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――たぶん、今の遥は、嘘がつけなくなってる。
机越しに目を逸らすことすら忘れて、遠くを見ているような顔をしていた。口元は閉じたまま、けれどどこか「言ってしまいたいもの」を飲み込んだあとの痕跡が、輪郭に残っていた。
日下部は、彼のその沈黙に、はっきりとした“予兆”を感じていた。
どこかで、崩れる。
これまで遥は何度も、黙ることですべてを抑えてきた。怒りも、恐怖も、寂しさも。口に出すことで形になるのを拒んで、ただ小さく唇を噛んでいた。
でも今の沈黙は、違う。
これは、何かを差し出されかけて、戸惑っている沈黙だ。
「信じてきたもの」が揺れている。
そう日下部は思う。
――たとえば、「愛されるとは、支配されることだ」と信じていたとしたら。
――たとえば、「優しさには代償がある」と刷り込まれていたとしたら。
今、自分が差し出した手を、遥は受け取れない。いや、受け取りたくて仕方がないのに、自分を許せなくて躊躇している。そんなふうに見えた。
だから、怖かった。
このあと、遥がどんな崩れ方をするのか。
どこまで試しに来るのか。
日下部が一番恐れているのは、「あんなの嘘だったんだろ」と遥自身の手で壊しにくる未来だ。
あの目で、「そんなふうにされる資格、ないんだよ」って、全部を拒絶されるのが怖い。
それでも、日下部は何も言わなかった。
もう何度も、声をかけようとして、やめている。遥が自分から「信じてみよう」としなければ、意味がない。
こっちが与えてしまったら、それはまた「奪う側」と同じになってしまう。
だから、ただ待つ。
遥が崩れるとき、隣にいられるように。
その手が伸びたとき、今度こそ、受け止めてやれるように。