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えれめんたる
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ナズナの部屋から、楽しそうな鳴き声が聞こえる。
白い毛玉のようなポメラニアンの「シロ」が、主人の悲しみを癒そうと懸命に跳ね回っている。
「シロだけだよ。私を裏切らないのは……」
ナズナが、涙の乾いた目でシロを抱きしめる。
その光景を、俺は冷え切った指先でスマホを握りしめながら見つめていた。
『指示:ナズナが寝静まった後、シロを連れ出しなさい。処分場までの最短ルートを表示します』
画面に表示されたのは、人気のない深夜の山道。
そこに行けば、すべてが終わる。
ナズナの心の拠り所をすべて奪い、俺という猛毒のような「救い」だけを彼女の脳に植え付ける。
それがルートQの示す、完全なる独占への道だ。
「……できない」
初めて、声に出して拒絶した。
人間を社会的に殺すのは、どこかゲームのようだった。
顔の見えない相手の人生を、数字とデータで弄ぶだけのことだ。
だが、シロのあの無垢な瞳を、温かい体温を、自分の手で消し去ることなど。
深夜2時
俺は自室のベッドで横たわり、光り続けるスマホを無視した。
画面には真っ赤な警告が点滅している。
『警告:ルートから逸脱しています。修正行動を取りなさい』
『警告:命令無視を確認。ペナルティを生成します』
無視だ。
こんなもの、電源を切ればいい。
俺はスマホをクローゼットの奥に放り込み、枕を頭に押し付けた。
だが、眠りは訪れなかった。
静まり返ったアパートに、突如として不協和音が響き渡る。
ガシャーーーン!!
階下で何かが割れる音。続いて、激しい足音。
「火事だ! 火事だぞ!」
誰かの叫び声。
俺は飛び起きてドアを開けた。
廊下には煙が立ち込め、非常ベルが鼓膜を破らんばかりに鳴り響いている。
「ナズナ!」
隣の302号室へ駆け寄る。
だが、ドアは内側からロックされ、いくら叩いても反応がない。
ふと、足元に落ちている自分のスマホが目に入った。
クローゼットに隠したはずなのに、なぜか廊下の真ん中に落ちている。
画面には、ナズナの部屋の内部映像がリアルタイムで映し出されていた。
ナズナは深い眠りの中にいる。
そして、彼女の枕元にあるコンセントから、青白い火花が散っていた。
『ルート再検索中。障害物が排除されない場合、目的地、ナズナさんごと消去します』
「ふざけるな……!」
俺は狂ったようにドアを蹴りつけた。
だが、鉄製のドアは微動だにしない。
煙はどんどん濃くなり、ナズナの部屋からはシロの悲痛な遠吠えが聞こえ始めた。
スマホが冷たく告げる。
『修正ルートを表示します。今すぐベランダを伝って隣室へ侵入し、シロを窓から投げ捨てなさい。そうすれば、火災警報システムを「正常化」させます』
俺は、崩れ落ちるように膝をついた。
アプリは知っているのだ。
俺が彼女を失うことを、何よりも恐れていることを。
「分かった……やる。やるから、ナズナを助けろ!」
俺はベランダの手すりに手をかけた。
夜風が頬を刺す。
この瞬間、俺の中の「人間」というルートが、音を立てて断線した。