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手綱を緩めると、馬が歩き出した。
オレが駆る馬車の後部座席でミーシャとイリスが話し込んでいる。
イリスを連れてきたのは正解だった。
オレとミーシャだけで馬車に乗っては、完全にドナドナになってしまう。
それに同じ奴隷を買うにしても、意気消沈した奴隷より明るくて元気な奴隷の方がいい。
その方が高く売れるからな。
「だからわしは言ってやったんじゃ。×××はでかい方がいいと」
「おっきい方がいいの?」
「うむ、当然じゃ。なぜなら……」
幼女たちの卑猥な会話が聞こえてくる。
性行為に及んでいるわけではないようだし、いいか。
ゼゲルに売春を強要されたことで、ミーシャの性知識は歪んでいる可能性がある。
だからといって、性教育を施して、正してやろうとは思わない。
すぐに売り払う奴隷に、そこまでの面倒をみてやる義理はない。
ただ、判断材料に環境くらい用意してやってもいい。
間違いも正解もごった煮の場所だが、世界とはそういうものだし。
そこから自分なりの正解を選び取るのが人生というものだ。
太陽が緩やかに下り始めた頃、ようやく目的地が見えてきた。
ボウモア農場の土地は広く、作物の栽培と畜産を行っている。
犬の遠吠えが聞こえる、羊飼いの犬がオレ達に気づいたのだろう。
「んー、なんじゃ。もう着いたのか?」
話し疲れ、寝ていたイリスが目(まなこ)をこする。
「ああ、そろそろだ」
ミーシャはというと、しっかり起きていた。
これから売られるという自覚があるのだろう、覚悟するような顔をしている。
いい傾向だ。
「ようこそ、ボウモア農場へ」
農場の主、ボウモアが脱帽して礼をする。
オレも「お出迎えありがとうございます」と頭を下げる。
ボウモアは40前半くらいのヒュームの男だ。
これだけ大きな農場を経営し、数多の奴隷を使役していながら、オレのような若輩者の奴隷商人にも横柄な態度を取らない。人間ができている。
「ミーシャです。よろしく、お願いします!」
ミーシャもオレにならう。
イリスは「イリスじゃよ~」と手を振っていた。
こいつ、舐めていやがる。
「ああ、この子が」
丸眼鏡を押さえてボウモアがミーシャを見る。
ミーシャは、にこりと微笑んでみせた。
まるで小川に咲く小さな白い花のような笑顔だ。
「うんうん、いい子ですな。買いましょう」
「ははは。ありがたいですが、気が早くはありませんか?」
オレも鏡の前で散々練習した善人っぽい笑顔を浮かべる。
ここだ、この角度がもっとも善人に見えるのだ。
「いえいえ、そんなことはありません。アーカードさんは質のよい奴隷をお持ちだ」
よし! 最大の難所を越えた!
流石はミーシャ、オレが見込んだ奴隷だ!
350万セレス。
いや400万セレスはいけるか?
ああ、金(カネ)のことを考えると胸が高鳴る。
やはり、オレの判断は正しかった。
広大な農場を経営するボウモアは労働力として多数の奴隷を所持している。
となれば必然、奴隷を見る目も肥えている。
ベルッティやハガネではどう誤魔化したところで、この時点でお払い箱だったろう。
邪悪さも殺意も、ここでは役に立たないのだから。
「さぁ、立ち話もなんです。農場でも見回りながら話をしましょう」
どこまでも続く草原の先に、羊の群れが見えた。
羊飼いらしき少年が木の棒を掲げると、どこからともなく数匹の犬が現れ、ルートから外れた羊を誘導する。
「わぁ」
ミーシャが感嘆する。
ああ、実に見事な連携だ。適切な主従関係を見ると心が落ち着く。
この世の奴隷すべてがこうだったらいいのに!
「どうだい?」
「すごく広いです」
そこかよ。
いや、地下牢のような奴隷部屋に放り込まれていたミーシャからすれば当然の反応か。
「ここから三つ先の山まではうちのだから、羊の餌には事欠かなくてね」
「みっつ!?」
無邪気に驚くミーシャに、ボウモアは自慢げに言う。
「うちは農場がメインなんだが、あんまり広いものだからとても耕し切れなくてね。余った土地はこうして羊に食わせてるんだ」
土地は放っておくとどんどん荒れ果てていくものだ。
そして荒れ果てた土地にはならず者が住み着き、傲慢にも居住権を主張してくることもある。
かといって、四六時中ボウモアが見回りをするわけにもいかない。
そんなことをすれば、見回りだけで一日が終わってしまう。
であれば、奴隷に羊飼いでもさせて勝手に生い茂る草を羊毛(ようもう)に変えた方が得だろう。
富が富を呼ぶ、理想的な構造だ。
こうなると奴隷がいくらいても足りなくなる。
ボウモアはコーン畑や麦畑を通り過ぎると、最後に奴隷達の住む小屋へと案内してくれた。
小屋といってもかなりの大きさだ。
何せこの中には。
「こんにちは、ボウモアさん」
「ごしゅじーん!」「ごしゅじんさまー!」
扉を開けると奴隷のマルロが挨拶をし、4,5歳ほどの子供がボウモアの足下に駆け寄る。この二人の子供も奴隷だ。
「ああ、うん。今日も元気だね」
そう言って、子供達の頭を撫でるボウモアは優しい顔をしていた。
ミーシャはというと、何が起こっているのかわからない様子である。
面白いので説明せずにいると、奥からマルロの妻が現れた。食器磨き用の布を腰紐から下げている。
「こんにちはボウモアさん。あ、もしかしてこの子が」
マルロもマルロの妻も、まだ夫婦だと口にしてはいない。
だが、マルロ夫妻にうり二つの子供がこうも駆け回っていれば馬鹿でもわかる。
ミーシャは困惑しつつも、頭を下げて名乗った。
「ミーシャです。よろしく、お願いします!」
「よろしくミーシャ。奴隷のマルロです。こちらが妻のローリエ」
紹介されたローリエが「よろしくね。ミーシャ」と挨拶する。
母のような視線がミーシャに注がれていた。
ミーシャが混乱するのも無理はない。
帝国法は奴隷の結婚を認めていない。
また奴隷は財産を所有できないとされている。
奴隷には原則として給与はなく、いくらかの食事と寝床が与えられるだけだ。
蓄財できない以上。
家を持ち、結婚して子供を育てるなど到底不可能に見える。
だが、何事にも例外があるのだ。
「じゃあ、マルロ。あとはよろしく。仕事の割り振りは任せるよ。君ならうまくやるだろう」
「はい、お任せ下さい」
マルロのはきはきとした返事を聞いて、ボウモアは満足げな顔をした。
ボウモアは農場の経営者であり、経営能力も持っているが、実質的な経営はマルロが行っている。
その富のほとんどはボウモアの懐に入るが、ボウモアはマルロに大きな家を与え、滋養ある食事を与え、結婚を許し、子供すら産まれている。
なぜ奴隷にそのようなことをするかと言えば、そうすることでマルロはより精力的に農場の経営に努め、努力し、成果を上げようとするからだ。
いかに法が結婚を禁じていても、人が人を愛する気持ちまでなかったことにはできない。
法的に認められていない事実婚という形ではあるが、マルロたちからすれば十分に幸福だろう。
人は一度手に入れた愛や幸福に強い執着を持つ。
何があろうと、手放したくないと思うのだ。
こうなると主人と奴隷の結束はいよいよ強まる。
正しい方の血と金の結束だ。
マルロはボウモアを裏切らないし、ボウモアはマルロを重用する。
理想的な経営と言えるだろう。
オレもいつかルーニーあたりに大きな仕事を任せたいものだ。
「あ、そうそう。これは独り言だが、ミーシャは羊が気に入ったそうだ」
「それじゃあ。みんな仲良くね」
ユーモラスにウインクを決めたボウモアが鼻歌を歌いながら去って行く。
「じゃあな、ミーシャ」
「ま、わしらもしばらくはここにいるがの!」
オレとイリスもその後を追う。
奴隷を引き渡した後は、そのままボウモアの屋敷で食事を共にするのがいつもの流れなのだ。