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朝の光が、街のガラス窓を白く照らしていた。
人々は同じ方向へ流れ、通勤のざわめきがビルの谷間を満たす。真白はその中で、まるで透明な影のように歩いていた。
ゲーム会社のビルに入ると、空気の温度が少し下がる。
無機質な蛍光灯、無言で響くキーボードの音。
挨拶の声は、いつも返ってこない。
チームの誰もが忙しく、それぞれの画面に顔を向けたまま、そこに「人間がいる」ことを忘れているようだった。
真白の席だけ、少し端に離れている。
資料を抱えて戻っても、誰とも目が合わない。
モニターの中の世界にだけ、色がある――そう思ってしまう瞬間が、最近は増えていた。
「真白くん、新作のキャラデザイン、もう少し柔らかい印象にできる?」
リーダーの声が後ろから飛ぶ。
「……はい」
返事は短く。必要な会話だけを交わすのが、ここで生きるための呼吸だった。
その日の企画は、ファンタジーRPGの新作。
物語の核となる“記憶を失った王子”のデザインを任されていた。
夜遅くまで、真白はペンタブレットに手を乗せていた。
だが、いくら線を重ねても、どこかで筆が止まる。
気づけば、彼は描いていた――夢の中の青年を。
意識せずに描いたはずなのに、画面の中で形を持って立ち上がったその姿は、まるで現実の断片のようだった。
金色の髪。静かな微笑。深い青の瞳。
見れば見るほど、心臓が痛くなる。
“この人を知っている”。
そんな感覚が、理由もなく湧き上がってくるのだ。
「……また、あの夢か」
声に出してみても、空気は何も答えない。
オフィスの窓の外では、夕焼けが灰色に沈んでいた。
人々の声が遠のき、夜がゆっくりと降りてくる。
帰り道、駅前のスクリーンには街のネオンが滲んで映る。
雑踏の中でふとすれ違った人影に、真白は息を止めた。
背の高い男性。金色の髪――いや、そんなはずはない。
目を凝らした瞬間には、もうその姿は消えていた。
幻のように。
「……疲れてるな」
小さく笑う。
けれど胸の奥では、何かが静かに疼いていた。
帰宅してシャワーを浴びても、あの“残像”が消えない。
あの人は誰なのか。
なぜ、自分の絵の中にも、夢の中にも現れるのか。
机の上のモニターを再び点ける。
デザイン中のキャラクターが、こちらを見ていた。
光の加減で、瞳がほんの少し揺れた気がした。
現実のノイズの中で、何かが動いたような錯覚。
メールの受信音が鳴る。
差出人は不明。
件名にはただひとこと――
《おかえり》
心臓が跳ねた。
送り主も本文もない。
画面の光だけが部屋を照らす。
真白は指先を震わせながら、ゆっくりとモニターを閉じた。
窓の外では、夜の雨が降り始めていた。
街灯の下で、雨粒が光を受けて弾ける。
それがまるで“夢の庭”に降る光の粒のように見えて――
胸の奥が、確かに熱を帯びていた。
現実と夢の境界が、静かにほどけていく。
その夜、真白は再び眠りに落ちた。
そしてまた、あの庭へ――
白い花の咲く場所へと。