二人は窓辺のテーブルに向かい合って座った。
席につくと、直也が窓の外を眺めながら言った。
「ここからの景色は、なかなかいいね」
「はい。今の季節は新緑が綺麗ですが、秋は黄色く染まってもっと綺麗ですよ」
直也は頷きながら、窓の外に向けていた視線をテーブルに移した。
そこには、カレーの他に、ポテトサラダや蕗の煮物が並んでいたので驚く。
「これは?」
「昨日の残り物ですけど、良かったらどうぞ」
「へぇ……美味そうだな」
直也は、栞が用意した取り皿にサラダと煮物を取り分けると、さっそく一口食べてみる。
「美味い! 蕗の煮物なんて久しぶりに食べたけど、すごく美味いよ!」
「よかった。それは祖母に教わったんです」
「そっか、だから懐かしい味がするんだな。栞ちゃんは、料理が得意なんだね」
「得意ではないですけど、毎週、父の家で作っているので」
栞はそう言うと、テイクアウトしたカレーの容器の蓋を開けた。その瞬間、美味しそうな匂いが鼻をつく。
カレーはまだ温かかった。
栞はナンをちぎって、カレーに浸して食べてみた。
「わぁ、おいしい!」
あまりの美味しさに笑顔になった栞を見て、直也は嬉しそうな表情を浮かべた。
「美味いだろ? 一度食べるとやみつきになるよ」
そう言って、彼は栞が作った煮物とポテトサラダを美味しそうに食べ続けた。
美味しいカレーを味わいながら、栞は改めて目の前にいる直也を見た。
その光景は、栞にとっては信じられないものだった。
大好きな人が自分の部屋にいるのだから、まるで夢を見ているようだ。
栞は、幸せな気持ちとほんの少しの緊張を抱えながら、楽しい食事のひとときを過ごした。
食後はコーヒーを淹れ、テーマパークで買ったクッキーを二人で味わった。
そこでも、二人の会話は弾んだ。
一杯目のコーヒーを飲み終えると、栞が直也に尋ねた。
「先生、もう一杯飲みますか?」
「うん、もらおうかな」
栞が二杯目のコーヒーを淹れている間、直也はソファへ移動した。
そして、リビングテーブルの上にある雑誌を手に取り、パラパラとめくる。それは、コンビニでぶつかった日に栞が購入した、キャビンアテンダントの特集記事が載っている雑誌だった。
記事を眺めがら、直也が栞にこう聞いた。
「キャビンアテンダントになる夢は、子供の頃から?」
「そうです。母がまだ健在だった頃、家族三人でハワイに行ったことがあって、その時のキャビンアテンダントさんがとても素敵な方だったので憧れるようになりました」
「そっか……。なれるといいな」
「競争は厳しいですが、とりあえず頑張ってみます」
夢を目指して誇らしげに微笑む栞を見て、直也は彼女の夢が叶うことを心から祈った。
キッチンから再びコーヒーの香りが漂い始めた時、直也はすっかりくつろいでいる自分に気づいた。
(この部屋は、なんて居心地がいいんだ)
ここ最近、病欠の医師の代わりにハードな夜勤が続いており、直也はかなり疲労が溜まっていた。
この部屋にいると、心身ともにリラックスしてつい睡魔が襲ってくる。
とうとう誘惑に負けた直也は、いつの間にかソファに座ったまま腕を組み、うとうとし始めた。
急に直也が静かになったので、栞はキッチンからソファの方を覗き込む。すると、直也が座ったまま寝ているのが目に入った。かなり疲れているようだ。
(やっぱり、無理して連れていってくれたんだ)
栞は思わず切なくなる。それから、直也の傍へ行き、声をかけた。
「先生、こんなところで寝たら風邪引きます」
「う……ん」
返事らしいものは聞こえたが、そのあとに軽い寝息が続く。
(本当に寝ちゃったの?)
栞は驚いたが、直也をこのまま放っておくわけにもいかず、せめてベッドに寝かせようと思った。
直也の脇から腕を入れ、必死に立たせようとする。その動きに、直也は寝ぼけながらも素直に従ってくれた。
ベッドまでは1メートルほどだったので、栞は必死に力を込めて直也をベッドまで連れて行った。
ベッドまで行くと、直也はうっすらと目を開けながら「ごめん……ちょっとだけ……」そう呟くと、自ら横たわった。
(ふぅーっ、狭い部屋で良かった)
栞の手から離れた直也は、ベッドに横たわりスヤスヤと規則的な寝息を立て始めた。
(本当に寝ちゃった…….)
そう思いながら、栞は直也に布団を掛ける。
やがて、直也の寝息は本格的な熟睡モードに入り、起きる気配はまったくなかった。
栞はベッドの脇にかがむと、眠っている直也の顔をそっと観察した。
彼の目元にはうっすらとくまができている。疲れが相当たまっているのだろう。
ぐっすり眠る直也の無防備な寝顔を、栞はその場で愛おしそうに見つめ続けた。
翌朝、直也は栞のベッドで目を覚ました。
(しまった! 寝ちゃったか……)
直也はベッドの上に起き上がると、栞の姿を探した。しかし、ベッドに栞の姿はない。
窓の方を見ると、柔らかな朝陽が注ぎ込んでいる。時刻はまだ朝の五時半だった。
直也はベッドを降りると、ソファへ向かった。
するとそこには、小さく身体を縮めて眠っている栞の姿があった。
(背が高いのに、ここじゃ窮屈だろう……)
思わず直也は微笑む。そして、その場にしゃがんで栞の顔を覗き込んだ。
栞はぐっすりと熟睡していて、起きる気配はまったくない。
直也は立ち上がると、足音を立てないように洗面所へ向かった。
洗面所には、真新しい歯ブラシとフワフワのタオルが用意されていた。
(シャワーを借りるか……)
それから直也は、バスルームへ入りシャワーを浴び始めた。
ゴムを解いた髪をタオルでゴシゴシ拭きながら部屋へ戻ると、栞はまだぐっすり眠っていた。
直也は濡れた髪のままキッチンに入り、食材をチェックしてから、ベーコンエッグを作り始めた。
やがて、ベーコンの焼ける香ばしい匂いが部屋中に漂い始める。
直也は調理をしながら、ときおり栞の様子を盗み見る。
すると、栞はもぞもぞと動いたかと思うと、ぴたりと止まり、またまたもぞもぞと動き始める。その仕草があまりにも愛らしかったので、思わず笑みがこぼれた。
一方、栞は半分ねぼけたまま、香ばしい匂いを鼻に感じていた。
(いい匂い……)
その美味しそうな匂いに抗えず、うっすらと目を開ける。
その時、キッチンに人影が見えたので、急にハッとして起き上がった。
「寝坊しちゃった! ごめんなさいっ!」
「おはよう! まだ朝の6時半だから大丈夫だよ」
「えっ、そうなの?」
栞は目をこすりながら安堵の表情を浮かべた。その仕草があまりにも可愛らしく、直也の口元には自然と笑みがこぼれる。
「昨夜はごめん。いつの間にか寝ちゃってたわ」
「ううん、こちらこそ、疲れてたのに無理させちゃってごめんなさい」
「栞ちゃんが謝ることないよ。デート終わりに寝落ちする男なんて最低だよなー! また今度仕切り直すから許してくれ!」
直也はそう言いながら、ベーコンと卵を皿へ盛り付けた。
「先生、朝ご飯まで作ってくれたの?」
「適当だけどね」
「すごーい!」
栞は嬉しそうだ。
「顔を洗っておいで」
「はーい」
栞はそう返事をすると、慌てて洗面所へ向かった。
その後、二人は窓辺の席に向かい合い、直也が作った朝食を食べ始めた。
栞の顔はノーメークのままだった。
そのあどけない表情は、初めて会った頃の栞を思い出させる。
(あの頃と全然変わってないな……)
直也の頬が自然と緩む。
そして、突然湧き上がってきた思いを、ストレートに口に出した。
「栞ちゃん! 俺たち、付き合わないか?」
「えっ?」
栞は食べかけのパンを持ったまま、目を見開いている。
「ダメ?」
直也が首を傾けながら問いかけるその姿はとても魅力的で、栞は目が離せなくなる。
シャワー後の湿った髪が顔にかかり、大人の男性らしい色気が漂う直也の姿に、栞の心臓は激しく音を立て始めた。
栞はその動揺を隠そうと、ついこんな言葉を発した。
「先生、私のことからかってます?」
「からかってないよ。真剣に言ってる」
「ど、どうして……私と?」
「栞ちゃんが好きだから」
「…………」
あまりにもストレートな告白を受け、栞の顔が真っ赤に染まった。
「びっくりした? でも、これはずっと前から思っていたことなんだ」
「ずっと……って……え? いつからですか?」
「君と初めて会った時から!」
「…………」
栞はびっくりして、すぐに言葉が出なかった。
「えっと……初めてってことは、高校生の時?」
「そう。でも、あの時、君はまだ若すぎたから言えなかった」
栞は信じられない思いで、胸がいっぱいだった。
片想いだと思っていた相手が自分を思ってくれていたと知り、嬉しさと同時に戸惑いが入り混じる。
「……本当に?」
「嘘ついてどうする? 本当だよ」
「……えっと…本当に私で?」
「うん、栞ちゃんがいいんだ」
「………」
「といっても、栞ちゃんは恋愛初心者でいきなりだと戸惑うだろうから、ゆっくりでいいよ。急かすつもりはないから安心して」
さすが精神科医だけあり、彼は栞の不安を真っ先に考えてくれていた。
こうまで言われて、断る理由などあるだろうか? そう思った栞は、覚悟を決め直也にこう返事をした。
「……私でよければ、よ、よろしくお願いします」
栞の返事を聞いた直也は、ホッと安堵し、その表情はみるみる笑顔へと変わった。
「ありがとう! イエスの返事が聞けて嬉しいよ。あ、ただし、大学ではあくまでも教授と学生ってことで……いい?」
「もちろんです」
「よし! これで安心して飯が食えそうだ」
直也は嬉しそうに微笑みながら、パクパクとものすごい速さで朝食を食べ始めた。
コメント
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ほんとに栞ちゃんの部屋居心地が良かったんだね。直也先生心も体も休まる場所になりそうだわね。
激務で疲れが溜まってて栞ちゃんがいる居心地いい部屋で寛いだら眠ってしまっただなんて直也さん可愛い〜(ㅅ´ ˘ `) それ位栞ちゃんを信頼出来てるんだろうな💕💕 まさかの交際宣言(*/ω\*)キャー!! しかも初めから好きだったなんて。ずっと見守り温め続けた思い。お互い両思いってサイコー(ღꈍ◡ꈍღ)💕💕
汚部屋でも眠れる直也先生、綺麗な部屋が快適だと感じる感覚がある事に安心したw 朝起きて、栞ちゃんが同じベッドで寝ていたら、直也先生も直也の直也もビックリして飛び起きる所だったのにねー。 ゴムを解くで、良からぬゴムを想像しちゃう私は駄目ですねー。 まぁ、そんな事あんな事言ってますが、私の中で直也先生の印象が「誠実な人」に変わって来ましたよ。 恋人関係の二人に期待♡