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窓を叩く雨の音が、夜の相談室をゆるく満たしていた。 ドアが少しだけ開き、濡れた靴のまま一人の男子が入ってくる。
制服の袖から滴った水が床に落ちて、小さな円を広げた。
椅子に腰を下ろした彼は、視線を机の端に落としたまま、ぽつりとつぶやいた。
「……話しても、誰にも届かない気がするんだ」
遥は軽く眉を上げる。
「届かない、って?」
「なんか、声を出しても空気に消える感じ。
家でも、学校でも、話してるのに反応が返ってこない。
ちゃんと聞いてもらえないっていうか……存在してないみたいで」
湿った空気が机の上で重く揺れた。
遥は短く息を吸い、言葉を探す。
「その感じ、どんなときに一番強くなる?」
「授業中。答えようとしても、誰かに先に言われて終わる。
家だと、親は忙しいからうなずくだけ。
友達と話してても、話題が勝手に流れていく。
俺の声、軽いっていうか、最初から無いみたいで」
遥はペンを指で転がした。カチ、カチ、と乾いた音が小さく響く。
「ちゃんと届いてるときって、ある?」
少年は少し考えた。
「……わからない。届いたと思っても、相手が気を遣ってるだけかも」
かすれた声に、疲れがにじむ。
遥は天井を一度見上げてから、ゆっくりと話す。
「声ってさ、返事がなくても、ちゃんと残ってると思う」
「……どういうこと?」
「返事って相手の都合だろ。
聞いてても返さない人もいる。
でも、耳に入った言葉は相手の中に残る。
気づかれなくても、勝手に響く場所があるんだと思う」
少年は机の木目を指でなぞりながら、小さく眉を寄せた。
「それって……意味あるのかな」
「あると思う。たとえば誰かの何気ない一言が、あとで頭の中に残ることあるだろ?
自分も、誰かにとってそういう“残る言葉”を置いてるかもしれない」
雨脚が少し強くなる。
少年はしばらく黙ったまま、窓の外を見ていた。
「……俺、残ってるのかな。誰かの中に」
「残ってるよ。今ここで俺が聞いてるし」
遥はごく淡く口元をゆるめた。
「届かないって思ってても、もう届いてる」
少年は小さく笑い、すぐ俯いた。
「……ありがとう」
その声は、先ほどより少しだけ芯があった。
時計の針が静かに動き、雨音だけが続く。
誰かに返されなくても、言葉は消えない――その静かな確かさが、夜の相談室に淡く灯った。