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「申し訳ございません。佐紀子お嬢様」
瀨川が、佐紀子へ頭を下げている。
「さっさと、あの親子を西条家から追い出しなさい!あの母親の籍を抜けとあれほど言っているのに!お前は何をしているのっ!それからっ!野口のおば様よ!田村様とのお見合いを、なんとか仕切り直していただかないと!西条家は、どうなるの!!」
佐紀子は、なかば、半狂乱の状態で、瀬川を怒鳴りつけていた。
「瀬川さん!」
見知った顔がいると、岩崎は声を張り上げた。
びくりと肩を揺らし、瀬川が振り向く。
火の手に追われ気が動転したのか、瀬川は、寝巻きの上から着物を無理やり羽織っているという状態だった。さすがに、履き物までは、間に合わなかったようで、足元は素足のままだ。
佐紀子はというと、きちんと着物を着ている。折り目正しく絹の着物を纏っているが、袖の辺りは、随分と焼け焦げていた。
こちらも、逃げるのに精一杯だったのだろう、履き物は履かず、足袋だけで地面に立っている。
二人の姿に、岩崎も、火災の混乱を想像できたが、解せないのは、佐紀子が瀬川へ言いつけている内容だった。
聞く限り、それは、岩崎と月子の見合いが行われる以前の話に思えた。
月子も、その不自然さを感じ取っているのか、岩崎の手をギュッと握りしめ、なにが起こっているのかと不安そうにしている。
「岩崎様!」
瀬川が、気まずそうに、しかし、どこか助かったと言いたげに、岩崎へ声をかけて来る。
「さあ、どいてくれ」
顔見知りなのだとばかりに、岩崎は、立ちふさがる人夫達を睨み付けると、敷地内へ月子を連れて踏み込んだ。
「お、お嬢様!店から、帳簿の確認に、人がやって参りました。ここは、私が!お嬢様は、お部屋でお休みください」
瀬川が妙なことを言う。
しかし、佐紀子は納得して、何故か、蔵へと向かった。
「岩崎様!……どうか、見なかったことに!」
瀬川は、泣きだしそうになりながら、深々と頭を下げる。
「佐紀子お嬢様は……混乱されておられるのです」
それだけ言うと、瀬川は、頭を下げたまま、黙りこんでしまった。
「瀬川さん……佐紀子さんを、医者にみせたのか?!混乱というよりも……」
あれは、錯乱だろうと、岩崎は言いかけ、口をつぐんだ。
蔵の入り口で、佐紀子が、女中に向かって表向きの掃除は済んだのかと、叱りつけ、
「月子さんは、また、サボっているの?!まったく!なんて子なの!誰のお陰で暮らせていると思ってるのかしら!」
怒りの矛先が、屋敷を追い出したはずの月子へと向かったからだ。
その様子に、岩崎は、
「瀬川さん、場所を変えましょう」
それだけ言い、蔵から離れた方面へ足を向ける。
「い、岩崎様。こ、こちらへ……」
瀬川が慌て、岩崎を敷地の奥、裏庭へ案内した。
皆、火の手に追われ逃げるのに必死だったのだろう。
集まっている下働きの男も女も、寝巻き姿に裸足だった。
火を起こし、鍋をかけ、暖をとりつつ、炊き出しを行っているように見えた。
「……かろうじて、蔵は、残りました。お嬢様と、女中は蔵で……」
「それは、分かったが……。何故、店の方へ移らないのです。せめて、佐紀子さんと女中は、店の方へ避難した方が良いでしょうに」
少しばかり、強い口調の岩崎へ瀬川が困り果てた顔をして、訴える様に事情を説明し始める。
佐紀子は、あの通り、火事の混乱のせいで正気を失った。そして、焼け野原となっている西条家の事が理解出来ないらしく、燃え残った蔵を屋敷だと思い込んでいた。
移動させたいが、どう言っても、理解出来ない様で、瀬川の言うことをことごとく、拒むのだという。
「……でも、実《みのる》さんがいるでしょう……。彼は、何をしているのです」
岩崎が、焦れったそうに瀬川へ言う。
「実《みのる》様が、火事の原因で……」
瀬川は、顔を歪め、言いにくそうに岩崎へ話を続けた。