テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
転移陣を抜けた刹那、世界がいったん白に塗り潰された。
白い階段。白い壁。
突然の光が視界の奥を焼くように突き刺し、ミラは反射的に腕を顔の前へ立てる。
「まぶしっ……!」
ダリウスは一歩、二歩と恐る恐る階段を上がった。
足裏が石を踏む感触だけがやけに確かで、逆に周囲の距離感は曖昧だった。階段を越え、部屋の縁へ踏み込んだ瞬間、
「ここは……」
言葉が空中に吸われた。
反響が返ってこない。声を出したはずなのに、耳が「今の本当に喋ったか?」と疑ってくる。白い面が続き、遠近感が狂って視線が滑る。唯一、部屋の中心にある台座だけが、上下左右の間隔をかろうじて世界に固定していた。
オットーがぐるりと見渡し、舌打ちまじりに吐く。
「ボス部屋じゃねぇ……試練の部屋じゃねぇか」
エドガーは魔導書を抱えたまま、肩をすくめる。笑っているようで、笑っていない。
「最後の部屋がここですか……。随分と、無駄に清潔ですね」
そして、来た。
『おめでとう』
声は上からでも前からでもない。
頭の中に響いているようで、壁から滲んでいるようで、女か男か、子供か老人かも判別できない。温度のない声だった。祝福の形だけをしていて、心が一切乗っていない。
ダリウスは、切実に天井へ向けて叫んだ。
「ここにあるのか? ミラの石化を治す薬は?」
一拍。白い沈黙。
『そんなものはないよ。あるのは奇跡だけ』
オットーが頭をかき、吐き捨てるように言う。
「治りゃ何でもいい。さっさと奇跡を起こしてくれ」
『代償を支払ってからだよ』
その言葉で、空気が一段重くなる。
ミラは無意識に右手を握った。石の感触がない指先が、逆に怖い。治らないまま終わるかもしれないという恐怖が、喉の奥からせり上がる。
エドガーの指が、魔導書の革表紙に食い込んだ。苛立ちと、抑えきれない痛みが混ざった目で白を睨む。
「もうたくさん支払っているでしょう。私たちだけじゃない——エリーも……!」
名前を出した瞬間、胸のどこかが鈍く疼いた。言葉の続きを、喉が拒むみたいに詰まる。
『君たちの望むものは、死の回避。因果の縫い直し。——ちょっとやそっとじゃ足りない』
白い部屋が、さらに白くなった気がした。
否定されたのは薬じゃない。彼らが積み上げてきた必死そのものだった。
ミラの声が、かすれて落ちる。
「そんな……」
希望が、軽く踏み潰される音がした。
『……とはいっても、 今まで支払ってきた代償も相当なものだ。おまけしてあげるよ』
無機質な声は、値札を付け替えるみたいに軽かった。
『ダリウス。君の記憶だけでいい。それと交換だ』
その条件が口にされた瞬間、空気が一斉に凍った。
ミラの喉が鳴る。オットーの眉間が寄る。エドガーの指が、魔導書を握り潰しそうなほど白くなる。
なのに。
「わかった。好きなだけ持って行け」
ダリウスは即答した。
迷いの間もない。むしろ、肩の荷を降ろすみたいな軽さすらあった。
「だめ! ダリウス——!」
ミラが手を伸ばした。止めるという意思だけで身体が飛び出す。
けれど、その指先が触れるより早く、
ダリウスの輪郭が、白い光に溶けた。
光は包むというより満たすだった。
彼の皮膚の内側から溢れ出るように、眩い泡みたいに膨らんで、白い部屋へ吸い込まれていく。
「くそがっ……!」
オットーは眩しさに目を細めながらも、必死にダリウスを見続けた。
エドガーは短く舌打ちをして、それ以上何も言えなかった。言ったら、何かが折れる。
そして、光が引いた。
同時に、ミラの右手が音を立ててほどけ始める。
指先の石化した表面が、乾いた壁の漆喰みたいにボロボロと崩れ落ちた。欠けた石が床に散り、次に手の甲、腕、頬へと連鎖していく。
皮膚が戻る。血の温度が戻る。
痺れていた感覚が一気に押し寄せて、ミラは息を呑んだ。
でも、どうでもよかった。
「ダリウス! 大丈夫!? ねぇ、返事して!」
2
#恋愛
ばたっちゅ
2,831
#推しが尊い
雪 @無期限休暇中
626
193
ミラは両腕で彼を揺さぶった。治った腕で、必死に。
戻ってきたものを確かめる暇もない。今、目の前で失われたものの方が重すぎた。
ダリウスはふらりと首を動かし、あたりを見回した。
そして、頭を押さえながら呑気な声で言った。
「ここは……どこだ?」
ミラの胸の奥が、ひゅっと縮む。
ダリウスは次に、ぱっと表情を明るくしてオットーへ近づいた。
「ん!? オットー! ……エドガーも。久しぶりだな! 引退以来か?」
「……は?」
オットーの口から、間抜けな音が漏れた。
理解が追いつかないというより、理解してしまうのが怖くて脳が拒否した。
エドガーは一瞬で状況を飲み込んだ。
そして俯いた。拳が震える。言葉を出したら、喉が裂ける。
ダリウスは自分の腕を掴み、目の前の少女へ向き直った。
腰を落として視線を合わせ、まるで初対面の礼儀で、穏やかに笑う。
「ん? はじめまして、かな。俺はダリウスっていうんだ」
そして、その目のまま無邪気に続けた。
「オットーとエドガーの親戚か何かかい?」
ミラは固まった。
喉が開かない。舌が動かない。脳の中だけが騒がしく、言葉の形を作る前に崩れていく。
「あっ……わ、わたしは……っ」
やっと絞り出しかけた、その瞬間。
『記憶を呼び起こすことは、お勧めしない』
無機質な声が、すっと割り込んだ。
『おそらく——壊れるよ』
“壊れる”。
その一語が床に落ちて弾んだみたいに、空気を冷たくした。
オットーの顔が硬直する。
エドガーの眉がわずかに動き、目だけが鋭くなる。
ミラは凍ったまま息を吸い損ねた。
当の本人は、まるで嵐の外にいるみたいに落ち着いていた。
「どうしたんだ?」
ダリウスが首を傾げる。
不思議そうに三人を見回して、少し困ったように笑う。
「みんな怖い顔して……あ、途中でごめんよ」
それから、ミラに視線を戻す。
優しい調子で、確認するみたいに尋ねた。
「君の名前は?」
ミラの肩が、びくりと跳ねた。
心臓が喉までせり上がる。震えが止まらない。指先が冷たい。
「ミ……」
声が裏返りそうになるのを、噛み殺す。
「……ミラ……です」
言った瞬間、世界が少しだけ遠くなる。
自分の名前が、こんなに怖いものになるなんて。
「ミラ!」
ダリウスの顔がぱっと明るくなった。
嬉しそうに、無邪気に。残酷なほど自然に。
「君はミラって言うのか。奇遇だな! うちも親戚の子を預かっていてさ、ミラっていうんだ」
ミラの胃が、きゅっと縮む。
「今度、神学校に入るんだよ」
その言葉は刃じゃない。
なのに、刃より深く刺さった。
ミラの口元が引き攣る。笑顔の形だけを貼り付けて、呼吸を真似する。
「そ……そうなんですね……ははっ……すごい……」
笑えてない。
自分でもわかるくらい、笑えてない。
オットーの中で、何かがぷつんと切れた。
行き場のない怒りが拳を震わせ、胸の奥で煮えたぎって喉から声になって飛び出した。
「ダリウス! しっかりしろ!」
オットーはダリウスの肩を掴み、ぐらぐらと揺すった。
揺すれば戻る、そう信じたいみたいに。
「おめぇの娘は――目の前にいるだろ!!」
その一言で、空気が凍った。
「だめです! オットー!」
エドガーの叫びは遅い。
“言ってはいけない言葉”は、いったん口から出れば戻らない。
『……あぁ。言っちゃったね』
謎の声が、軽く、面白がるように落ちてきた。
ダリウスの瞳が、ぱちりと瞬いた。
「えっ?」
理解しようとする顔だった。
理解できるわけがないのに。
「どういう……」
言葉の途中で、ダリウスの頭の中に電流が走ったみたいに、何かが突き刺さる。
笑顔が引きつる。顎が震える。
「あっ……あぁぁ……っ」
次の瞬間、喉が壊れた機械みたいな音を漏らして、
「ぐぅ……がががが……!」
泡を吹いた。
倒れる。
壊れた人形みたいに力が抜け、身体が床へ落ちていく。
「ダリウス!」
エドガーが咄嗟に抱き留めた。
間に合ったのは誇れることじゃない。間に合わなかったものが、もう多すぎる。
ミラは真っ青になった。
膝が笑う。震えが止まらない。立っていることさえ許されないみたいに、そのまま崩れ落ちた。
「くっそがぁ……!」
オットーの拳が震える。怒鳴りたい相手がいない。殴りたい壁すら、ここにはない。
「エドガー! ダリウスは!」
エドガーは返事をする前に、ダリウスの口元へ手を当てた。呼吸。脈。
冷たいほど手順が正確で、逆にそれが痛かった。
「……大丈夫です」
声が低い。
「失神しているだけです……!」
ミラは自分の肩を掴んでいた。掴まないと、身体がばらばらになりそうだった。
「わ、わたし……腕が治って……」
石化が剥がれ落ちた指先が、今はやけに生々しい。
元に戻ったはずの肌が、罪みたいに見える。
「でも……こんなこと……望んでなくて……」
涙が出ない。怖すぎると、涙は遅れてくる。
声だけが震えて、喉の奥で擦れていく。
オットーは、はっと我に返ったみたいにミラへ駆け寄った。
大きな手で背中をゆっくりさする。乱暴に触れたら、今度こそ壊れてしまいそうで。
「ミラ。大丈夫だ」
言い聞かせるみたいに。自分にも。
「絶対に。絶対にだ」
オットーの声は低く、揺れながら、それでも芯があった。
「俺たちが……何とかする!」
その言葉だけが、白い部屋の真ん中で、かろうじて地面になっていた。
オットーは、ゆっくり立ち上がった。
膝の痛みも、右腕の違和感も、今はどうでもいい。
足音は一歩ごとに重くなり、まるで床を踏み割るみたいに白い部屋の中心へ向かう。
台座の前で止まる。
顔を上げる。天井とも壁ともつかない“どこか”を睨みつける。
声が出た瞬間、獣の唸り声みたいだった。
「てめぇ……」
唇の端が引きつり、歯の隙間から息が漏れる。
「今すぐぶっ殺してやるからよぉ……さっさとダリウスの記憶、戻せよ……意味、わかるよなぁ?」
次の返事は、拍子抜けするほど軽かった。
『いいよ』
空気が一拍、止まる。
「……はっ?」
エドガーの目が見開かれた。
ミラの顔にも、恐怖の中にほんの少しだけ“助かるかもしれない”という色が混じる。
だが、その希望に釘を刺すみたいに、謎の声は続けた。
『その代わり、代償だ。君たちの記憶を少しずつもらうよ』
オットーの額に、青い筋が浮いた。
「……マジで?」
そして、次の瞬間。
「神かどうか知らねぇが——ぶっ殺してやろぉカァァァ!!」
拳を握りしめたオットーの前に、エドガーが手を突き出した。
「オットー! 落ち着きましょう!」
『そうだよ』
声は笑っているのか、いないのか。
温度のない、なのに余裕だけはある響き。
『僕には生も死もない。微風に、噴火に、木漏れ日に、津波に喧嘩を売ってもしかたないよ?』
エドガーは喉の奥で息を整え、視線を上へ向けた。
怒りを押し殺すというより、危険物を扱う手つきになっている。
「……記憶というのは?」
『ミラにはダリウスの記憶を少し。オットーにはジェリーとタッカーの記憶を少し。エドガー君には……お父さんの記憶を少しもらおう』
ミラの肩がびくりと跳ねた。
オットーの表情が、怒りのまま固まる。ジェリーとタッカー。その名前は、まだ胸の奥に刺さったままだ。
エドガーは乾いた笑みを浮かべる。嫌味と警戒を、同じ薄皮で包んだ顔。
「“少し”とはどのくらいですか? 定量的に説明してもらわないと困ります」
『少しは少しさ。ダリウスの失った記憶に釣り合うだけ』
その言い方が、いちばんタチが悪い。
ミラの喉が鳴った。
震えが止まらないまま、ようやく涙が出てきた。
「わ、私……それでいい……。ダリウスが……元に戻るんでしょ?」
オットーが振り向いた。
叫びは、怒りじゃない。止めるためのものだった。
「やめとけ! ミラ!」
白い部屋の真ん中で、三人の呼吸だけがうるさい。
オットーとエドガーは、言葉なしに視線を交わした。
そして、同時に小さく頷いた。
「おい。俺とエドガー——二人が代償を払う!」
言い切る声に、逃げ道はなかった。
ミラのほうを見ない。見たら、揺らぐ。
『もちろん。それでもいいよ』
無機質な返事が、白い部屋にすべり落ちる。
「だっ、だめ……!」
ミラが立ち上がろうとして、膝が抜けた。
恐怖と焦りと、喉の奥の息が絡まって、言葉が破裂する。
「絶対に……ろくなことにならない! 私も代償を払う! 私も——!」
ミラの肩に、そっと手が触れた。
エドガーが支えている。顔色はまだ悪いのに、声はやけに落ち着いていた。
「残念ですが、ミラ」
薄く笑う。いつもの嫌味より、ずっと優しいやつ。
「今回の試練は、受験資格が満四十歳以上の中年に限るんですよ」
「なにその——!」
ミラが文句を言いかけた瞬間、オットーがニヤリとした。
「そういうことだ」
その笑みは軽口なのに、目だけは真剣で、逃がさない。
「お前はこれまで、自分の命削って俺たちを支えてきた。だからよ。
大人が、おっさんが、ここで背中見せなきゃ——釣り合いが取れねぇ」
ミラの喉が詰まる。
反論が出てこない。泣き声だけが喉の奥でうずく。
『では』
謎の声が、淡々と宣告する。
『オットー君には盾を取り上げる。右手をもらうよ。
エドガー君からは魔法を取り上げる。目玉をもらうよ』
空気が一瞬で冷えた。
オットーは、ふぅと長く息を吐いた。
怒りでも、諦めでもない。腹を括る前の、最後の呼吸だった。
確かに、俺たちは強くなった。
現役を超えて、第一線に戻れるくらいには。
でも、若い奴の席に、いつまでも尻を据えるつもりはない。
オットーは自分の右手を見る。
そこには痛風で腫れた夜も、盾を握って踏ん張った朝も、仲間の血の温度も、全部残っている気がした。
視線をずらして、ボロボロの盾を見る。
縁は削れ、革紐はちぎれかけ、それでも何度も、何度も、誰かを守った形をしていた。
「……ありがとな」
ぽつりと落ちた声は、妙に優しい。
「たくさんの仲間を守ってやれた」
『どうする、オットー?』
オットーは顔を上げる。
目の奥に、しっかり灯が入っていた。
「その話——飲む」
エドガーは一度、瞼を閉じた。
自分の人生は、魔法に捧げるだけの人生だった。
それでいいと、思っていた。
でもエリーと出会って、世界が広いと知った。そして人を愛することも。
知らないことは、恐ろしいだけじゃない。眩しい。面白い。腹が立つくらい、続きがある。
父の介抱を終えたら。
ダリウスに料理でも習おう。
火加減とか、塩の量とか、そういうくだらないで世界が変わることを、覚えてみたい。
エドガーは目を開け、天井を見上げた。
『エドガーは?』
答える前に、オットーが肩をすくめた。
代わりに言うように、でも押しつけじゃなく。
「……いいでしょう」
ミラは立てないまま、首を振る。
「やだ……やだ……やだ……みんな……!」
指が床を掻く。声が震える。
止められないのが、いちばん怖い。
そして。
全員が、光に包まれた。
眩しさの向こうで、あの声が淡々と告げる。
『合格だ。おまけして、今回の試練の記憶は残してあげるよ』
その言葉が祝福なのか。
それとも最後の悪意なのか。
ミラには、まだ判断がつかなかった。