テラーノベル
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日が暮れ、辺りが薄暗くなると、紫野は国雄とともに八木家を後にした。
村上の屋敷へ戻る途中、国雄は思いがけない場所へ紫野を連れて行く。そこは、シュークリームを売っている洋菓子店だった。
「奥様へのお土産ですか?」
「いや、ちょうど通り道だから、千代さんに挨拶して帰ろう」
「まあ!」
国雄からの思いがけない提案に、紫野は喜んだ。
「忙しい時間帯だから長居はしないけれど、君の顔を見たらきっと千代さんも安心するだろう」
「お気遣いありがとうございます。私も気になっていたので、寄っていただけて嬉しいです」
「じゃあ、買って来るから少し待ってて」
「はい」
国雄は車から降り、洋菓子店へ入って行った。
(なんてお優しいの……きっと千代も喜ぶわ)
紫野は頬を緩ませる。その時、見覚えのある人影が目に映った。
(蘭子様……)
蘭子は二人の女友達を連れて前から歩いてきた。紫野はとっさに身を低くし、蘭子に見つからないように隠れた。
その甲斐あって、蘭子は車内の紫野には目もくれず、洋菓子店の隣にある喫茶店へ入っていった。
それを見届けた紫野は、深く息を吐き、ほっと胸をなで下ろす。
しばらくして、買い物を済ませた国雄が車に戻ってきた。
国雄は少し青ざめた表情の紫野に気付き、彼女に声を掛けた。
「どうかした?」
「え? あっ、いえ……なんでもありません」
紫野は慌てて姿勢を戻し、何事もなかったかのようにシュークリームの箱を受け取った。
国雄は不審に思いつつ、それ以上何も聞くことはなく車を走らせた。
千代の家に着くと、彼女は驚いた顔で二人を迎えた。
元気そうな紫野の姿を見た千代は、涙を浮かべて喜びを露わにした。
「紫野様! 顔色がずいぶん良くなられて……ここにいた頃はお痩せになっていたのに、少しふっくらされましたね。これも村上家の皆様が良くしてくださったお陰でしょう……。国雄様、本当にありがとうございます」
千代はそう言い、国雄に深々と頭を下げた。
そんな千代に向かって、国雄は微笑みながら言った。
「今日は挨拶だけで本当に申し訳ないです。紫野さんがお休みの日に、また連れてきますから」
「お気遣い、本当にありがとうございます。それに、こんなにたくさんのシュークリームまで。私たちのことまでお気にかけていただき、本当に恐縮でございます」
「じゃあ千代、またね!」
「失礼いたします」
「帰り道、お気をつけて!」
千代と千代の姪夫婦に見送られながら、紫野と国雄は屋敷へ戻った。
その晩、風呂を済ませた紫野は、自室の窓から夜空を見上げていた。
(今日は月も星も見えないわ……)
灰色の厚い雲に覆われた重苦しい空は、まるで今の紫野の心の中を映し出しているようだった。
(せっかく幸ちゃんと千代に久しぶりに会えたのに、楽しかった一日が台無しだわ。小さな町では、いつまた蘭子様に会うか分からないし……いつまで居場所を隠し通せるかしら?)
不安を抱えたまま、紫野はベッドに身を横たえた。
(くよくよ考えても仕方ないわ、紫野! 今はとにかく、一生懸命このお屋敷で働くことに集中しましょう!)
紫野はそう心に誓うと、静かに眠りについた。
翌朝、紫野は村上家の夫人・美津に呼び出された。
「奥様、お呼びでしょうか?」
「ああ、紫野さん! ちょっとそこに座ってもらえる?」
「はい。失礼いたします」
改まった様子に何だろうと思いながら紫野が座ると、美津がニコニコと微笑みながら、大きな箱を紫野の前に置いた。
「これは?」
「先日、仕立ててもらったワンピースが出来上がったのよ。開けてみて!」
「はい」
紫野は嬉しそうに微笑みながら、箱を開けてみる。
そこには、ブルーグレーのシックなワンピースが丁寧に収められていた。
落ち着いた色のワンピースは、屋敷で改まった行事がある時に役に立ちそうだ。
紫野は、さらに箱の中にもう一枚ワンピースが入っていることに気付いた。それは、紫野の知らないワンピースだった。
茜色のベロア素材のワンピースは、「夜会服」としてパーティーにも着ていけるほど、とても豪華で洗練されたデザインだった。
上半身は、首回りと背中が上品に開き、襟元と袖口はレースで飾られていた。スカート部分はやや長めで、裾は歩くたびに揺れるフレアスタイルだ。
とてもエレガントでうっとりしてしまうほど素晴らしいドレスだった。
「奥様……こちらのワンピースは、私のものではありませんが……?」
「いいえ、それも紫野さんのものよ。私が特別に注文して作ってもらったの」
「えっ?」
紫野は驚きで言葉を失う。
「来月、東京でパーティーがあるの。国雄が出席する予定なんだけれど、それを着てあなたにも行ってもらいたいのよ」
突然の美津の言葉に、紫野は驚いた。
「私が……ですか?」
「そうよ。結婚している方は奥様を伴われるパーティーなの。でも、国雄はまだ独身でしょう? パートナーがいた方が都合がいいみたいだから、ぜひあなたに一緒に行ってもらいたいの」
「…………」
紫野はかなり困惑していた。
村上家の跡取りである国雄なら、使用人の紫野を伴わずとも、ガールフレンドの一人や二人いるだろう。だから、なぜ自分が行かなければならないのか、その理由がまったく分からなかった。
紫野は戸惑いながら、美津にこう尋ねた。
「私ではなく、他に相応しいお方がいらっしゃるのでは?」
「いいえ、いないからお願いしているのよ。それに、これは国雄の希望でもあるのよ」
美津はそう言って、にっこり微笑んだ。
「国雄様が?」
まだ戸惑っている紫野を見て、美津はさらに続けた。
「あなたは、まだご両親がご健在だった頃、何度も東京へ行っていたんですってね。だから、東京のパーティーや雰囲気には慣れていらっしゃるのよね?」
「東京へは何度も行きましたが、まだ女学校時代のことでしたから……」
「ううん、それでもないよりはましよ。せっかくのチャンスなんだから、国雄と東京で楽しんでいらっしゃい!」
「でも……」
「ふふっ、これは私からの命令だと思って引き受けてちょうだい! じゃあ、よろしく頼んだわよ」
美津は、まだ何か言いたげな紫野を残して、笑顔のまま部屋を後にした。
コメント
32件
ドレスアップした紫野ちゃんは楽しみだけれど…👗🥂🌃✨️ パーティーで乱子に会うことになると思うので心配ですね…😔 国雄ちゃん、愛しい彼女をしっかり守ってあげてくださいね🍀
国雄様 ありがとうございます😊紫野ちゃんの顔を見るだけで村上家で大切にされている事ぎ判り千代さんもほっとしている事でしょうね そしてお義母様の選んだ茜色のドレス 二人の思い出の茜色の空を思わせるような素敵なドレスなのでしょうね これを着てパーティに二人で出席🩷周りが羨む雰囲気なのでしょうね こんな二人の間には蘭子さんは入れないですよ さっさとどちらかに行ってしまって下さいね
蘭子に会うでしょう。心配だわ。