放課後の教室は、ほとんど誰もいなかった。
カーテンが揺れて、窓際の光が机の上に流れている。
「相談室」と呼ばれている一角に、今日もひとり、訪問者が来ていた。
女子生徒だった。
肩までの髪を、緊張したように指先でいじりながら、
小さな声で言った。
「……人を信じるのが、もう怖い」
遥は、相手の言葉を急かさずに待った。
女子は続ける。
「信じたら、裏切られる気がする。
でも、誰も信じられないまま生きるのも、
すごくしんどいんだ。
もう、どうすればいいのかわかんない」
遥は少し目を伏せた。
机の上で、ペンの先が小さく光る。
「……裏切られたこと、あるの?」
女子は、かすかに頷いた。
「うん。何回か。
でも、いちばんつらかったのは、
“信じていいよ”って言われた人に、
ちゃんと信じられなかった自分」
その言葉には、疲れよりも、
自分への失望が滲んでいた。
遥は息をゆっくり吐いた。
「……信じるってさ、“相手を疑わないこと”じゃないと思う」
女子が顔を上げた。
「信じるって、“裏切られてもいい”って思えることなんじゃないかな。
“この人になら、傷つけられてもいい”って思える瞬間が、
本当の信頼なのかもしれない」
「……そんなの、怖いよ」
「うん。怖いよ」
遥は少し笑った。
「だからみんな、怖いまま誰かを信じようとして、
失敗して、また傷つく。
それでも、もう一度“信じてみよう”って思えるかどうか、
それがたぶん、人と生きるってことなんだと思う」
女子は視線を落としたまま、机の端を見つめていた。
窓から入る風が、彼女の髪を少しだけ揺らす。
「……ねえ、遥くんはさ。
誰かを信じるの、怖くないの?」
少し間があって、遥は静かに答えた。
「怖いよ。今も。
でも、怖いままでいいと思ってる。
信じるって、きっと“怖さごと相手に渡す”ことだから」
女子の目が、少しだけ潤んだ。
「……強いね、遥くん」
「強くないよ。
“信じたい”って思う自分を、
まだ諦めきれないだけ」
教室の時計が、静かに時を刻む。
誰もいない放課後の音が、
二人の間をゆっくりと流れていった。
女子は席を立ちかけて、
ふと、言葉を置いた。
「……ありがとう。
少しだけ、また誰かに話してみようかなって思えた」
遥は軽く笑って、
窓の外を指差した。
「じゃあ、次は“信じてみてもいいかも”って人を、
ひとりだけ探してみよう。
無理しなくていい。
信じるのは、走るよりずっと疲れるから」
女子は小さく頷き、
光の中へと歩き出した。
遥はその背中を見送ったあと、
ぽつりと呟いた。
「……信じるの、ほんと難しいな」
その声は、風に混じって、誰にも届かないまま消えていった。
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