自らの父親が英雄として書かれた冒険譚は、幼い頃のベルのお気に入りだった。母親や世話係に読み聞かせてもらうこともあれば、自分で声に出して読み上げることもあった。
想像の中での父の契約獣は大きく獰猛な虎だった。背の高い父と並んでも遜色ないくらいの体躯と、鋭い牙と爪。父以外の人間には決して懐くことのない、孤高の獣。
本の中でも父と共に古代竜と戦う虎の姿は勇敢に描かれていたので、少し恐ろしくもあったが、その虎には憧れすら抱いていた。
けれど、ベルの知っている父の傍らには契約獣はいなかった。理由を聞いたことは無かったが、虎と別れてからの父は冒険者を辞め、しばらくは領内で過ごした後、王都で宮廷魔導師として勤めることを決めたそうだ。
物語は古代竜との闘いまでしか書かれてはいないので、いつまで父と虎が一緒にいたのかは分からない。
これまでに幾度となく開いた物語を、ベルは改めて読み返した。老人から聞いた話を元に、頭の中で置き換えてみる。ティグが子供の虎だったら、それとも猫だったら、と。
「返事を待つしか無さそうね」
ブリッドに託した手紙は街の仲介人によって今頃は王都向けの便に乗せて貰えているはずだ。王都までは早くて二日。返事が来るとしたらその倍はかかるだろう。
森に籠っている限りは向こうからの連絡を待つことしかできない。
しばらくは大人しく薬作りに励みましょう、と言いかけてベルは困ったように呟いた。
「大鍋は見つかったんだけど、薬草が足りないのよね」
また道具屋から取り寄せようかとも思ったが、欲しい草はここからそう離れていない場所に群生地がある。たまには採集に出るのも良い気晴らしになりそうだ。
「すぐ近くだから、明日は薬草採集に行きましょうか」
マーサとお昼のお弁当の相談をしているところを見ると、ベル的にはちょっとしたピクニックも兼ねているようだ。ちなみにここは、魔獣が住まう森なのだが。
翌日、二人と一匹は昼の少し前に結界を出た。日が昇ってからも森の中が明るくなるのは少し遅い。そして、暗くなるのは少し早い。なので、外に出ていられる時間はそんなに長くはないけれど、今日の目的地は館のすぐ裏手で、着いた時にはちょうど日が真上に位置していた。
「この葉先が尖ってギザギザしているのをお願いね」
「これ?」
「そうそう。出来るだけ青々してるのが良いわ」
葉だけで茎は要らないわ、と細かい注文が付く。回復薬に使う薬草の一種らしく、鎮痛の効能があるらしい。
持って来た麻袋に摘んだ葉を集めていく。出来るだけ瑞々しい葉を選ぼうと草を掻き分けていると、揺れる草にじゃれつく白黒の前足。
くーの背丈だと、少し背の高い草の中に入り込んでしまったらピンと張った尻尾の先しか見えなくなる。でも、どこにいてもカサカサと草木が揺れるので猫のいる場所はすぐに分かった。
お目当ての薬草が袋にいっぱいになると、葉月は揺れている草に向かって声を掛けた。
「くーちゃん、そろそろ出ておいでよ」
「みゃーん」
呼ぶと聞こえてきた可愛い返事は、葉月のすぐ足元からだった。すりすりと脚に擦り寄りながらまとわりついてくる。
あれ?
じゃあ、あそこにいるのは何だろう、と目の前で揺れている草むらを注視する。
「べ、ベルさんっ!」
草の中から現れたのは、鱗に覆われた多足の魔獣だった。ワニとムカデを合わせたような、硬く長い身体でたくさんの足をガサガサと動かしてこちらへと向かってくる。
「それは猛毒を持ってるから、近づいちゃダメよ!」
そう言われると後ずさりしながら距離を取らざるを得ない。葉月の足元の猫も一緒にちゃんと付いてきていた。
「鱗が厚いから、風魔法は効かないわよ」
「えーっ!」
どうしようとベルとくーに視線を送ると、どちらも葉月の事を見ていた。まるで彼女の出方を楽しんでいるようだった。
勿論、ベルもくーも魔力を集めて、いつでも葉月のフォローが出来る体制を整えた上でだ。
これまで魔獣に対して放ったことがあるのは風魔法だけ。それが効かないと言われたら、別の魔法を使うしかない。なら、葉月には試してみたい物があった。
全身から魔力を集め、右掌から撃ち放ったのは紅蓮の炎。うねりを上げて魔獣を炎で取り囲み、一瞬で燃えつくした。多足の獣はピクリとも動かなくなっていた。
ベルの父の冒険譚で読んだ、炎の魔法のイメージだった。実物は見たことはないけれど、葉月の思い描いた物語の中の魔導師の魔法だ。
本物を見たことがありそうなベルの評価はどうだろうかと、顔色を伺ってみる。よくやったわ、と葉月の成長に嬉しそうにしているところを見ると再現出来ていたのだろうか。
「凄いわ。葉月が作った新しい魔法ね」
どうも全く別物だったらしい。技としては一応認めてもらえたので、それはそれで良かったと思うことにした。
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