テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第1章 第1話
「絶対絶望」
東幻の夜は、整いすぎている。
石畳は欠けず、屋根の線は揃い、灯りは決まった位置に灯る。警備の足音すら規則正しく、遠い波音まで“正しい音”に聞こえた。
城の裏手。回廊の陰。
そこだけが例外みたいに騒がしい。
「だからさ、私がゾラン王国に着いたらまず食うのは“誓鍋”だなっ!」
緑の和服姿の少年が胸を張る。
成信詩丸。
黒髪の長い前髪をセンターで分け、後ろで結んだポニーテールが、笑うたび揺れた。刀を携え、言葉に迷いがない。輪の中心に立つのが自然で、周囲もそれを自然として受け入れている。
「また飯かよ!」
「旅の飯は命だぞ! 君たち、わかってないなっ!」
「詩丸、王族のくせに雑!」
「王族だからこそ堅苦しいのが嫌なんだよっ!」
仲間たちは多い。
十数人どころじゃない。もっといる。笑って、茶化して、勝手に集まって、勝手に盛り上がる。詩丸が笑えば空気が軽くなり、詩丸が頷けばそれが正解になる。
詩丸はそれを当たり前のように受け止めていた。
期待も尊敬も、彼にとっては背景の一部だ。重いのに、日常すぎて意識しない。
「ゾランは戦いの総合大学みたいな国なんだろっ? 魔術も物理も属性も何でもあり……燃えるなっ!」
「燃えるのはあんただけだろ」
「いや、君も燃えろ!」
笑い声が弾けた。
詩丸は自然に一歩前へ出て、皆を見回す。
その時、庭の端――灯りが薄い木陰に、黙って立っている少年がいた。
群れの中心に入らない。入れないわけじゃないのに、入らない。
距離があるせいで顔ははっきりしない。ただ、視線だけが妙に刺さる気がした。
(……見られてる?)
詩丸は一瞬だけそう思ったが、すぐに忘れた。
笑い声の渦が強すぎる。
その影からの嫉妬に、詩丸は気がついていない。
「よし、今夜だ!」
「城を抜けるぞ!」
「行くぞ行くぞ!」
「ゾランだーー!」
詩丸の胸の奥が浮き立つ。
退屈な日々に穴が開く感覚。息がしやすくなる。
「私が先頭を歩くぞっ! 君たち、遅れるなっ!」
歓声が上がり、夜風が揺れた。
主役はお前じゃない。
それは誰かの声じゃない。
ただ文章として、物語の外側から置かれるだけ。詩丸の耳にも意識にも届かない。
城の裏門へ向かう影の群れ。
忍の国らしく足取りは軽く、見張りの間を縫う動きは無駄がない。瓦を鳴らさず屋根を渡り、物陰へ滑るように消える。
詩丸は先頭で時々振り返り、低い声で指示を出した。
「そこ踏むなっ。音が出るぞ」
「詩丸、詳しすぎ!」
「王族の退屈な生活でこういうのだけは覚えたんだなっ!」
笑いが起きる。
詩丸が笑えば皆が安心する。
詩丸が前を向けば皆がついてくる。
眩しいほどの光は同時にこの世の闇を孕んでいた。
森へ抜けた瞬間、潮の匂いが濃くなる。
遠くで波が砕け、船の軋む音が重なった。
ラウロ号。
港に停泊した大船が闇の中で静かに待っている。帆柱は高く、船腹は黒々と大きい。
「うお、でけえ!」
「これでゾランまで行くのか!」
「詩丸、王族ならもっといい船乗れよ!」
「王族だからこそ、こういう船がいいんだっ!」
詩丸は笑った。
王族と呼ばれても、笑って流せる自信があった。ここを出れば、呼び名なんてどうでもいい――そう思っていた。
出航前夜。宿の大部屋。
仲間たちは雑魚寝の準備をしながら騒いだ。枕が飛び、布団がずれ、笑い声が跳ねる。
「詩丸、最後に一曲歌えよ!」
「やめろっ! 私は歌より剣だぞ!」
「うわ、主人公みてえ!」
「主人公ってなんだ、君!」
笑いながらも、胸の奥に小さな棘が刺さる。
主人公。
褒め言葉みたいで、どこか重たい。
夜が更け、笑い声が薄くなる。
詩丸はそっと外へ出た。
縁側に座り、海を眺める。
月明かりが波の上で砕け、風が髪を揺らす。港の灯りが遠くで点っている。
「……王家って、めんどくさいな」
期待、期待、期待。
自分が何をしたいかより、自分が“どうあるべきか”が先に決まっている。
苛立ちはある。
でも、それ以上に希望がある。
「ゾランなら違うだろっ。強くなれる。退屈な毎日から抜け出せる。私が私のまま、行ける場所だ」
背後で床板がわずかに鳴った。
振り返ると、廊下の影に少年が立っていた。
赤い布が首元に見える。右目に傷。青い瞳。
木陰の視線の主だと、詩丸は気づく。
「眠れないのか?」
詩丸は自然に声をかけた。
名前は知らない。覚えていない。大勢の中の一人だと思っている。
少年は一瞬だけ口を開き、閉じた。
そして小さく頷いた。
「怖いのは普通だ」
詩丸は軽く笑う。
「だが普通でいいんだ。明日は出航だ」
少年は何か言いかけたが、結局言わない。
視線だけが、詩丸に絡みつく。
詩丸はそれを“信頼”だと受け取ってしまう。
その影からの嫉妬に、詩丸は気がついていない。
「……私は、明日から自由だ」
詩丸は海へ視線を戻す。
「君も、自由になれる」
主役はお前じゃない。
文章が、淡々と置かれるだけ。
詩丸は何も知らない。
ただ未来を夢見て、目を閉じる。
「ゾランに着いたら、君たち全員、強くなるぞっ!」
そう言って眠った。
船は、出る。
出航から数日。
船の生活は昼は騒がしく、夜は妙に静かだった。波の音と船体の軋みだけが残り、笑い声も足音も寝息に溶ける。
詩丸は寝台で目を閉じたはずだった。
なのに眠れない。胸の奥がまだ浮き立っている。
自由。ゾラン。強さ。未来。
頭の中で言葉が回り続けて止まらない。
(……気晴らしに風でも浴びるか)
詩丸はそっと起き上がり、寝ている仲間たちを起こさないよう足音を殺して部屋を出た。廊下は暗く、灯りは最小限。板の冷たさが足裏に伝わる。
甲板への扉を押すと、夜気が一気に流れ込んできた。
冷たい。潮の匂いが濃い。空は月がなく、海は黒い。
詩丸は欄干に近づき、息を吐いた。
「……やっぱり自由っていいな」
言葉が夜に吸い込まれる。
静けさが、気持ちいい。
その背後に、冷たい気配が落ちた。
音はほとんど無い。足音ではない。
影が一つ増えたような感覚だけ。
詩丸が振り返るより早く、刃が閃いた。
「――っ」
首筋に熱が走り、遅れて血が重く落ちる。
喉を押さえた指の間から温かいものが溢れ、息をしようとすると喉が擦れて変な音が出た。
詩丸は膝をつく。甲板の冷たさが一気に現実になる。
視界の端に、銀髪の少年がいる。
眉がない。薄い青い目。表情が無い。
手には小型の短剣――暗殺用の刃。
狙いは最初から一つ。首。切断。
(……ただ殺すんじゃない)
(“首”を取りに来てる)
刀に手を伸ばしたいのに、腕が重い。
血が抜けていく速度が早すぎる。
銀髪が踏み込む。
短剣が喉元へ――
その瞬間、階段を駆け上がる足音が闇を裂いた。
「詩丸先輩!!」
扉が乱暴に開く音。
誰かが息を切らし、走ってくる。
赤い布を首に巻いた少年が飛び込んできた。
右目の傷。青い瞳。
体当たりで銀髪の腕を逸らす。
刃が欄干を叩いて火花が散り、木が削れる音が響いた。甲板に鋭い傷が残る。
銀髪の少年は表情を変えないまま低く言った。
「……邪魔だ」
赤い布の少年は息を荒くし、拳を握る。
「てめぇ……何してんだよ……!」
詩丸は倒れたまま、その背中を見る。
助けようとしている。それだけが分かる。
なぜ起きていたのか、なぜここへ来たのか――詩丸は知らない。
その影からの嫉妬に、詩丸は気がついていない。
銀髪は短剣を引き、距離を詰め直す。
動きは静かだ。大振りしない。
暗殺者の動線。最短で狙いを通す形。
赤い布の少年は、それを“力で止める”しかない。
詩丸の前に立ち、短剣が来るたびに腕で弾き、体で受ける。
ぎこちない。必死だ。
銀髪は足を滑らせるように斜めへ入る。首を狙う角度。
赤い布の少年が反射で追う。
間に合わない――詩丸は思った。
だが、銀髪の踏み込みが一瞬だけ鈍る。
床板が薄く白く染まった。足元から霜が伸び、甲板が滑りやすくなっている。
小さな氷魔術。
派手じゃない。ただ足場を狂わせる程度。
それだけで“必殺の角度”がわずかにズレる。
銀髪はすぐに体勢を変え、短剣を逆手に持ち替えた。
刃が走る。喉元へ抉る角度。
赤い布の少年が腕を出す。
短剣が腕を裂く。血が飛ぶ。
「……っ!」
呻いても退かない。歯を食いしばって踏み込む。拳で殴る。
銀髪は半歩だけ頭をずらしてかわす。
無駄がない。感情がない。
次の瞬間、銀髪の指先から冷気が漏れた。
刃に霜が薄く乗る。凍らせるほどではない。
切り口を鋭くするための、冷たさ。
布越しにもう一度深く裂かれ、赤い点が甲板に増える。
赤い布の少年は一度よろけ、それでも詩丸の前から退かない。
「……来いよ」
震える声。
「お前、詩丸先輩の首……取りたいんだろ」
銀髪は答えない。
短剣が三度走る。
赤い布の少年は腕で受け、肩で押し返し、体ごと詰めて距離を潰す。
不器用だが、必死だ。必死だからこそ、目が離せない。
詩丸は喉を押さえながらむせる。血が口に上がる。
視界が滲む。風が冷たく感じる――自分の体温が落ちている。
眩しいほどの光は同時にこの世の闇を孕んでいた。
詩丸の“死の匂い”が濃くなる。
赤い布の少年の血も増える。
銀髪の動きはさらに静かに、さらに正確に――首へ向かっていく。
その刹那。
空気が、歪んだ。
風が止まり、波の音が遠のく。
甲板が一瞬だけ“別の場所”になる。
紫がかった黒髪の少年が時空から、闇から現れた。
破れた黒いローブ、ボロボロのマント。
異様に長いマフラーが、風もないのに揺れている。
包帯で巻かれた手。死んだ気配がまとわりついている。
「おお……死にたがってる子が二人もいるじゃない」
詩丸は理解できない。
自分は死にたがっていない。自由になりたいだけだ。
突然の出来事に銀髪も赤い布の少年も立ち止まることしか出来なかった。
「じゃあ、繋いであげよう」
少年は優しく言う。
「君たちは……きっと僕を求める」
包帯の手が上がる。
黒い光が糸のように伸びる。
本来の標的は――詩丸と銀髪。
だが、赤い布の少年が詩丸を庇って割り込んだ。
「やめろ……!!」
糸がねじれる。対象がズレる。
詩丸の身体を通り過ぎ、赤い布の少年へ刺さる。
そしてもう一方は銀髪へ。
空気が“固定”される感覚。
見えない鎖が掛かった気配。
赤い布の少年が膝をつき、呼吸が乱れる。
銀髪も、わずかに目を細め、すぐに気絶する。
紫黒の少年は満足そうに微笑む。
「いつか……いつか僕を……殺しに来てね」
闇に溶けるように消えた。
詩丸の視界はぼやけていく。
首の傷は深い。血が止まらない。冷たい夜気が肺に刺さる。
赤い布の少年が這うように近づいてくる。
泣いている。声が震えている。
「……だ、大丈夫……か」
喉が詰まって続かない。
「ごめん……守れなく……て……おれ……おれ……!」
詩丸はそこで初めて困る。
彼の顔を、名前を、思い出せない。
中心にいる人間は、周辺の顔をすべて覚えない。
それが悪意じゃなくても、残酷になる。
詩丸は必死に目の前の少年を見て、正直に言うしかなかった。
「……すまないが」
「君は……誰……なんだ?」
主役はお前じゃない。
最後の文章が淡々と置かれる。
誰かを嘲るでもなく、慰めるでもなく、ただ事実として。
赤い布の少年の瞳が砕ける瞬間を、詩丸はぼんやり見た。
憧れが割れて、別の感情が覗く。
詩丸にはそれが何か分からない。分かる余裕もない。
詩丸は息を吐いて――戻らなかった。
世界は静かだった。
まるで、最初から彼がいなかったみたいに。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#和風ファンタジー
るるくらげ