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第十四章 月が導く先
第八話 レオルの手記 後編
『そして、運命の日がやってきた』
その一文を見た瞬間、部屋の空気が変わった気がした。
ジントは無意識に息を止める。
窓の外では月が静かに浮かんでいる。
誰も言葉を発しなかった。
ただ、ジントだけがゆっくり続きを読み進める。
ーーー
あの夜のことは、今でも夢に見る。
空には、あの日と同じ満月が浮かんでいた。
私は幽閉塔の外で見張りをしていた。
いつも通りだった。
夜になると、塔の窓や石壁を這うようにして影が集まり、ルナのもとへ吸い寄せられていく。
それが日常になっていた。
だがその夜は違った。
私は異変に気付く。
影が、溢れている。
いつもなら、ルナへ流れ込んでいたはずの闇が、反対に塔の中から滲み出していた。
石壁を黒く染めながら、まるで生き物のように地面を這っていく。
同時に、吐き気を催すほどの瘴気が周囲を包み始めた。
空気が重い。
私は咄嗟に警鐘を鳴らした。
「緊急事態だ!!」
その瞬間、塔の窓から黒い影が噴き出した。
魔物だった。
私は剣を抜き、飛び掛かってきた魔物を斬り払う。
しかし斬っても斬っても終わらない。
次々と影が溢れてくる。
影は魔物へと形を変え、空へ昇っていこうとしていた。
このままでは城や城下まで被害が広がる。
やがて城から大勢の兵士と魔導師が駆けつけた。
誰もが塔を見上げ、息を呑む。
塔全体が、巨大な闇に侵食されていく。
魔導師達が結界を張り、兵士達が魔物を押し返す。
だが数が違った。
闇が魔物を生み続けていた。
結界のおかげで空へ昇っていく魔物達は抑えられていたが、いくら倒しても終わらない。
ーーー
ジントの呼吸が浅くなる。
胸の奥が苦しい。
脳裏に、夜の海で見た魔物達の姿が過った。
満月でもないのに。
あの時感じた違和感が、今、目の前の記録によって答えに変わっていく。
ダイチは気付いていた。
ジントの指先が、小さく震えていることに。
そっと隣へ立つと、何も言わず肩へ触れる。
ジントは少しだけ安心したように息を吐いた。
そして、続きを読む。
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ーーー
その時だった。
塔の内部から、凄まじい轟音が響いた。
石壁が震える。
誰かが悲鳴を上げた。
私は塔を見上げる。
ゆっくりと。
階段を降りてくる“何か”の気配がした。
それは瘴気だった。
濃密な闇そのものだった。
見ているだけで理性が削られていく。
恐怖が胸を掴む。
足が震える。
塔の扉の前で応戦していた私は、その瞬間をはっきり覚えている。
扉が、内側から吹き飛んだ。
爆風と共に闇が溢れ出す。
誰かが壁へ叩き付けられた。
反射的に伏せた身体をすぐに起こし、
私は霞む視界の中、剣を構えた。
だがそこに立っていたものを見た瞬間、身体が動かなくなった。
それは、闇だった。
人の形をしているようにも見えた。
だが輪郭は曖昧で、黒い影が絶えず揺らめいている。
無数の触手が蠢き、周囲の光を喰らっていた。
そして、闇の奥で、一瞬だけ。
あの黒い瞳が見えた気がした。
ーーー
「……ルナ」
ジントの喉が詰まる。
頭の奥で、誰かの悲鳴のようなものが響く。
怖かった。
苦しかった。
寂しかった。
そんな感情が、ふっと流れ込んできた気がした。
それは、自分の感情なのか。
それとも、ルナが感じていたものなのか。
ジントはぎゅっと胸元を押さえる。
「ジント!」
ダイチが慌てて身体を支えた。
「大丈夫か!?」
ジントは荒く息を吐きながら、小さく頷く。
「……だい、じょうぶ……」
だが、その声は震えていた。
シュンタも不安そうに眉を寄せる。
「無理せんでも……」
しかしジントは首を横に振った。
「……最後まで、読む……」
涙で滲む視界のまま、再び手記へ目を落とす。
ーーー
気付けば私は、その名を呼んでいた。
次の瞬間、闇が咆哮した。
空気が震える。
兵士達が吹き飛ばされる。
魔導師の結界が砕け散った。
私は死を覚悟した。
だがその時。
夜空を裂くような光が現れた。
「全員、下がれ!!」
凛とした声が響く。
振り返ると、太陽の加護を宿した皇子を筆頭に、数人の精鋭達が立っていた。
皇子の持つ剣は、まるで陽光を固めたように眩く輝いていた。
後方では、精鋭の一人が柔らかな月光のような光で仲間達を包み込み、結界を維持していた。
圧巻だった。
彼らの放つ光に触れる度、闇は悲鳴を上げるように霧散していく。
私はただ、その戦いを見ていることしかできなかった。
やがて。
長い夜が終わりを迎える。
東の空が白み始めた。
朝日だった。
その光が差し込んだ瞬間。
闇は静かに崩れ落ちていった。
まるで最初から何も存在しなかったかのように。
だが最後にほんの一瞬だけ。
朝日の中、黒い髪を風に揺らし、
そしてどこか安らいだような微笑みを浮かべたルナの姿が見えた気がした。
ーーー
そこで、ジントの声が止まった。
部屋の中へ静寂が落ちる。
誰も、すぐには口を開けなかった。
窓の外から、わずかに聞こえる通りの喧騒がやけに大きく響いた。
ジントは俯いたまま、小さく呟いた。
「……ルナ……」
ぽろり、と涙が落ちた。
その声は、今にも消えてしまいそうなほど弱かった。
手記を持つ指先が小さく震えている。
ダイチは隣で何も言わず、その肩へそっと手を置いたままだった。
ハヤトは目を伏せ、拳を強く握り締めている。
ジュウタロウは苦しげに眉を寄せ、シュンタも黙って視線を落としていた。
長い沈黙の後。
ジントはゆっくり息を吸い込み、最後のページへ視線を落とす。
ーーー
それからほどなくして、私は兵役を引退した。
あの事件のことは口外禁止とされ、特にルナと深く関わっていた私には、口止めの意味も込められていたのだろう、それなりの退職金が用意された。
だが私は、それを受け取っても少しも嬉しくなかった。
特に継ぐ家もなかった私は、そのまま当てもなく旅へ出た。
平和な旅だった。
あれ以来、魔物は姿を消した。
人々は夜でも自由に移動し、商人達は月明かりの下でも荷馬車を走らせるようになった。
皆が口々に言っていた。
「皇子様が世界を救った」
「太陽神の加護だ」と。
私は何も言えなかった。
ただ、頭の片隅ではずっと、あの少女の面影が消えなかった。
私は様々な国や街を旅した。
小さな村で農作業を手伝ったこともあった。
鉱山で採石の仕事をしたこともあった。
時には傭兵の真似事をしたこともある。
好きなように生きた。
だがどれだけ穏やかな日々を過ごしても、月を見る度に、私はあの塔を思い出した。
そして、ルナを。
ある時。
立ち寄った街の骨董屋で、一冊の本を見つけた。
黒い表紙。
そこには月の紋章が刻まれていた。
古代文字で綴られた、奇妙な本だった。
私は吸い寄せられるようにその本を手に取った。
それから長い時間を掛け、慣れない古代文字を少しずつ解読していった。
その本の名は
『月蝕記』
そこに記されていた内容は、私の想像を遥かに超えていた。
ルナは化け物などではなかった。
悪でもなかった。
彼女はただ、世界の闇を受け止め、月へ還す役目を背負わされていただけだった。
*彼女は最後まで、人々を守っていたのだ*。
ーーー
ジントの瞳から、再び涙が零れ落ちる。
ぽたり、と古い紙へ雫が落ちた。
「……っ……」
胸が苦しい。
苦しいのに、どこか救われるようでもあった。
ルナは独りではなかった。
レオルが居た。
真実を知ってくれた人が居た。
忘れなかった人が居た。
ジントは唇を噛み締めながら続きを読む。
ーーー
それなのに、世間では幽閉塔の事件はすでに別の形で語られていた。
皇子による英雄譚。
太陽神の奇跡。
そして“月蝕の子”ルナは、世界を脅かした悪の象徴として語られていた。
教会はそれを、自らの功績のように吹聴していた。
私は何もできない自分が、たまらなく情けなかった。
もっと早く気付けていたら。
あの時、無理にでもルナを逃がせていたら。
そんな後悔ばかりが、歳を重ねる度に増えていった。
ーーー
部屋の空気がさらに重く沈む。
ハヤトが低く呟いた。
「……三百年経っても、何も変わっていないのか……」
その声には、皇族としての苦しさも滲んでいた。
ジントは小さく首を振る。
「……違うよ……」
全員がジントを見る。
ジントは涙を拭いながら、震える声で続けた。
「……レオルが、残してくれた……」
「エレナが、繋いでくれた……」
「だから……俺達が今、知ることができた……」
その言葉に、誰も返事ができなかった。
ジントは再び最後のページへ目を落とす。
ーーー
それから十年ほど旅を続けた頃。
私はラディスという街へ辿り着いた。
不思議と、その街が気に入った。
穏やかな風。
行き交う人々。
どこか自由な空気。
私はそこで、小さな家を借りて暮らし始めた。
幸いなことに、こんな私を愛してくれる女性とも出会えた。
可愛い子供にも恵まれた。
私はようやく、普通の幸せというものを知った。
だが結局。
私は家族にさえ、一度もルナのことを話せなかった。
『月蝕記』もまた、机の引き出しの奥へしまい込んだままだった。
そうして長い年月が過ぎた。
子供達は家を出ていき、妻にも先立たれた。
今、私は一人きりでこれを書いている。
最近は身体も思うように動かない。
おそらく、私ももう長くはないのだろう。
ある日、ふと気まぐれに、私は教会へ足を運んだ。
若い頃から毛嫌いしていた場所だった。
だがそこで、私は一人の女性と再会する。
あの夜。
皇子と共にルナへ対峙していた魔導師の女性だった。
彼女もまた、歳を重ねていた。
私は思った。
これも何かの運命なのかもしれないと。
だから私は、彼女へ託すことにした。
この手記を。
そして、『月蝕記』を。
もし、再び彼女のような存在が現れた時。
真実が届くことを願って。
そして、その者が救われることを願って。
それがきっとルナの願いだと、私は信じている。
ーーー
最後の文字を読み終えた。
部屋の中へ、静かな沈黙が落ちた。
誰も動かなかった。
誰も、すぐには言葉を見つけられなかった。
窓から差し込む月明かりだけが、静かに本を照らしている。
そっと本から手を離し、ジントは小さく呟いた。
「……ルナ……」
涙で震える声。
「……今度は、ちゃんと還してあげるから……」
その瞬間、窓から吹き込んだ夜風が、ふわりとページを揺らした。
それはまるで、誰かが静かに微笑んだようだった。
コメント
2件
レオルが真実を記録に残して、エレナがそれを受け取りそれがまた託されて今ジントが読んでいるということが奇跡だなと深く思います。色んな人の思いが詰まった物でもありますねぇ
ゆめかの感想だよ〜🌸 うわあああああレオルの手記後編、読み終わったあああ😭💦💦 ルナの真実が明らかになるにつれて胸が苦しくなって、でも最後にジントが「今度はちゃんと還してあげるから」って言ったところで涙腺崩壊したよ…!レオルがずっと真実を伝えたくて三百年も想いを繋いできたのが尊すぎるし、その手記を今ジントが受け取った意味がすごく重くてエモかった… comiさんの描く世界の優しさと切なさがじんわり心に染みました〜💕次が待ち遠しいよ!