立てる。
シンは画面に向かって頭を下げた。
「ありがとうございました。また、たぶんやります」
ドラム人格が出かける。
「明日やる!」
代表人格が慌てて戻る。
「たぶんです!」
コメント欄が最後まで笑っていた。
配信終了。
部屋に、急に現実の音が戻ってくる。
パソコンのファン。
椅子のきしみ。
ケーブルが床をこする音。
シンは椅子にもたれた。
「疲れた……」
ユメカが画面を確認する。
「同時視聴、最後は二千人超えてた」
「え」
リクがタブレットを見せる。
「切り抜き、もう上がってる。タイトル、照れ人格のタンバリンソロ」
シンは両手で顔を覆った。
「そこじゃないだろ……」
ユメカが笑う。
「でも、そこもシンだよ」
「違う。あれは事故」
リクが言う。
「事故まで含めてライブ」
シンは返事をしなかった。
胸元の人格タグが震える。
ギター人格 次回新曲希望
ドラム人格 明日配信希望
鍵盤人格 練習希望
ベース人格 音量調整希望
歌人格 歌詞追加希望
照れ人格 しばらく休みたい
代表人格 寝たい
シンはそれを見て、ため息をついた。
「全員、勝手すぎる」
内側から、誰かが笑った。
でも楽しかったでしょ。
シンは少し黙った。
楽しかった。
悔しいくらいに。
ユメカがケーブルをまとめながら言う。
「次回の告知、どうする?」
リクがすぐ答える。
「来週の土曜がいい。編集も間に合う」
シンは顔を上げた。
「次回ある前提?」
二人は同時にうなずいた。
シンの内側でも、ほとんど全員がうなずいた。
照れ人格だけが布団にもぐった。
シンは小さく笑った。
「じゃあ、来週」
ドラム人格が足を鳴らす。
ギター人格が指を鳴らす。
歌人格が声を整える。
シンは慌てて胸元のタグを押さえた。
「今日はもう終わり」
内側から不満の気配がした。
それでも、部屋にはまだ音の余韻が残っていた。
弦の震え。
鍵盤のやわらかさ。
低音の重み。
ドラムの跳ねる足音。
少し照れたタンバリン。
シンは楽器に囲まれた部屋を見回した。
ひとりで演奏している。
けれど、ひとりでは鳴らせない音がある。
その面倒さが。
その騒がしさが。
たぶん、今の自分のバンドだった。
スマホが震えた。
ライブ終了後の通知。
チャンネル登録者が増えました。
シンは画面を見て、固まる。
それから、ぼそっと言った。
「……また緊張するじゃん」
照れ人格が奥でうなずいた。
ドラム人格が叫んだ。
緊張もリズムにすればいい!
シンは笑って、スマホを伏せた。
「うるさい。でも、ちょっといいこと言うな」
その夜。
シンの部屋の電気が消えたあとも、内側ではまだ小さな音合わせが続いていた。
代表人格は眠ろうとしている。
ギター人格は新しいフレーズを考えている。
鍵盤人格はコードを整えている。
ベース人格は低い音を探している。
ドラム人格は足で布団を鳴らしている。
歌人格は次の歌詞を口ずさんでいる。
照れ人格は、タンバリンを遠くへ隠そうとしている。
シンは目を閉じた。
来週も、きっと大変だ。
でも。
配信画面の向こうで誰かが笑ってくれるなら。
このうるさいバンドを、もう少し続けてもいい。
胸元の人格タグが、暗い部屋で小さく光った。
代表人格 休息中
同居人格 作曲中
シンは寝返りを打ち、小さくつぶやいた。
「寝ろよ、俺たち」