テラーノベル
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「へぇー」
ハリソンは、含み笑い、二人が出ていった部屋の入り口を眺める。
「キヨシ、あの娘《こ》、なかなかやるじゃないか。君が惚れるのもわからなくはない。見かけも、まずまず、いや、磨けば光るか……」
「ハリソン……、余計なことを言うな。な、なにが、惚れただ!」
「あれ?あの娘じゃないのかい?君の初恋の相手、そして、永遠の女神《ミューズ》は?!」
ハリソンは、調子づいて喋り続ける。金原は、その勢いに、相手にできぬわと、そっぽを向く。
「あっ、やっぱり、図星。しかし、君も、意外とロマンチストなんだねぇ。子供の頃の出会いを運命だと信じ、その娘のために、ここまで成り上がった。そう!ただ、ただ、愛のためにーー!!」
「う、うるせぇぞ!ハリソン!皆に聞こえるだろっ!」
ふざけて、声を張り上げるハリソンへ、金原はむきになった。
「あ、嘘だろ、図星どころか、それって、本当、だったのかい?!酔っ払った君が、ペラベラ喋っていただけだと、私は思っていたのだが、いや、まあ、人の恋路を邪魔するほど、私も野暮じゃない。へぇ、そうか、そうか。そりゃー、想いが叶った訳だ、今朝は、どうしても、胸元が、はだけてしまうよねぇ」
ハハハと、ハリソンは笑う。が、金原は、我慢ならんとばかりに、腰を上げ、掴みかかろうとした。
「はい、そこまでね」
身を乗り出している金原を、抑制する為か、ハリソンは、その鼻先へ葉巻を突き出した。
「あ、あぶねぇだろうがっ!火傷するっ!!」
「おや、これは失礼。私はただ、葉巻を吸っているだけなのだが、何故か、君が顔を近づけて来た」
「もういい、で!!俺の、親だの、芸者だの、そんな話じゃないんだろっ!」
「ロシア……、いや、ロマノフ王朝は近々崩壊する。投資を早めに整理しておけ……」
それは……と、呟き、金原は静かに座るが、前にいる英国人は、素知らぬ顔で紫煙を吐き、葉巻の味を堪能していた。
その頃、台所では櫻子が発する、叱咤の声が飛んでいた。
そして、龍と虎の、規律正しい返事が続く。
「それにしても、これで、どうやって、お食事を召し上がってらしたのですか?」
櫻子は、額ににじんだ汗を、前掛けで拭いながら、呆れ果てていた。
確かに、台所ではあるが、金原家の台所は、誰も使ってないのか、道具も、調味料も、調理に必要な物は、実に適当な扱いで、素材すらも、ほとんど無い。辛うじて、米はあるが、米びつめいた、木箱に入れられ、調理台、流しの下に収まっていた。
醤油も、味噌も、とにかく、頻繁に使うものは、すべて、湿気の多い流しの下に置かれてある。当然、物によっては、カビが生えて、使い物にならない。
流しの横には、開き戸付きの、立派な棚が備わっている。
櫻子は、龍と虎に命じて、台所用具の配置から、手を着けたのだった。
男二人が、戸棚の中身を、全て取り出して、ほとんど、空の漬け物壺のような、使わない物が仕舞われていたのだが、それらと、流しの下に無造作に置かれてある物とを入れ替える作業をしている間に、櫻子は粥を作った。
しゅうしゅうと、良い具合に蒸気をあげている鍋の中には、昨夜の握り飯と水が入っている。
ハリソンのためにも、出汁をとって、米から煮込みたかったが、調理時間もかかる上、肝心の鰹節の表面は、カビだらけで、削れば使える、と、割りきれる状態の物ではなかった。
仕方なく、握り飯を煮込み、塩で味付けし、かろうじてあった、卵を、とき入れた卵粥にしようと、櫻子は思いついている。
それにしても、道具の扱い方も、だが、あまりの物資不足に驚きを隠せなかった。
そんな、すったもんだのなか、龍が思い出したかのように言った。
「奥様!飯は、俺が、炊いてるんですよ!」
言うと、鍋をかけている釜の隣にある、羽釜の蓋を開けた。
ふんわりと蒸気が立ち上ぼり、炊きたての米の、甘く柔らかな香りがした。
「まあ!龍さん!お上手ですね!」
白銀色の艶のある飯が、炊きあがっている。
「片付けしていて、うっかり忘れておりやした……」
頭をかきかき、龍は、苦笑う。
それで、さっき、現れた時に火吹き竹をもっていたのかと、櫻子は、納得しつつも、粥より、暖かな飯の方が、断然食べ応えもあるのではと悩んだ。
卵を焼いて、添えればなんとか、体裁が保たれるが、残念ながら、味噌も、カビが生えている。
それでは、御味御汁も作ることができず、やはり、粥で誤魔化すしかないのだろう。
「だぶつきやすね」
「そうですね。でも、昼と夕餉もあることですし、他の使用人の方々もいるでしょう?足りないぐらいじゃないかしら?」
使い道を、櫻子が示したが、板の間で、男二人の働きを眺めていたお浜が、口を挟んできた。
「あれ、奥様、使用人は、あたし達だけですよ」
「え?」
振り返り、櫻子は、お浜を見るが、そういえば、この家は、人の気配がしなかった。それは、そもそも、いなかったからなのか。
そこへ、柱時計が、ボーンと数回続けざまに鳴った。
「まあ!もう、9時ですね!朝餉の時間が!」
柱に取り付けられている時計が、カチカチ音を立てていた。櫻子が、昨日聞いた柱時計の音は、これ、なのだろう。そして、すぐ脇に、段が付いている箪笥階段が置かれてあり、上へのぼれるようになっていた。
「ああ、この家は、一見平屋に見えるんですがね、屋根裏というか、中二階というか、上段があるんです。あたしらは、そこで……」
珍しそうに、階段箪笥を眺めている櫻子へ、お浜が言った。
「そんな感じで、住み込みは、あたし達だけなんですよ」
なるほど、と、納得しつつ、鍋の吹きこぼれる音に、櫻子は、はっとした。
後は、卵でとじるだけ。添え物に、青菜の塩漬けぐらいは、欲しいのだがと思いつつ、そっと、鍋の木蓋を掴かむと、仕上がりを確かめた。
そんな、櫻子の後ろ姿を、お浜と、龍が、誇らしげに見ていた。
「なんとか、いけそうだね、龍」
「おお、そうだな。奥向きも、落ちつきそうだ。後は……」
「ああーー、キヨシのやつだよ!上手くやれるのかねー」
「……大丈夫、だよな……お浜?」
お浜と龍は、不安げに顔を見合わせた。
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