雪子は俊が言った言葉の意味がよく理解できなかった。
「嘘にしないって? えっと、どういう事でしょうか?」
「俺が君の恋人になるよ」
雪子は更に驚いた顔をした。
「えっ? ちょっと言っている意味がよく……」
「雪子さん、俺とつき合ってくれませんか?」
「……………」
雪子はびっくりして言葉が出なかった。
「ごめん、驚かせちゃったね。でも遅かれ早かれいずれ君に交際を申し込むつもりでいたんだよ」
俊の言葉を聞き、雪子は何か言わなくちゃと焦って言葉を探した。
「えっ……でも、一ノ瀬さんには私なんかじゃなくてもっと……」
「もっと?」
「いえ、あの、もっと若くて綺麗な女性がいっぱいいらっしゃるから……」
「だから?」
「えっと、前に話していましたよね。前の奥様と離婚した原因の一つが奥様が子供を望まなかったからだって。一ノ瀬さんなら若い方と結婚すれば今からでもその願いが叶うのかなと思って」
「ハハッ、確かにあの時はそう思っていたかもしれない。でもこの歳で子供を持とうとは思わないよ」
俊はそう言って笑った。
「でも私みたいな退屈な人間じゃなくてもっと……」
そこで俊が雪子の言葉を遮った。
「おっと、それ以上自分を卑下するのはやめましょう。俺は今のまま、ありのままの雪子さんがいいんだ。おそらく初めてスーパーで君を見た時から、いや、君があのご婦人に優しく接しているのを見た時から俺は君に惹かれていたんですよ」
俊の言葉を聞いても、雪子はまだ信じられないという顔をしていた。
「俺じゃ駄目かな?」
「駄目なんてそんな…」
「俺の事が嫌いかい?」
「いえ、そんな事はないです」
「だったら人生最後の初恋を、俺と始めてくれませんか?」
(人生最後の初恋?)
人生最後の初恋とは何を意味しているのだろうか?
この先限られた時間の中で最後の恋愛をしようという意味なのだろうか?
それとも人生が終わる最後の瞬間まで添い遂げようという意味なのだろうか?
その時雪子は思い出した。
幼い頃にした祖母との会話を。
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「ねぇおばあちゃん、シンデレラはそれからずっと幸せに暮らしたの?」
「ええそうよ、それからずっとずっと幸せに暮らしたの」
「じゃあ雪子もシンデレラみたいに幸せになれるかなぁ?」
「なれるわ。いつかきっと素敵な王子様が迎えに来てくれるから…」
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王子様なんていないと思っていた。
けれど、心のどこかでずっと恋焦がれていた。
いつか王子様が迎えに来てくれる事を。
今隣にいる人は、私が待ち続けた王子様なのだろうか?
雪子が何も言えずにいると、俊はゆっくりと雪子の方を向いた。
そして優しい瞳で雪子をじっと見つめると、雪子の後頭部へ右手を添えて顔を引き寄せる。
雪子がハッとした瞬間、雪子の唇に俊の唇が優しく触れた。
それはまるでファーストキスのような甘く切なく触れるだけのとても優しいキスだった。
雪子はされるがままになっていた。そしてぼんやりとした意識の中で思う。
(私はこの人の事が好きなのかもしれない)
雪子はその時はっきりと確信した。
それまで俊と過ごした時間が、頭の中に走馬灯のように流れる。
初めてスーパーで会った時の事、
家の前でばったり再会した時の事
駅中のカフェで偶然会った時の事、
修の店で、海で。
そして二人で行った海辺のレストランを思い出す。
俊と出会った瞬間、雪子はあえて自分の心を閉じた。
俊に惹かれていく自分にあえて気づかないふりをして気持ちを封じ込めた。
それは、自分とは縁のない華やかな世界で生きている俊の事を好きになるのが怖かったからだ。
もうこれ以上傷つきたくない。
俊之との事で辛い経験をした雪子は、誰かを好きになる事に臆病になっていた。
それなのに会う度に俊に惹かれいく自分がいた。
片想いでもいい……それで充分だと思っていた。片想いなら傷つく事もないからだ。
しかし今の雪子は一歩踏み出してみたい気持ちになっている。
『人生最後の初恋』
死ぬまでにもう一度、誰かを好きになってみたい。
人生の最期を迎える時に、ああ、あの人を精一杯愛して良かった。そう思いながら死んでいきたい。
その時漸く俊が唇を離した。
気づくと雪子の瞳からは涙が溢れていた。
それに気づいた俊は、指でそっと涙を拭うと言った。
「泣かないで……」
俊は切ない表情で囁いた後、再び雪子に唇を重ねた。
今度は大人同士の深い絡みつくようなキスだった。
雪子は抗うことなくそれを受け入れた。
気づくと雪子の手は俊の背中へと回っている。
俊の情熱的なキスは、長い間凍っていた雪子の心を徐々に溶かしていった。
そして頑なに閉じていた雪子の心を少しずつこじ開けていく。
(最後にキスをしたのはいつだろう…….)
雪子はそんな事を考えながら、俊の熱いキスに翻弄されていった。
二人の足元では、繰り返し打ち寄せる波が心地良いリズムを刻んでいた。
人に見られていても気にせずに、二人はいつまでも抱き合い唇を重ね続けた。
コメント
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辛い離婚を経験し もう傷つきたくない.... と、心を閉ざしていた雪子さんだけれど🥺 俊さんとなら、きっと大丈夫....🍀 「人生最後の初恋」を始める二人を 応援していきたいです💝✨
雪子さん俊さんの気持ち受け入れてんでしょ😌
泣かないで…俊さんの切なくて甘くて温かい音色、波の音と混ざって吸い込まれそう。 人生最後の初恋はどんな風に紡いでいかれるんだろう…🫧🍀🫧🍀