コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「がっは……!」
山亀が俺の目の前――数メートル先に、ものすごい衝撃音とともに倒れてきた。
泥が弾け、体中に冷たい感触が襲いかかる。俺の体もその余波で吹き飛ばされ、背中が世界樹の根に叩きつけられる。
「いったぁ……つぅ……!」
背骨に鈍い痛みが走る。呼吸すら苦しい。
それでも――
「っ……くそ……」
俺は、必死に立ち上がった。膝をつきながら、手をつきながら、それでも立とうとする。
「み、みんな……?」
視線を上げたその先に――
さっきまで仲間たちがいたはずの場所に、巨大な山亀の巨体がのしかかっていた。
「……そんな……」
最悪の結果を想像してしまう。
「まさか……リュウトくん? アカ姉さん……? ……ヒロ?」
思わず出た声は、小さな囁きだった。
――いや、本当は、叫びたくなんてなかった。
なぜなら、もし返事がなかったら――その時、答えが確定してしまうから。
だから俺は……小さな声で呼んだ。震える喉で、消えそうな声で。
「うそだ……」
何も返ってこない現実に、視界が滲んだ。
「うそだ!!!」
堪えていた涙が、ぼろぼろと溢れる。
その場で、膝をつく。拳を地面に叩きつけても、何も変わらない。
泣き崩れそうな俺を、時間は見逃してくれなかった。
「ひっ……!?」
山亀が動きを止めた。
直後――その巨体から、無数の緑のツタが一斉に伸び始める。
まるで触手のように、うねり、絡みつくような動きでこちらへと迫ってくる。
「に、逃げないと……!」
背筋が凍る。喉が詰まりそうになるのを無理やり押し込めて、俺は山亀に背を向けた。
全身が震えてうまく動かない。
それでも――走った。
泥に足を取られながら、呼吸も荒く、バランスを崩して何度も転びそうになる。それでも――必死に。
「駄目だ……! 追いつかれる!」
わかってる。
俺は、アニメや漫画の主人公みたいに速くなんて走れない。
格好よく逃げ切れるほど、強くもない。
――むしろ、普通の人よりも……遅いくらいだ。
そして。
ヌルッ……とした感触が、足首を包む。
「っ……!?」
気づけば、緑の触手の一本が、俺の片足に絡みついていた。
キュッと締めつけられ、足が地面に引き戻される。
「うぁっ!? ぷへっ!」
足を引っ張られた衝撃で前のめりに転び、そのまま顔面から泥の中へ突っ込んだ。
冷たくぬるりとした感触――だが、不思議なことに顔や髪には泥がまとわりつかない。
(……なんで!? いや、それどころじゃない!)
「うわっ!?」
触手は俺の全身に巻き付き、そのままズルズルと――持ち上げられた!
「くそっ! 離せってば!!」
手足をばたつかせ、触手を叩き、必死にもがく。
けど――まったく、振りほどけない!
「だ、だめだ……!」
恐怖で視界が狭くなっていた俺は、ようやく気づいた。
正面に、巨大な“何か”が口を開けている。
――山亀だった。
その口は、岩のような歯を並べながら、俺を待ち構えるように開いていた。
「う、うそ……え、えっ、マジで!? 食べられるの……俺っ!?」
声が裏返る。叫ぼうとして喉が詰まる。
「や、やめ____ッ!!」
その瞬間――!
「――やらせない!!」
鋭い声と共に、空から一筋の漆黒が降ってきた。
くるくると回転しながら落ちてきたのは――漆黒の短剣。
その刃が、触手を次々と切り裂いていく!
(あの剣……!)
その瞬間、支えを失った俺の体がふわりと宙に浮いた。
「うわ、うわぁぁぁああ! おちるぅぅぅぅ!!」
浮遊感と共に落下する。
――が、地面に叩きつけられることはなかった。
代わりに、柔らかく、けれどしっかりとした腕に受け止められた。
「っ……!」
お姫様抱っこ……!?
そして、その正体は――!
「無事か、アオイ」
漆黒の黒騎士、“エス”さんだった!
(うわぁぁぁぁあああ!! 死んでなくてよかったぁあああ!!!)
(ありがとうううう!! 本当に死ぬかと思ったんだからぁああ!!!)
心の中でガン泣きしながらも、何とか落ち着いて口を開く。
「ありがとう……! 他のみんなは?」
「………………わからない」
エスさんの表情が曇る。
「俺は世界樹に行ったが……途中で獣人たちとはぐれてしまってな。気づいた時には、なぜか外に出ていた」
「……そうなんだ」
現実はうまくいかないようだ……
「…………」
エスは無言のまま俺を静かに降ろすと、ゆっくりと武器を構えた。
そして、低く名を呼ぶ。
「……『黒狼(こくろう)』」
「え……!?」
その瞬間、エスの影が揺れ、そこからあの――かつて俺を襲った黒い魔物が現れた。
鋭い牙、しなやかな四肢、そして赤く光る双眸。
その姿を目にしただけで、足がすくむ。
「この魔物……!」
「『黒狼』は、どういうわけか俺の命令を聞く」
エスが淡々と告げると、黒狼がこちらに視線を向けた。
「ガァルルル……」と喉を鳴らし、明らかに敵意を込めた唸り声を上げる。
ビクッと身構える俺の前で――
「アオイを魔物から護れ」
その一言で、黒狼の動きが止まった。
俺を睨んでいた眼差しが、僅かに揺らぐ。
そして、数秒の沈黙の後――カクン、と頭を下げて、頷いた。
「……!」
「エスは……どうするの?」
黒狼の隣に立つエスに問いかけると、彼は少しだけ視線を伏せる。
「……転移の魔皮紙を発動させるには、かなりの魔力を消費する」
そう言って、懐から一枚の紙を取り出す。
――それは、血のように真っ赤に染まった魔皮紙だった。
「今の俺に残された魔力では、使えるのは……これ一枚だけだ」
「それは……?」
俺が見つめる先で、エスは静かに答える。
「これを使えば――一時的に、力を何百倍、何千倍にも引き上げられる。だが、代償は……」
そこで、言葉を切る。
「……俺の魂だ」
「え……」
それって……
「死ぬ気……なの?」
「…………」
その沈黙が、答えだった。
(……だめだ! そんなの、絶対に!)
「っ――」
喉が震え、言葉が出ない。
気がつくと――
俺は、何も言わずにエスの腕を掴んでいた。
「…………一緒に、逃げよ? なんとか2人で助かる方法……きっとあるから」
必死だった。言葉にならない想いが、涙になって滲む。
エスはしばらく何も言わなかった。
でも――次に開いた口から出た声は、まるで別人のように優しくて、どこか懐かしい響きだった。
「……あなたは、相変わらずですね」
「……え?」
「“あの時”も――ベルドリと一緒に、俺を助けてくれた」
「“あの時”……?」
困惑する俺の前で、エスはゆっくりと頭の装備を外す。
鎧の影から現れた、その顔は――
「…………リン?」
「お久しぶりです、アオイさん」