栞の家を出て自宅へ戻った直也は、急いで着替えるとすぐに職場へ向かった。
医局のロッカーで白衣を羽織った直也は、栞からプレゼントされた二本のボールペンを胸ポケットへ差し込む。
その瞬間、彼の胸元が一気に華やいだ。
(フッ、子供の患者にウケそうだな……)
そんなことを思いながら、自然と鼻歌が口をついて出る。
カップにコーヒーを注いだ直也は、自分のデスクへ行き腰を下ろした。
その瞬間、同期の圭が近づいてきて直也に声をかけた。
「あれ? なんかいいことあった?」
「ん?」
「なんかルンルンして見えるぞ」
「別に。何もないよ」
「そう? それよりさぁ、明日の合コンのメンバーが一人足りないんだよー! どう? 直也ちゃん! 久しぶりにさぁ~」
「無理! もうそういうのには参加しないから」
「マジか? え? それって、今後一切参加しないってこと?」
「そう」
直也は「ふふん」といった表情で答えた。
そんな彼をいぶかし気に見る圭の視線は、直也の胸ポケットにある華やかなボールペンに止まった。
「お前、それどうしたんだよ?」
「何が?」
「ムーミンのボールペン!」
「ああ、そういや忘れてた。医局にも土産を買ってきたんだ」
直也は一度ロッカーに戻り、土産のクッキーを手にして戻ってくると、ドリンクコーナーの横へ置いた。
この医局では、いただきものや土産物の菓子は、ここにこうして置くのが慣例となっている。
その時、後輩の女医が来て、可愛い缶に入ったクッキーを見て声を上げた。
「貝塚先生、ムーミンのテーマパークへ行ったんですか?」
「はい。昨日行ってきました」
「わぁ、意外! どうでした? 私もずっと気になってたんですけど、まだ行ったことがなくて」
「面白かったですよ。物語の世界が忠実に再現されていて、結構感動しました」
「へぇ、そうなんだ~! じゃあ、今度私も行ってみます!」
「ぜひぜひ」
直也は後輩ににっこり微笑むと、再び自分の席へ戻った。
そこで、圭が目を輝かせながら直也に詰め寄る。
「お前、女と行っただろう?」
「まあね」
「マジか……」
「ちなみに、これは彼女が買ってくれたんだ」
直也は微笑みながら、胸ポケットに差した二本のボールペンを指差した。
「え? ……ってことは、もしかして、例の彼女と上手くいったってこと?」
「うん。本当は教授職が終わる一年後まで待とうと思ったんだけどさ、その一年がなんか命取りになるような気がして、予定を早めた。彼女、モテるから心配でさ~」
直也はそう言いながら、思わず笑みがこぼれる。
「お前、顔が思いっきりニヤついてるぞ! おいーっ、そんなに可愛い子なのか? 写真見せろよ!」
直也は仕方なく、昨日撮った栞とのツーショット写真を圭に見せた。
「うわっ、マジ可愛いっ♡ それに超若い! いくつ下だっけ?」
「うーんと、14かな?」
「お前、マジ犯罪! ずるいぞ~! あー、でもなんでお前が合コンに来なくなったのか納得したわ。こんな若くて可愛い子が彼女なら、他に目が行くわけねーもんなぁ……。しょうがない、明日のメンバーは後輩でも誘うかー」
「そうだよ、俺なんかより出会いを求めてる後輩を連れてってやれよ! お前はさ、絶対自分より若い男を連れて行かねーからなー。そんなセコいことをしてるから、いつまで経ってもいい女が釣れないんだよ」
「ちっくしょう、自分が上手くいったからって、今度は俺に説教か?」
圭は悔しそうな表情で直也の背中をビシッと叩くと、ブツブツ言いながら自分の席へ戻っていった。
その後、直也は外来の診察担当だったので、大学病院の診察室へ向かった。
診察室に入ると、すぐに熊田美里(くまだみり)が直也の元へやってきた。
「貝塚先生! 今日の担当は熊田ですぅ。よろしくお願いしまーす!」
「こちらこそ、よろしくね」
熊田は、元グラビアアイドルの熊田陽子にそっくりの美貌と抜群のスタイルを持つ看護師だ。この大学病院内でも1、2を争う人気者で、医師たちからの人気も高い。
これまで何人もの医師が彼女にアタックしたが、全員が撃沈したという噂もあるほど、院内では高嶺の花だった。
そんな彼女も、直也に対してはいつも積極的にアプローチをかけてきた。外来で一緒になった時は、このチャンスを逃すものかと必死に話しかけてくる。
しかし、直也は熊田に一切興味を持っていないので、いつもさらりとかわしていた。
直也は椅子に腰かけ、一人目の患者のカルテに目を通した。画面を見ながら、無意識に胸ポケットからムーミンのボールペンを取り出して、カチカチッとボールペンの芯を出し入れする。これは、子供の頃からの癖だ。
そのボールペンに目を留めた熊田が、笑顔でこう尋ねた。
「先生、可愛いボールペンですねぇ! それ、どこで手に入れたんですかぁ?」
「うん、昨日、彼女とムーミンのテーマパークに行ったんだ。その時に記念に買ってもらったんだ」
直也は、嬉しそうに笑顔で答えた。
その瞬間、熊田の顔がひきつる。
(え? 貝塚先生ってフリーじゃなかったの?)
熊田はかなりショックを受けていたが、なんとか平静を装いながら再び尋ねた。
「えーっ、先生、恋人いたんだ! 二人でムーミンのテーマパークに行くなんて素敵! きっと素敵な彼女さんなんでしょうねー」
「うん、すごく可愛い子だよ。歳もかなり離れてるしね。なんか若い子といるとさぁ、いろいろと刺激をもらえていいよねー……あ、ごめん! なんか惚気ちゃったな。じゃあ、そろそろ診察を始めようか」
仏頂面の熊田をよそに、直也はご機嫌な様子で外来の診察を始めた。
一方その頃、午前の講義を終えた栞は、カフェで愛花とランチを楽しんでいた。
「愛花、これ昨日のお土産」
「ありがとう! うわー、超可愛い! 中はお菓子?」
「クッキーだよ」
「やった! でも食べるのもったいないなー! 缶がすごく可愛いから取っておかなくちゃ!」
愛花は土産を手にして嬉しそうだ。
「で? どうだったの?」
「うん、楽しかったよ」
「そりゃ楽しいに決まってるよね。だって大好きな『先生』とだもん!」
「うん。でね……」
栞は愛花に顔を近づけるように手招きし、昨日起きた出来事を小声で話し始めた。
「と、泊まったぁー?」
「ちょっと、声が大きい! バレたら先生クビになっちゃうんだからね」
「ごめんごめん、でも、いきなりだからびっくりするじゃん」
「まぁ、泊まったって言っても、何もなかったし」
「先生が先に寝ちゃったのかー」
「そう。私はソファーで寝たしね」
「でも、起きたら朝食ができてた?」
「うん、びっくりしちゃった! いつも朝はコーヒーだけって言ってたのに」
「きっと栞に食べさせたかったんだよ。優しいじゃん」
「うん」
「おまけに、いきなり交際の申し込みでしょう? なんかドラマみたいな展開!」
「うん……」
「あれ? 何か不満なの?」
「そういうんじゃないけど、なんか実感がわかないっていうか……。私は片想いだと思っていたから、まさかこんな展開になるなんて思ってなくて……」
「でもさ、どうでもいいような子を、はるばる遠くのテーマパークまで連れて行ったりしないんじゃない? それも疲れているのにさぁ。そこで気づこうよ」
「そうだね……私、鈍感すぎるのかな?」
「そうそう、栞は恋愛に関しては超鈍感だから! まあ今まで恋愛経験がないんだから無理もないけどさ」
「ひっどーい、自分ではそんなに鈍感だとは思っていないのに」
「あははっ! あー、でもこれで晴れて栞にも初めての彼氏ができたんだねー。お祝いしなきゃ! とりあえず、お祝いにお代わり奢るよ。何がいい?」
「え、いいの? やった! じゃあ抹茶ラテがいいなー」
「オッケー! 買ってくるね!」
愛花は笑顔で言うと、追加注文をしにカウンターへ向かった。
栞は、今日一日、まるで夢の中にいるような気分だった。
ずっと片思いをしていた相手と、急に恋人同士になれたのだから無理もない。
(なんだか幸せ過ぎて身体に力が入らない……)
そう思いながら、栞は笑顔で食べかけのデニッシュを口に運ぶ。
幸福感に満たされた栞の表情は、艶々と輝きを増していた。
そんな栞の姿を、カフェの奥にいた華子が睨みつけるようにじっと見つめていた。
コメント
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直也先生、栞ちゃんに告白するのを教授職の任期あけまで待つつもりだったんですね♥責任感が強い! でも、その一年が命取りになるかもと野生のカンで自然に交際スタート😃💕素敵
少しはしゃいで惚気る直也さんが可愛い〜🤭それに女避けも👏👏 早速栞ちゃんから貰ったボールペンが相棒だね(ㅅ´ ˘ `) 交際を隠さないオープンな姿勢はカッコイイ💕💕 ありゃ、元義姉が睨みつけてる((((;゚Д゚)))) 栞ちゃん十分気をつけてね。
華子怖すぎ😱惚気る直也先生可愛いです(*´∀`*)