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雨は、まだ止まなかった。
三日。
栞が姿を消してから、もう三日が経っていた。
公式には「バディ解消後の自発的離脱」。
捜索命令も、保護要請も組織からは出ていない。
それどころか、上層部はこの件を「自然消滅」として片付けようとしていた。
「……ふざけるな」
低く、怒気を孕んだ声が、地下ブリーフィングルームに響く。
「栞は、消されたんじゃねぇ。“逃げた”んだ。──あいつなりの“生き残るための選択”をしてな」
誰も何も言い返せなかった。
ただ、彼の背中に宿る“何かが壊れている”空気だけが、組織の沈黙を支配していた。
***
翠は単独で、動き始めていた。
命令違反。
私的捜査。
すべてが禁じられている行為。
けれど──
「だったら、殺し屋なんてやめてやる」
彼は、自分の“全キャリア”を切り捨てる覚悟で行動していた。
旧データベースを洗い、
地下ネットワークにアクセスし、
ついには裏社会の“情報屋”にまで金を積み、徹底的に栞の行方を追った。
そして四日目の深夜。
「……栞の目撃情報。港の倉庫街。少女がひとりで何かを“待ってる”ようだったって」
翠は即座に現場へ向かった。
雨の中、誰もいない港。
濡れたコンテナの間を抜けて、
呼吸すら音になりそうな静寂の中──
「……いた」
視界の先に、小さな影。
薄いレインコートを羽織って、背を丸めて座り込んでいた。
ずっと、ひとりだったのだろう。
雨のせいで髪も肩もずぶ濡れで、震えていた。
「……なんで、見つけんだよ……」
気づいた瞬間、栞の瞳が揺れた。
でも、その口から出た言葉は、決して素直じゃなかった。
「……どうして来たの……追われるって分かってるくせに……!」
「知ってる。だから来た」
「……!」
翠は歩み寄ると、乱暴なほど強く彼女を抱きしめた。
まるで、手を離したらもう二度と戻らないと信じているかのように。
「お前がいない三日間、俺は何もできなかった。眠れなくて、食えなくて、呼吸すら止まりそうだった」
「……うそ……」
「お前がいなきゃ、もう俺は殺し屋じゃなくていい。──人間にも戻れなくていい。お前だけ、帰ってくればそれでいい」
「そんな言い方……ずるいよ……!」
涙がぶわっとあふれた。
「私、あのままいたら、翠さんが……壊れちゃうと思ったの。だから、私のこと……ただのバディとして忘れてくれればって……!」
「バディじゃねぇよ」
翠の腕の力が、さらに強まった。
「とっくに、ただの相棒じゃない。共犯者でもない。──俺の女だ。俺が生きる理由だ」
「……!」
「お前が生きてなきゃ、俺はただの殺人兵器に戻る」
言葉にならなかった。
声が出なかった。
けれど、震える唇を、翠の手が優しく包んだ。
「もう逃げるな。俺も、逃げねぇから」
そのまま、そっと額を重ねる。
震える鼻先が触れ合って、ようやく、口づけにならなかった“想い”が、涙に溶けて落ちていった。
***
その夜、ふたりは誰もいない倉庫の隅で肩を寄せ合って眠った。
雨音が止んだ頃、栞がそっと囁く。
「ねえ……翠さん」
「ん」
「わたし、まだ怖いよ。これからもずっと、誰かを殺さなきゃいけないのも、何かを守り続けなきゃいけないのも」
「……そうだな」
「でも、もしまた“ひとりで立てなくなったら”──そのときは」
「……俺が抱えてやるよ」
迷いなく返された言葉に、
ようやく、栞は安心して泣くことができた。
それが、バディの終わりであり、
“ふたりだけの世界”の始まりだった