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長らく閉ざされていた森の館への道が開放されたという噂は、瞬く間にグラン領内全域に広まっていた。
とは言っても、閉鎖している間も森の魔女の作る薬は薬店で変わらず手に入れることができたので、森の中の一軒家への道ができようが街の人々への影響はほとんど無いに等しい。
自分達とは関係のないただのニュースの一つとして話題にされる程度に留まっていた。
ただし、それは一部の行商人にとっては意味が違った。領主本邸との取引が叶わないような新参の商人達は、森の別邸への道が開けたことはまたとないチャンスだと見込んだ。本邸には相手にされなくても、別邸との取引ができれば今後の商売の転機となるかもしれないのだ。
特に道が開通したばかりの今なら何かと物入りだろうし、運が良ければ別邸を通じて本邸へのコネを作ることができるかもしれない。
森の館は別邸とは言っても領主の館には違いないので、あわよくば別邸と商売できるなら領主御用達の看板を持てるやもしれないのだ。
流れの行商人にとってしたら、この豊かなグラン領に自分の店を構えられるキッカケになるかもしれないのだ。
そんな安易な考えをした行商人の数がこれほど多いとは、マーサもベルも思ってもみなかった。朝からひっきりなしに荷物を積んだ馬車が訪れて来るので、その対応に随分と時間を取らさせられていた。
「私どもは隣国産の茶葉と織物の品揃えには自信がございます。是非、アナベル様にお目通りを」
若い商人は丁重に挨拶をしてから荷馬車に積んだ品を積極的にアピールしてくる。彼にとっては一世一代の勝負どころなのだ。
「不自由はしておりませんので、お引き取り願いますわ」
「我が商会は嗜好品にも力を入れておりまして、近隣諸国の茶菓子や煙草、酒類なども取り扱いがございます」
茶菓子と聞いて個人的に少し反応しそうになってしまったが、悟られないように澄ました顔でマーサは再び同じ台詞を口にする。
「不自由はしておりませんので、お引き取り願いますわ」
まだ何か言いたげな商人に対して、それでは失礼いたしますと嫌味なくらいに深々と頭を下げてから、入口扉を閉ざした。
「ふぅ……」
大きな溜息がつい漏れてしまった。これで昨日から何件目だろう。軽々しく新たな商会と取引などできる訳がないのに、次から次へと行商人が売り込みにやってくるのだ。
「あら。大変なことになってるのね」
「もう、うんざりですわ。朝から仕事になりません……」
「ふふふ。今しばらくだけよ。商人に活気があるのは領地が潤っている証拠よ」
良いことなのよ、とマーサをからかうように微笑む。調理場から持ち出したティーセットを手にしているということは、また作業部屋で調薬しながら薬草茶を淹れるつもりなのだろう。
「先ほどの商人は隣国産の茶葉を扱っていると言ってましたが、アナベル様には必要ありませんね」
「あら。マーサの淹れてくれるお茶の方が好きよ」
薬草茶は身体に必要だから飲んでるだけよ、と付け足して、作業部屋へと戻って行く。一人残された世話係は、嬉しさがこみ上げくるのを隠し切れずに口元をほころばせていた。
「お嬢様ったら、本当にもうっ」
追い出すように館から放り出されようが、憎むことができない。マーサの外出の隙を突くように森の入口を隠蔽されてしまったが、呆れただけで恨みはしなかった。そして、また通えると分かったら迷いなく戻って来ることを希望した。
口煩くて疎ましく思われているかもしれないが、嫌われていないのが分かっているからお仕えし続けていられる。
今日の夕食はアナベル様のお好きな物にしてさしあげましょうね、と頭の中で献立を組みかけた時、また入口の扉を叩く音が聞こえて来た。
「……はぁ、少しお待ちくださいませ」
あまり音を立てないように静かに扉を開いてみると、中年の行商人らしき風貌の男が一人。
「お初にお目にかかります、私は主に宝飾品を取り扱わせていただいて……」
「不自由はしておりませんので、お引き取り願いますわ」
男が名乗り切る前に、マーサが被せるように断りの文句を告げる。
「えっ、あ、えっと……」
あまりにバッサリと頭から切り捨てられてしまうと、続きの言葉が出ないようだった。今回はあまり手間を取らされずに追い返せそうだとマーサは心の中でほくそ笑んだ。
「あ、では、私の方は構わないので、あの子の話を聞いてやって下さいませんか?」
「?」
示された方に目を向けると、荷馬車の荷台にちょこんと腰掛けている少女がいた。年の頃なら12、3歳といったところか、長い髪を左右に分けたツインテールがよく似合っている。
「こちらのお屋敷に伺うと言ったら、知り合いからあの子も連れていってやるように頼まれまして」
「あの子がどうされたのですか?」
答える代わりに、商人の男は少女を手招きをして呼び寄せた。そして、マーサ達の前に駆け寄って来た少女へ促すように背中をポンと軽く押してあげる。彼の仕草からすると、嫌がっている子を無理矢理に連れて来た訳ではなさそうだ。
「あの……」
おずおずと恥ずかしそうに口を開いた少女は、少し間を置いてから勇気を振り絞って言った。
「森の魔女様の弟子にしてください!」
いきなりのことに驚いているマーサを横目に、「では私はこれで失礼します」とさっさと荷馬車に戻りかける商人。マーサは彼の腕を逃がすものかとガシッと掴んだ。
「ちゃんと説明なさい!」