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「ぼ、ボロいですね……」
黒宮さんに駐輪場まで連れて行かれ、着くや否や、彼は自転車をいじり始めた。だけど、とにかくボロい。あちらこちらのペイントはハゲているし、金属の部分も若干錆びていた。
それでついつい『ボロい』と口に出してしまい『やってしまった』と思ったのだが、しかし、その言葉に黒宮さんも同調してきたのだ。
「本当にボロいよな。一応、毎日メンテナンスはしてるんだがな。さすがに限界かもしれねえ」
失礼なことを言ったことで嫌味のひとつでも言われても仕方がないと思っていた。
だけど、違った。
その自転車のチェーンの部分のチェックをしながらではあるが、でも、その目はとても輝いていた。まるで宝石を散りばめたように。
素敵な表情だと、素直に思った。さっきまでとはまるで別人だ。
「錆びもちょくちょく落としてるんだが、ガキ共が乗って遊んでそのままにしてる時があるみたいでな。雨にさらさらてもすぐにまた同じようになっちまう」
「が、ガキ共!? も、もしかして黒宮さんってご結婚されてるんですか!? それでお子さんもいらっしゃるとか!?」
「んなわけねえだろ! 結婚もそうだが、自転車に乗れるくらいのガキがいるって、俺は一体いくつで子供を作ったんだよ!」
言われてみれば確かに。
でも今、黒宮さんが初めて私との会話をちょっと楽しそうに交わしてくれてたような……。でも、ガキって何のことなんだろう? 近所に住んでる子供さんかな?
「その子供さんって何才くらいなんですか?」
「あ? んなの訊いてどうすんだよ」
「いえ。黒宮さんってお友達少なそうだから、同年代の人達からは相手にされないからっていつも小さな子達と一緒に遊んでるのかなって」
「逆だ! このバカガマガエルが! 俺が遊んでやってるんだよ! 友達が少ないとか知るか! そんなの俺には関係ねえ!」
やっぱりだ。
なんか昨日よりもかなり話しやすくなってるし、私との会話を楽しんでくれてる気がする。
この人の中で、一体何があったんだろう。
「あ、あの、黒宮さん。どうして私はここに連れて来られたんでしょうか?」
「決まってんだろガマガエル。この前、お前の自転車壊れただろ? ちなみに今日はどうやってここまで登校してきたんだ?」
「はい。親に車で送ってもらいました。自転車は今度、親と一緒に買いに行く予定です」
私の言葉を聞いて、黒宮さんの手が止まった。そして見せる。憂いを含んだその顔を。
「――そうか。じゃあ、いらねえ心配だったみたいだな。新しいやつを買ってもらえるんだったら、こんなボロよりもずっといい。羨ましいぜ全く」
すごく気になった。『羨ましい』という、その一言が。それって、どういう意味なんだろう。壊れたら買ってもらうのが普通だと思うんだけど。
「あ、あの……黒宮さ――」
私が話し出す前に、黒宮さんの方が早くに言葉を口に出した。
「ちょっと残念だがな。まあ仕方がねえ。この自転車は俺の恩人が譲ってくれた物なんだ」
「恩人、ですか……?」
「そうだ。小学生の頃に譲ってもらってな。嬉しかった。めちゃくちゃ嬉しかった。嬉しすぎて毎日乗っりまくってた。でも、中学に入ったくらいから背丈が合わなくなってな。別のやつを買うしかなくなった。だけどお前の背丈だったらちょうどいいんじゃないかと思ったけど、いらねえか。新しいやつを買ってもらえるんだからな」
「い、いえ、そんな。いらないとか全然思ってません。でも、そんなに大切な自転車を、どうして私なんかに……」
チェーンが終わり、今度はブレーキを確認しようとしていた手が、ピタリと止まった。そして、少し遠くを見つめるようにして、言葉を選ぶかのようにして、黒宮さんは少しの間、黙ってしまった。
この沈黙が、私と黒宮さんの二人しかいない世界の中で、永遠に続くのではないのかと錯覚させられる程に長く感じた。
しかし、彼が言葉を紡ぎ始めたことで時がまた動き出した。
止まっていた、私と黒宮さんの時計の針が。
「――なんかな、お前に使ってほしくてな」
「わ、私に使って……ど、どうしてですか?」
「知らねえ。分からねえ。でも必要なさそうだから持って帰――」
「いります!!!! 乗ります!!!! だから譲ってください!!!!」
あまりに大きな声に驚いたのか、背を向けていた黒宮さんはコチラを振り返る。目の奥を。瞳の奥を見られている。そんな不思議な感覚を私は覚えた。
受け取りたい。譲り受けたい。だってこの自転車は、黒宮さんの恩人が彼に贈ったもの。大切なもの。それを今、黒宮さんは私に譲ってくれようとしている。使ってほしいと言ってくれている。断る? そんな理由がどこにあるというのか。ボロだとか、そんなことは関係ない。
黒宮さんが大切にしてきたものを、今度は私が大切にするんだ。
当たり前じゃん!!
黒宮さんは私の目を見つめ続ける。私の心の中にある、秘められた気持ちを読み取るようにして。汲み取るようにして。
そして、彼はゆっくりと口を開いた。
「――ありがとうよ」
私の心の中にある全ての全てを持っていかれてしまった。彼が、黒宮さんが、私に初めて贈ってくれた笑顔を見て。
その笑顔は少し不器用だったけど、でも、優しさに溢れ、穏やかで、だけどやっぱりどこか陰のある不思議な笑顔だった。
運命の王子様だとか、そんなことは全て吹き飛んでしまった。どうでもいいやとさえ思えてしまった。それよりも、これからもずっと見ていたいと思った。たくさん、たくさん見たいと思ってしまった。
黒宮さんの笑顔を。
「んじゃ、さっさと終わらせちまうか。おいガマガエル、乗れ。一応、サドルの位置は確認したが、乗らなきゃ分からねえ」
「え? は、はい! よいしょっと」
自転車にはまたがった。そこまではいいんだけど……。
「く、黒宮さん! あ、足が、足が全然地面に届かないんですけど!」
「……なあ、ガマガエル」
「な、なんでしょうか?」
「初めて見た時から思ってたんだけどよ。お前、短足だよな」
がっくりと肩を落とした私である。た、短足って……。
この人、こういうところさえなければなあ。
『第9話 黒宮さんと自転車と【2】』
終わり