テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「……で、大丈夫なのか……」
ハリソンを見る金原の表情は、固かった。
「君次第かなぁー?」
ギュッと灰皿に葉巻を押し付け火をもみ消しながら、ハリソンは他人事のように軽く言う。
「俺次第って、どういうことだ!樺太《からふと》への投資は、今のところ、微々たるものだ。それを俺が辞めれば、ロシアが立ち直るとでもっ?!」
──日露戦争勝利後のポーツマス条約締結により、樺太島の南側は日本に帰属した。
以降、開発の為に入植者が後をたたず、大正に入ると、在留者は44万人程度に増える。
ついで、国有林の伐採権を商社が得るなどし、商業活動も活発化していた。
金原も、そこに目を付け、投資していたのだが、隣接する北側は、ロシア領域。国境警備隊が警備しているとはいえ、あちらの国の本土が、きな臭い状態ならば、当然、南側へも飛び火してくるだろう。
どさくさに紛れて、ロシア側が南進して来たとしても、本国政府が機能していないのなら、ただの暴徒。それを、誰が押さえるのか。犠牲になるのは、現地に在留している者達と目に見えている。
一国の危機、王朝の滅亡と言う、庶民には遠い話に聞こえるが、確実に、日本に影響を与えるものなのだった。
しかし。
現在、欧州で勃発している戦争では、そのロシアは、連合国側の一員として参戦している。すなわち、ハリソンの母国、英国とも、さらに、その英国と同盟を結んでいる日本とも、見方になる訳なのだが……。
どうも、ハリソンの口振りからすると、諸国が、ロシアへ手を差しのべる様子は見えず、孤立させようとしているかのように思えた。
「いや、あのね、君の樺太投資は、どうでもよくて、君達のことだよ。二人は、上手く行きそうなの?と、いうよりも、キヨシ!確か、花嫁のお出ましは、今日の予定だったのでは?」
ハリソンは、不思議そうに首をかしげている。
一方、金原は、固い表情をさらに、固まらせていた。
「冨田が動いた」
「冨田って、あの土地転がしの、スケベオヤジ?!」
「ああ、そうだが。ハリソン、お前、なんで、そんなに日本語が流暢なんだ?!」
「え?今に始まったことじゃないでしょう?しかし、なんで!冨田が?!」
むむ、っと、ハリソンは、考え込んでいる。
「……それは、わからんが、どうも、あちらの義母が、色々仕組んだらしい。うちとの借金を、あいつを使って、帳消しにしようと、動いたようだが……」
「で、なんで、だから、そこで、冨田なのよっ!」
それは、こっちの台詞と、金原が言う前に、ハリソンが叫んでいた。
「あの、オヤジには、土地をやられてるんだ!狙っていた所を、どこから情報を仕入れたのか、先に手に入れやがって!」
「で……、どこぞの公的機関が、高値で買い取ったと……」
「そーゆーこと」
と、ハリソンは、完全に拗ねた口振りで答える。
「まっ、私のことはよろしい。とにかく、冨田から、女神《ミューズ》を守れたのだから、良かったよ」
ああ、と、答えながらも、金原は、どこか落ちつきなく、ハリソンへ問うた。
「……冨田はいい。ロシアの事情もいい。問題は、あいつだ。どうも、何か、違うんだ。夫婦だと言っているのに……女中として、雇ってくれと言い出した……」
ふうと、ため息ともつかぬ息を吐き、金原は、頬杖をつくと、わからんのだよ、と、弱気な言葉を呟く。
「わからんのは、こっちさ。どうせ、君のことだ。何か、強要したんだろっ。そう、借金の取立てよろしくね。とりあえず、順序だてて話してごらん」
こくりと頷き、金原は、ハリソンに言われたまま、櫻子を連れてきた経緯を語り始める。
そして……。
ハリソンの小言が、最高潮に達した。
「いや、いや、いや。なんですか?!キヨシ、その、書き付け見せて、俺のものだ的な、圧をかけるのって、なによ?!おまけに、紐でくくりつけたと?!」
「いや、だが、結婚というのは、契約であると、ハリソン、お前が言ったんだぞ!で!ちゃんと、抱き上げた!ついでに、ベッドは、初めてだから、念のため。だが、聞いてくれ!それは、役にたった。あいつが、落ちるのを防げた!」
なんたることと、ぼやきつつ、ハリソンは、首をふり、落胆しているが、それが、やはり、金原にはわからないようで、ハリソンを凝視している。
「とにかく、君の行ったことは、一種の脅迫と強要と、他は、なんだろう?まあ、めちゃくちゃ方向がずれていて、女神には、伝わっていないがために、女中発言させてしまったのだっ!」
言われても、金原は、ぼかんとしているのみだった。
「まっ、いいさ、好きにさせてあげなさい!女中になりたいと言えば、うん、そうか、と、認めてやるのも、夫の役目!男の余裕ってやつだ」
わかったか!と、ハリソンに頭ごなしに怒鳴り付けられても、逆らうこともなく、金原は大きく頷いた。
「まあ、その素直さをだね、女神に見せるのが、一番なんだが、君は、見せていると思い込んでいるんだろうから、もうね、話は、終わり!」
バカらしくてやってられるかと、ハリソンは、腰を上げ、帰りの人力を貸してくれといい放つ。
「ああ、虎でよければ、使えばいいが、ここまでどうやって来たんだ?というか、なぜ、こんな朝っぱらから?」
「君のことだ、やらかすと思ってね、立ち会いのために、やって来たのさ」
自分も、花嫁をお出迎えしようと思ったのだと、誇らしげにハリソンは語っているが、それは単なる言い訳で、何か別件があるのだろうと、金原は読み取った。
横浜で、美術商として活動しているハリソンだが、それは表の顔。裏では政商《フィクサー》なる立場で暗躍していた。
駐在している各国要人へ、日本の情報を流し仲介する。いわゆる情報屋として、かなり名が通っているのだ。
おそらく、ここに来たのは、そちらの仕事のついで、なのだろう。