テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「……正しい選択しか、してこなかったんです。ずっと」
そう言って、Kさんはまっすぐ座っていた。背筋をぴんと張って、制服の襟元もきちんと整っている。少しでも緩めたら崩れてしまいそうな張りつめた空気を、遥は肌で感じた。
「正しいって、誰にとって?」
「……母です。うちの母、すごく厳しくて。勉強も、友達づきあいも、持ち物も。言われた通りにすれば怒られないし、褒められるから……。最初はそれで良かったはずなんです。でも、気がついたら、もう何を選んでも自分の選択じゃない気がして」
「何を選んでも、自分じゃない」
「……はい。高校、志望校も、部活も。『あなたにはこれが向いてる』『あなたはこういう子でしょ』って言われて……逆らうのが怖かった。『違う』って言ったら、母は黙って、部屋に閉じこもって、夕飯も作らなくなったことがあって……それから言えなくなったんです」
「うん」
遥はそれ以上言葉を挟まない。黙って、聞いている。Kさんの喉が動いた。言葉を絞り出すように、また続ける。
「だから、正しい子でいようと思った。成績もキープして、問題も起こさなくて、いい子で。でも最近、自分が何がしたいのか、何を感じてるのか、ほんとにわからなくなってきて……朝起きても、誰の一日を生きてるんだろうって、ぼんやりして。これ、変ですよね」
「変じゃない。……Kさん、ちゃんと感じてるよ。それ、消えたんじゃなくて、しまいこんでただけだろ」
「……でも、しまい込んでる間に、壊れたんです。大切な友達とも、なんか上手く話せなくなって。みんな普通に自分のこと話してるのに、私はそれを真似することしかできなくて。まるで中身がないみたいで……」
「うん」
「どうしたらいいんでしょう。自分の声って、どうすれば戻ってくるんですか」
遥は、そこでようやく息を吐いた。背もたれに少しだけ体を預けて、天井を見た。低く、けれど噛み締めるように言った。
「……俺は、逆だった。何も望まれなかった。期待もされなかった。だからずっと、自分なんかいらないって思ってた」
「……」
「でも最近、ちょっと思ったんだ。誰にも言われなくても、何も指示されなくても、残る“好き”ってあるんだなって。たとえば俺、昔、ある人の話を聞いて『その人が何考えてるのか、知りたいな』って思った。理由とかないのに、気づいたらそう思ってた。……それってたぶん、自分の声だったんだと思う」
「それ……ちゃんと、気づけたんですね」
「時間はかかったけどな。でも、ちゃんと残ってたよ。だからKさんも、今こうして誰かに“話したい”って思ったことが、もうその第一歩だと思う」
「……ほんとに、そう思ってくれますか?」
「うん。本当に。誰かに話したいって思える気持ちが、他人の台本通りなわけがない。……そうだろ?」
Kさんは、少しだけ笑った。張りつめていた背中が、わずかに緩んだ。
「……来てよかったです、ここ」
「また来てもいいよ。別に、“いい子”じゃなくても、ここでは大丈夫だから」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!