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自分の声が、他人のものみたいに軽く弾んでいた。
テーブルの上には飲みかけのペットボトル、友達の笑い声、鳴り止まない通知。全部が「普通の放課後」の風景をしている。
けれど、笑った拍子にこぼれた息の奥で、胸のどこかがひどく冷たかった。
──置き去りのまま、という言葉がやけにしっくりくる。
「今日さ、あれやばくない?」
隣の子が身を乗り出してくる。話は盛り上がっている。雰囲気はいい。自分もちゃんと笑えている。
なのに、不意に襲ってくる。
──“もし今、この笑顔が崩れたら?”
──“気づかれたら面倒だと思われる?”
──“そもそも、ここにいて大丈夫?”
針の先みたいな問いが、心の内側をちくり、ちくりと刺してくる。
「……ねえ、聞いてる?」
「うん、聞いてるよ」
返事は自然。表情も破綻してない。
それなのに“何を話したか”はほとんど残っていない。ただ、笑うたびに胸がすこし沈む。
本当は、不安の正体なんて分かっている。
たぶん、自分で自分を守り損ねてきたのだ。
誰かに嫌われないように、気を遣いすぎて、心が後ろに下がる癖がついた。
だから楽しいはずの時間なのに、
いつも一歩分だけ、心が遅れてついてくる。
笑い声が途切れた瞬間、ふっと静けさが落ちてくる。
その静けさの中でだけ、自分の本当の重さが分かる。
──どうして笑っているのに、こんなに不安なんだろう。
また皆が笑う。自分も笑う。
その輪の外側に、ほんの少しだけ自分がいる気がした。
放課後の静かな相談室。カーテンが風に揺れ、机の影が長く伸びている。
その真ん中、三つ並んだ椅子の前に、一人の生徒が立っていた。
眉の奥に、言い出せないまま固まった影を隠しながら。
「入りなよ」
穏やかな声で遥が言った。柔らかい目つきで、椅子を指す。
彼——遥は、誰よりも先に沈黙を受け止めるタイプだ。
少年は小さく会釈して腰を下ろした。
喉がかすれ、手が落ち着きなくポケットの縁を触っている。
「……相談があるんですけど」
言葉はあるのに、思いが出てこない。そんな顔だった。
机に肘をついている蓮司が、少しだけ目を細めた。
「言いたいこと、全部言おうとするなよ。
ひとつでいい。いちばん痛いとこだけ出せば?」
少年の肩がわずかに揺れる。
刺すように見えて、逃げ道を塞がない言い方だった。
最後に、日下部。
腕を組んだまま、じっとこちらを見る。
誰よりも喋らないが、妙に圧のない静けさで相手を促す。
少年は息を吸った。
そして、壊れそうに小さく言う。
「……笑ってるとき、なんか……不安になるんです」
遥が頷く。
「楽しいのに、心だけ取り残される感じ?」
「……はい。みんなと話してて、笑えてるんですけど……
ふと、“ここにいていいのかな”って……急に冷たくなって」
蓮司がすぐ返す。
「その瞬間、自分だけ浮いてる感じがする?」
「……します。みんな楽しそうなのに、
自分だけ違う場所にいるみたいで」
少年の指先が握りしめられ、膝の上で小さく震えていた。
日下部が、ようやく口を開く。
短く、鋭いけれど優しい言葉だった。
「無理して合わせすぎてる証拠だ。
本音を置き去りにしたまま、表情だけ前に出すと……
心は、必ず後ろに残る」
少年は目を上げた。
責める声ではなかった。
遥が続ける。
「“楽しいはずなのに苦しい”っていうのは、
お前の弱さじゃなくて、お前がちゃんと感じてる証拠だよ」
蓮司が指を鳴らす。
「笑顔の癖、いったんやめてみろよ。
無理して笑う時間を、一日のうち五分だけでいい。ゼロにしてみ?」
日下部が締めくくる。
「自分の呼吸の音が戻ってくる」
少年は長い沈黙のあと、ぽつりとつぶやく。
「……笑ってるのに不安になるの、
おかしいって思ってました」
「おかしくない」
三人の声がほぼ同時に重なった。
少年は初めて、ほんの少しだけ息を吐いた。
その表情は笑顔ではなかったが——
ようやく、“自分のもの”になっていた。