数日後の朝、楓は一樹よりも先に目覚めた。
昨夜も一樹は帰りが遅かった。
楓がぐっすり眠っている間に、一樹はいつの間にか隣に寝ていた。
ここ最近そんな日が続いている。
あれから一樹と楓の間には何もない。
目覚めるといつの間にか一樹に腕枕をされていたり抱き締められている日があるが、それ以上何もなく一樹は極めて紳士的だ。
だから最近ではそうやって触れられていても気にならなくなった。いや、むしろ心地良いと思えた。
この前の出来事がまるで夢だったかのように、ここしばらく楓は平穏な朝を迎えていた。
こんな日々は楓が望んでいた日常なのに、なぜか物足りないような思いがするから不思議だ。
(さーて、起きて朝食の支度をしようっと)
朝食は必ず毎朝二人で食べる。それもごく普通の日課になっていた。
身支度をした後、楓が朝食の準備をしていると一樹が起きて来た。
「おはよう」
「おはようございます」
「楓、なんか昨日寝言を言ってたぞ」
「えっ? な、なんて?」
昨夜は夢を見た覚えもないので、自分がどんな寝言を言ったのか気になる。
「うーん、たしか『ガチャポンがまたはずれてがっかり~』とかなんとか? ガチャポンってアレだよな? カプセルに入ったおまけみたいなやつ?」
それを聞き楓は耳まで真っ赤になる。
自分があまりにも子供じみた寝言を言っていたと知り、恥ずかしさのあまり穴があったら入りたくなる。
「そ、そうです……今好きなシリーズがあってたまにやってみるんですけど、欲しいのがなかなか当たらなくて……」
顔を真っ赤にしながら必死に説明する楓を見て、一樹は思わず頬を緩める。
「それはどこにあるんだ?」
「え?」
「ガチャポンだよ」
「あ、えっと…いつも寄るスーパーにあります。そこで週一くらいでやっているんですけどなかなか……」
「じゃあ今日の帰り一緒に行ってみるか。欲しいのが出るまでやらせてやるよ」
一樹の意外な申し出に楓は驚き、慌てて顔の前で右手をブンブンと振った。
「いえ、大丈夫です。お忙しいのにそんな事でわざわざ……」
「今日は予定がないから大丈夫だ。仕事が終わったら待ってて。俺の車で帰ろう」
「……でも……本当にいいんですか?」
「ああ。欲しいんだろう? だったら一緒に行こう。じゃあシャワーを浴びてくるよ」
そう言い残して一樹はバスルームへ行った。
その日の午後、一樹は駅近くの喫茶店で男と向かい合っていた。
「瀬尾ちゃん、なんか新しい情報入った?」
一樹の前に座っている男は、瀬尾謙一郎(せおけんいちろう)。瀬尾は愛宮署の暴力団対策課の刑事だ。
歳は一樹と同じ40歳。瀬尾は長身・細身のスタイル、髪は刑事にはあまり似つかわしくないお洒落なツイストパーマをかけたなかなかの魅力的な男だ。
見た目は若干チャラいが、愛宮署の敏腕刑事だ。
「梅島の事? 一樹君はもう知ってるんじゃないのー?」
刑事とヤクザの間柄なのに二人はまるで親友のように親しげだ。
一樹がいる円城寺一家は地元に根付いた温厚な団体なので、警察との関係もまあまあ良好だ。
瀬尾は好物のコーヒーゼリーをスプーンでつつきながら嬉しそうにニヤニヤしている。
一樹に情報を流す時、瀬尾はいつもコーヒーゼリーをリクエストしていた。賄賂にしては安価だ。
「最近の梅島の行動は目に余る。とうとううちの店にも被害が出始めた。だからどんな情報でもいいから頼むよ、教えてくれ」
「じゃあコーヒーゼリーをもう一つ追加してくれたら教えよっかなー?」
瀬尾は最後の一口をぺろりと平らげると、屈託のない笑顔を見せて言った。
「わかったよ。あ、すみません、コーヒーゼリーを二つ追加で」
「えっ? 二個も? いいの?」
「ああ…だから真面目に頼むよ」
「ヘヘッ、そういう事ならお安い御用でっせー」
瀬尾は嬉しそうに言うと、コーヒーを一口飲んでから前のめりになる。
そして小声で言った。
「薬漬けだよ」
「薬漬け? 誰を?」
「敵対している組の女とか下っ端をな」
「という事はうちの組にも?」
「一樹君の組に被害者がいるかどうかはまだわかってないけどねー」
「で、他には?」
「インサイダー」
「インサイダー?」
「そう。インサイダー目的に大手企業のエリートに近付く。一樹君の会社でも投資はやってるからインサイダーってわかるよねー?」
「ああ、もちろん。でも大手企業のエリートが裏社会の人間に情報なんて流すか?」
「それが流すんだよなー」
「なぜ?」
「弱みを握られてたり金の為だったり?」
「なるほどな……。で、やり口はどうやるんだ?」
「方法は色々だよ。転職エージェントのふりをしてスカウトの話を持ちかけたり、私生活を洗って弱みを握ってから脅すとか、それこそ色々だよ」
「……で、近付いた後は?」
「それも色々だねー。女を当てがった後脅すとか、違法賭博に誘ったりとか? もっとディープだと薬物依存とか闇金に誘導する。で、情報を引き出す」
「そんなに簡単にいくのか? 一流企業のエリートがそう簡単には引っかかるとは思えないけどなぁ」
「それがさぁ、奴らはそういうのが本当に上手いんだよー。最初は相手の自尊心をくすぐって近づく……で、一気に持ち上げてからどーーーんっ!」
「そっか。で、奴らの狙いはやっぱり東京での拠点か?」
「ズバリそう! だから一樹君ところが狙われちゃったわけ! 梅島にとってこの辺りはまさに金のなる木なんだろうなー」
「俺はてっきり新宿界隈の富田組を狙ってるとばかり思ってたが」
「富田組は一樹君とこよりは荒っぽいだろう? だから狙わないよー」
「___で、警察の本丸は? 何を狙ってる?」
「もちろんシャブだよ。あいつらのせいで日本中に出回るシャブの量は10年前と比べて10倍…いや100倍にはなってるだろうからね。さすがに俺達も黙っちゃあいられないよ。警察の威信をかけてこの機会に一掃するつもりだ」
「Xデーは?」
「多分年末くらいじゃないかな? 年越しの時期はあいつらも気が緩むだろうからね。あ、でもこれは絶対外部に漏らさないでよー」
「わかってるよ」
その時、追加注文のコーヒーゼリーが二つ運ばれてきた。
「ありがとう」
瀬尾はアルバイトの女性にニッコリと魅惑的な笑顔を見せる。すると女性スタッフは頬を赤く染めて戻っていった。
「僕ちゃんのキラースマイルはまだまだ健在だな」
瀬尾はご機嫌な様子で再びコーヒーゼリーを食べ始めた。
そんな瀬尾を見つめながら、一樹は少し深刻な表情をしていた。
コメント
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周りが不穏な感じになってきてハラハラ😨 楓ちゃんと一樹さんの仲が平和でホッとする🥹楓ちゃん、可愛いなぁ。私もガチャポン好きだから、わくわくするの凄くわかります!🤩
コーヒーゼリー3個で一樹さんに情報を流しちゃう瀬尾さんWww また、楽しみなイケメン新キャラが....😂💕 悪良は完全にカモだね😰 どうか楓ちゃんが巻き込まれませんように。 一樹さん達の組も 裏切り者やら跡目争いやらで、これから大変そう....😰
良も情報を流す一味になっちゃったね… あーあ…